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春のカミーノ③ 〜サン=ジャン=ピエ=ド=ポーからオリソンへ

そういえば、3年前のピレネー越えもひどい雨だった。皆地笠(みなちがさ)から滴るしずくを拭いながら、私は笠に結びつけたあご紐を締め直した。辛抱強い牛や羊たちが、雨に打たれながら草を食んでいる。懐かしい風景だった。あのときと違うのは、私はちゃんと自分の足で歩いているということだ。

3年前のカミーノでは、天の采配という名の手配ミスで、ロケ車の代わりに大型バスがやって来て、取材班は大混乱に陥ったのだった。(詳細は「星に導かれて巡礼の旅へ」参照)

サン=ジャン=ピエ=ド=ポーのスペイン門を出て歩き始めてから、1時間も経っていないのに、私のレインウェアにはもう水が染みていた。さくらちゃんは、ネットで見つけた格安の赤いビニールポンチョで、それは全く水を通さない優れものだった。セレブな奥様はお買い物上手だ。「こういうのは、安物がいいのよ」と、さくらちゃんはニッコリした。

Miwakoは今のところ、私たちとほぼ同じペースで歩いていた。彼女の驚異的な足の遅さは、旅の一番の不安要素だったが、考えてみたら昨年の秋、熊野古道女子部のメンバーと、サンティアゴまでのラスト100kmを歩いているのだ。そのときは、女子部の部長であるツキジさんが、つきっきりで歩き方をレクチャーしてくれて、Miwakoは無事にゴールできた。

🎦 熊野古道女子部 公式YouTubeチャンネルより

あれから半年余り。その間、彼女は今回の旅に向けて、密かに自主練を重ねていたのかもしれない。人は日々進化する生き物だ。お荷物のように思って申し訳なかった──私は心の中でMiwakoに詫びた。

と思っていたら、上り坂で急に遅くなった。サン=ジャンの巡礼事務所でピレネーは雪だと脅かされ、彼女がいつも背負っているアルトサックスは、オリソンまでの荷物搬送に預けていた。ゆえに、雨が降っているというのを差し引いても、もう少し早く歩けるはずではないか?

「上りになると、遅くなるんだよね……」Miwakoが済まなそうに、私をチラッと見た。この上目遣いには騙されないぞ、と思ったけれど、さくらちゃんは心優しくて、急にペースを落とした。しぶしぶ私もそれにならったが、雨がついにレインウェアの中まで染みてくるわ、レインカバーをかけたリュックは濡れ放題だわ、体は冷えてくるわで半泣きだった。

ちなみにMiwakoが着ているのは、コンビニで買ったビニールの雨合羽だったが、これまた雨を通さないことにかけては、さくらちゃんのポンチョに負けなかった。

1分でも、1秒でも早く、途中の休憩ポイントのオントに着きたかったが、Miwakoの足の動きは冗談抜きでスローモーションのようで、もう気が遠くなりそうだった。

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それでも、いつかはたどり着くものだ。ピレネーへの登り口・オントには、ちゃんとしたゲストハウスがあり、玄関前のスペースが巡礼者たちの休憩所になっていた。ジュースや水なども売っていたが、歯がガチガチ鳴るほど冷えきっていた私は、なんでもいいから温かいものが飲みたかった。

さいわい、奥のサロンで女将がコーヒーを淹れてくれた。小さなクロワッサンにもありつけた。もうこのまま、ここに泊まってしまいたい……という気持ちになったが、オリソンまでは、あとたった2.5kmだ。普通の人なら小1時間だろうが、ここからはずっと上りだということを考慮すると、Miwakoのペースでは2時間だろうか。

今夜の宿であるオリソンの山小屋には、甘くておいしいバスクケーキがあることを私は知っていた。泊まるのは初めてだったが、おそらく、おいしい食事と地元産のワインも待っているだろう。ワインのことを考えると、少し体温が上がって、頑張れそうな気がしてきた。

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オリソンに到着するころには、雨もやや小降りになっていた。山小屋の1階は食堂、2階が宿泊スペースだが、私たちが今夜泊まるのは、テラスの下に新しく作られた別館だった。

