見出し画像

Tim Woodward (KFS,SKIN TWO)インタヴュー記事

Skin Two magazineは、1983年に出版者のTim Woodwardと写真家のGrace Lauによって設立されました。
今のフェティッシュシーンに大きな影響を与えたSKIN TWOは、マガジン、アパレル、イベントなどを手掛け、世界中に沢山のフォロワーを生み出します。


SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.



(ドイツ版『Skin Two Germany』は1987年にPeter W. Czernichによって創刊され、のち、1989年に廃刊。)

この雑誌に掲載され、国際的に有名になった作家やフェティッシュモデル、写真家たちもたくさんおり、ティム・バートンジャン=ポール・ゴルチエディータ・ヴォン・ティースケイティ・ペリーなども掲載されました。

今回はTimの記事とインタビューをまぜ、日本語で紹介します。


『1983年、私の人生は変わりました。
イブニング・スタンダード紙に『Skin Two』と呼ばれるフェティッシュ・クラブに関する小さな記事が掲載されていることに気がつきました。
そこは鞭と鎖、ラバーとレザーの別世界のようでした。
私は「これは行かなければ!」と思いましたが、一人で行くのは緊張するし、とても不安でした。
そこで、友人のジュリーにサポートを求めて電話しました。
ジュリーはきらめくラバー製のキャットスーツとスティレットヒール(かかとが細く尖たシューズ)を履いておりとても素敵でした。私は唯一見つけたフェティッシュ・ショップで買った安物の服を着ていて、あまり素敵には見えませんでした。

『Skin Two』はもはや神からの”啓示”でした。ラバーやレザー、ユニフォーム、ドラァグ(DQ.ドラァグクィーン)でない限り、誰も入ることができませんでした.
ストリートウェアでは一切入れません。
それは別世界でした。
隅っこではボンデージ(緊縛)が行われ、服従者(サブ)は支配者(ドム)の足元にひざまずき、その他にも多くのことが、たくさんおきていました。
こんなことははじめての経験でした。
『Skin Two』は搾取的な性産業の一部とは無縁で、お金ではなく愛のために運営されていました。

当時、私たちは知らなかったのですが、フェティッシュな人々はいたるところにいたんです。
ポップスター、主婦、老人、ミストレス、あらゆる種類。
これが、今世界中に広がっている現代のフェティッシュシーンの誕生です。』

Tim Woodward Bio



SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.



SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.

(※私が一番最初に手にしたのがこのカバーのマガジンでした。
いまだに持っています)



Rei

伝説的な人物であるあなたとやり取りできていることがまず光栄に思います。若いときの自分には考えもできませんでした。
今回はSKIN TWOとあなたに関わることを教えて下さい。

イギリス人は(音楽やマルコム・マクラーレンなどのショップの存在があり)ゴムの素材が身近だったという人が多いです。アナタもラバーは身近な素材でしたか?

TIM

フェティシズムに目覚めたのは、ゴムを身につけたことがきっかけでした。
1983年、新聞で『Skin Two』というナイトクラブの存在を知りその情報を見て、友人と一緒に行ってみたんです。
ラバーは大きな部分を占めていました。
今でもフェティッシュシーンでは重要な位置を占めていますよね。

でも私自身の好みは年々広がっています。
今は、スーツ姿の男性とそのパートナーが裸になるパーティーを開催しています。
私はラバーというより、スーツやフォーマルなイブニングドレス、レザーが好きなんです。


Tim Woodward.
©KFSMedia Ltd.

自分の居場所を見つけた私は、翌週もその翌週も足を運びました。
ある夜、写真家のグレース・ラウ(SKIN TWO共同設立者)と話し合ったとき、これは雑誌を出すしかないと意気投合しました。
ポルノ雑誌ではなく、性差別のない包括的なクラブの雰囲気を反映するようなものを、です。
私は出版者兼編集者に志願し、グレースは写真を撮り、モノクロで16ページのものを1000部印刷し、私のガールフレンドのスージーがクラブで販売しました。

この頃『Skin Two』クラブの創設者は日曜日のタブロイド紙にすっぱ抜かれました。公職追放の危機にさらされた彼は、『Skin Two』のクラブをあっけなく閉め、私に雑誌を託したのです。
それは単なる趣味のはずでしたが、SKIN TWO Magazineはどんどん成長し、ヨーロッパやアメリカのフェティッシュシーンを盛り上げることに貢献しました。
インターネットが普及するずっと以前から、オーストラリア、日本、アメリカなど、遠く離れた場所でもSKIN TWOの存在をどういうわけか知ることができたのです。 』

Tim Woodward Bio


SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.
Skin Two Rubber Ball
©KFSMedia Ltd.



