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◆こどもから大人になったのは、いつ?

生きている間に、
健康でいる間に、
活動する意欲を持てている間に、
私がしたいことは何だろう?
私にできることは何だろう?

最近、時々、考える問いです。

20代や30代の頃も、同じような問いを考えていたと思います。
しかし、30代くらいまでは「したいこと」「できること」の内容を考えることに懸命だったのに対し、最近は「生きている間」「健康でいる間」とか「意欲がある間」などの前提が、以前より重みを持って感じられるようになってきました。

自分がしたいと思うことは、できるうちに、しておきたい。
そういうことを考えるのは、自分がしたいと思っても、できなくなることがある。
何かをしようという意欲を持つことが難しくなってくることがある。
ということを知る機会が増えてきたからかもしれません。

長田弘さんの散文詩集「深呼吸の必要」に収められている「あのときかもしれない」という作品は、「きみが、子どもから大人になったのは、いつか?」という問いに、「あのときかもしれない」という瞬間、場面が1から9まで挙げられています。

「あのときかもしれない」の2つ目では、
赤ちゃんから子どもになって、はじめてぶつかる難題。一人でおしっこにゆくことを決心することについて書かれています。おしっこを誰かに代わってもらうことはできない。自分が決めなければならない。
つまり、自分のことは、自分で決めなくてはならないということを知る。
好きだろうが嫌いだろうが、自分という一人の人間にしかなれないと知ったとき、一人の子どもから、一人の大人になるということです。

「あのときかもしれない」の6つ目では、「なぜ」という疑問について書かれています。
子どもは、様々な物事に「なぜ?」と考える。しかし、いつしか「なぜ?」と口にしなくなっていく。元気に「なぜ?」と考える代わりに、「そうなっているんだ」という退屈な答えで、どんな疑問も打ち消してしまうようになった時、一人の子どもでなく、一人の大人になっているということです。

長田さんの作品を読み返しながら、私自身、年齢的には十分に「大人」になっていますが、自分で自分のことを決めなくてはいけないと分かっていても、しっかり決めきれていない面もある気がします。
世の中の大半のことは「そうなっているんだ」と受けとめて生活しているけれど、「なぜ?」と疑問を持つことを大切にしたいと思うこともあります。
物事によっては「なぜ?」を考えすぎると、うまくやっていけない関係性もあるので、そこは疑問の持ち方やその程度を自分で調整しているかもしれません。

人は、子どもから大人になるけれど、時には、大人から子どもに戻る時もある気がしています。



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