大部屋が2つあり、それぞれに二段ベッドが4台。山小屋の管理人のお兄さんが、テキパキと寝床を割り振ってくれる。あなたここね、あなたは上ね、と瞬時に見極める眼力はさすがだった。ちなみにMiwakoは下段で、私はその上。さくらちゃんはその隣の上段である。少しグラグラするパイプベッドのはしごは、たしかにやや難易度が高かった。バランスを崩すと、二段ごとひっくり返りそうだった。

私たち3名以外は全員、ベネズエラから来たファミリーグループだった。40代の夫婦と、その妹夫婦と、その従兄弟たち。みんなで故郷の歌(たぶん)を歌ったり、ラテンのステップを踏んだり……お祭り騒ぎだ。雨でもなんでも、彼らはテンション高めで楽しんでいた。これは私たちとしては、大いに見習うべき姿勢だ。

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📷 部屋の中はこんな感じ。Miwakoは明日のルートチェックに余念がない(その割にはよく迷子になる)

シャワーは5分間のコイン式で、管理人さんから各自1枚だけコインが渡される。Miwakoもさくらちゃんも、シャワーはパスだと言ったが、私は勇気をふるって挑戦した。雨で濡れた服をぜんぶ脱ぎ、寒さに震えながら、祈るような気持ちでコインを入れる。これで水が出てきたら、私は死んでしまうだろう。

さいわい、ギリギリ温かいといえるお湯だった。髪を洗えるような水圧ではない。私は目をつぶって精神統一し、首に肩に背中に、流れ落ちる湯の温かさを感じることに集中した。5分はあっという間で、当然まったく温まらなかったが、不思議なことに、なんだか体が楽になった。まさに「よみがえり」だ。お湯というものの威力を、思い知った瞬間だった。

夕食にはまだずいぶん間があった。私たちは母屋の食堂に陣取って、バスクケーキとエスプレッソ……と思ったが、結局ワインを飲むことにした。すっかりおなじみになったイルレギーワインの赤。濃くて旨い。たちまち1本空けてしまった(半分以上、さくらちゃんが飲んでいた)。この山小屋のオーナーが所有するワイナリーのものだそうだ。つまみに頼んだ、スープとトルティージャ(スペイン風オムレツ)も手作りで、心底ホッとする味わいだ。

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あまりにおいしいワインだったので、ロゼのボトルも1本頼んでみた。こちらは更に旨い。まさにテロワールの妙である。ふと周りのテーブルを見渡すと、そんなに飲んでいる巡礼者は、ほかにいなかった。巡礼なのに不謹慎だから……ということではなく、明日は本格的にピレネーを越えるので、みんなコンディションを整えているのだろう。

気がつけば、外はまた荒れ模様になっている。昨日サン=ジャンで出会った日本人青年、市川くんの姿が見えた。彼はたしか早朝に出発し、一気にピレネーを越えて、ロンセスバージェスまで行くと言っていたが──なんと雪で前が見えなくなり、ここまで引き返してきたそうだ。

ピレネーは雪という予報は、本当だったのだ。私たちは歩みの遅いMiwakoに合わせて、途中のオリソンで1泊を選んだのだが、おかげで命拾いしたことになる。

あいにく、山小屋のベッドに空きはなかった。市川くんは車を呼んで、迂回路の国道経由で、ロンセスバージェスに向かうことになった。かなり早いペースで歩くであろう彼とは、この先、きっともう出会うことはない。「ロゼワイン、一緒に飲みたかったな」とさくらちゃんが言った。

とにかく雪のピレネーから無事帰還でよかった。これから1カ月かけて、サンティアゴまで歩き通すという市川くんの、安全で健やかな旅を私たちは祈った。

夕食前にMiwakoは演奏し、ブラボーのかけ声と喝采を受けた。スマホを構えて、熱心に動画を撮っているのが管理人さんだ。

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📷 メニューは鶏とポテトのロースト、野菜のシチュー。超シンプルだがこれが劇的においしい

山小屋での心づくしの夕食が済むと、それまで陽気に軽口を交えながら給仕をしていた管理人さんが、やや改まった面持ちで話し始めた。

「それでは皆さん、オリソン恒例のスピーチの時間です。皆さんが今回なぜカミーノを歩いているのか? お一人ずつどうぞ。いろんな国の方がいらっしゃるので、スピーチは英語でお願いします」

Miwakoがびっくりした顔で、私のほうを見ていた。「聞いてないよ?」と顔に書いてある。そう、この宿ではスピーチタイムがあること、私はすっかり忘れていた。二人にも、前もって伝えていなかった。Miwakoはともかく、さくらちゃんは大丈夫だろうか?
彼女はテーブルの向こう側に座っていて、表情は見えなかったが、まったく動じていないようだった。まあ、いざとなれば、私かMiwakoが通訳すればいいのだ。

縁あって今宵、世界中から集まり、共に食卓を囲んだ28名の巡礼者たち──。もちろん白装束などではなく、見た目は普通のハイカーやツーリストだったが、語られた言葉は、まぎれもなく巡礼者だった。

余命幾ばくもない相方と共に、旅をしている夫婦が2組もあった。自分自身が不治の病で、生きられるのはあと1年という方もいた。パートナーと別れ、新しい一歩を踏み出したばかりの女性もいた。世界一周に挑戦している若者もいた。

ベネズエラ人ファミリーを代表して、恰幅のいいリーダー格の男性がスピーチした。本当はグランマ(祖母)も連れてきたかったけれど、足が悪いんで、とりあえず孫たちだけで来た。サンティアゴで、彼女の健康と長生きを祈りたい、と。

日本人は、私たち以外にもう一人。元商社マンの男性で、カミーノを歩くのが長年の夢だったという。この方も、私の本を読んでいて、iPadに入れた電子版を見ながら、旅をしておられた。旅のスタート地点で、立て続けに二人も読者に出会えたこと、私は奇跡の贈り物のように感じていた。

スピーチが終わるたび、みんなで拍手する。そうしてあと残り数名となり、私たちの番がやってきた。トップバッターはさくらちゃんだ。私とMiwakoは顔を見合わせたが、彼女はためらうことなく、すっと立ち上がった。

「マイ・ネーム・イズ・サクラ。サクラ・イズ・ジャパニーズ・チェリー・ブロッサム。皆さんに会えて、とても嬉しいです!」

最後は日本語だったが、そこにいた全員に、彼女の思いは伝わった。大きな拍手が沸き起こった。

さくらちゃんの堂々としたスピーチは、私とMiwakoにも力をくれた。何か格好いいことを言わなくては……という思いは消えて、子供のようにピュアで素直な気持ちがよみがえっていた。

カミーノから受けたインスピレーションで、曲をとにかくたくさん作りたいと言ったMiwakoに続いて、私は、もう一度カミーノを歩いて、また新しい本を書きたい──と、自然に口にしていた。

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そんなふうに思って、カミーノに来たわけではなかった。しかし、言葉は放たれた瞬間に、命を宿すという。別名「星の道」と呼ばれるカミーノで語られたことは、もしかしたら、どこよりもすばやく星に届くのかもしれない。

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いつのまにか雨は上がり、夜空一面に星だった。あきれるくらい次々と、星が流れてゆく。流れ星は、亡くなった人の魂かもしれないと思うと、胸がしめつけられたが、同時に、生きている人の願いがひとつ、叶った証かもしれないのだ。

さくらちゃんのお父さんは、ずいぶん前に亡くなったと聞いている。さくらと名づけたのは、映画の寅さんの大ファンだったから。そして、世界中の人が、日本の桜の美しさを知っているから──。星に一番近いこの場所で、さっきの堂々としたスピーチを、さくらちゃんのお父さんは聞いただろうか、と思った。

翌日早朝。ピレネーの日の出は素晴らしかった。まさによみがえりの光だった──。

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春のカミーノ④ に続く)


三羽ガラス、これからいよいよ本格的にピレネー越え!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)

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◆新装版が発売されました!
『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)

カバー

春のカミーノ④ に続く)

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