『次のステップは、『Skin Two』クラブを復活させることでした。
ミシェル・オリーは、世界初のフェティッシュスタイルの祭典に「Skin Two Rubber Ball」と名前をつけて開催することを思いつきました。
ハマースミスパレスには4,000人もの客が詰めかけたことにより大規模な宣伝が行われ、本が出版され、ビデオや類似のイベントがトロント、ロサンゼルス、ベルリン、パリでも開催されました。
ロンドンで同様のイベントが開催されるようになり、私たちはオーストラリアのシドニーやアメリカでもパーティーを開催するようになりました。
ジョージア州アトランタや、イギリスのリーズ、バーミンガムでも数年間開催し、小規模のニッチなイベントも開催しました。
その後私は6年間SKIN TWOのショップを経営し、フェティッシュな服やアクセサリー、本、雑誌を販売していました。
またアパレルブランドSKIN TWOをさらに発展させたブランド『Honour』を製作するために、友人にSkin Two Clothingのライセンスを供与しました。

私も『Skin Two』クラブ同様、SKIN TWOを収益性の高い資本主義企業にしたことは一度もありません。
それは常に愛の労働であり、常にお金を失っていました。
しかしとても楽しかったし、最高に素敵な人々に出会うことができました。
SKIN TWOマガジン、オンラインストア、アパレルブランド、映画、ダンスミュージックアルバム、Webサイト、そして数冊の本が出版されました。
・・・1983年の夕刊に掲載された小さな特集は誰が書いたんだったかなぁ。
イギリス、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアのプライベート・フェティッシュクラブで25年間写真を撮る許可を得たのは、世界で私だけだと確信しています。
いつかは写真集を作らなきゃな…。 』

Tim Woodward Bio


Tim Woodward
©KFSMedia Ltd.


SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.

Rei
SKIN TWOはとにかくおしゃれでクールな雑誌でした。それは写真のチョイスや取り上げる題材の影響が強くあります。雑誌で取り上げようと思った題材はどういうな経緯で見つけることが多かったですか?

TIM
被写体のほうが私たちのところに来るんです。
SKIN TWO誌は、決してかわいい女の子の写真だけではありません。
私たちは女性による、女性についての写真や特集をたくさん組みました。その結果、多くの人がそこに魅力を感じたんです。
フェティッシュなシーンに、もっと女性を登場させたい、参加させたいという想いからでした。
男性を喜ばせるためだけのものではないのです。
多くの人がそれに応えてくれたので私たちは雑誌にたくさんの記事を載せることができたんです。


SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.
SKIN TWO Rubber Ball
©KFSMedia Ltd.


SKIN TWO Rubber Ball
©KFSMedia Ltd.

Rei
今はフェティッシュなものがメジャーシーンにたいへん溢れるようになりました。AIDSのとき、そしてコロナの今。
あなたは世の中の動きとフェティッシュシーンの動きをどう見ていますか?

TIM
フェティッシュ・シーンは着実に成長しています。
フェティッシュな服を着てもエイズになる心配はありません。かつては嫌われていたゲイの世界に続いて、今では広く受け入れられています。

Rei
日本に来たことはあるのでしょうか?

TIM
日本には行ったことがありません :(
しかし、長きにわたってサポートしてくれている日本のファンに感謝しています!

『今、私は数人の友人のためだけに、より小さなパーティーグループ「The Chardmore Society(チャードモア・ソサエティ)」を運営しています。また、”赤い”インターネットTV チャンネルである 「KFS TV」も。
KFSTV は、テレビ、ラップトップ、スマートフォン、PC、Mac、iPad など、ウェブに接続されているほぼすべてのデバイスで世界中で24時間年中無休で視聴できます。』

Tim Woodward Bio



SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.



Tim Woodward
©KFSMedia Ltd.


Tim Woodward
伝説的Fetishマガジン”SKIN TWO Magazine”、そこから派生したアパレル”SKIN TWO Clothing”、パーティー”Skin Two Rubber Ball”の創立者。
ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションを卒業した後、著名な本や雑誌の出版社で働き、その後ウッドワード&パートナーズを設立。
この会社は出版業界の大手ヘッドハンティング会社となり、イギリスの有名出版社においてトップクラスの仕事に就く人材を発掘。
現在SKIN TWOのライセンスは”Honour”が管理。
SKIN TWO誌はTimの会社KFS Mediaが現在も発行しており、最近はKFS Magazineという姉妹誌を立ち上げより幅広いオルタナティブ・セクシュアリティ全体をカバーしています。


後記
彼の影響を受けた世代が作り出してきた今のフェティッシュシーン。
そして私たち世代とこれからの世代。
歴史の始まりは変わりません。
それはいつまでも永遠の影響力を静かに与え続けるものであると考えています。

Timとは最初、他の記事掲載のやり取りで始まりました。
個人的にあの伝説の人とメールをやり取りするだけで震えるような気持ちでした。
私が最初にSKIN TWOに出会ったのは、20代前半。その時に在籍していたSMクラブにマガジンがありました。
そこには、ファッション、文学、芸術、音楽、と自分の好きなものがミックスされ、自分自身の道が開かれた感覚を覚えました。
とにかく、かっこいいその雑誌に深く影響を受け、今の私が作られていったと思います。
ロンドンに行った時は、SKIN TWOのアパレル工房にも立ち寄りました。
私にとってSKIN TWOは今も輝き続けるアイドルのような存在であり、決して色あせません。
今も手に入るSKIN TWOマガジンを、まだ見たことない人も、あなたの好きな世界を作った始まりとして一度はぜひご覧になってほしいなと思います。



Tim、震えるような驚きをありがとうございます。


SKIN TWO Cover
©KFSMedia Ltd.

More Info
noteのシステム上リンクがNGになってしまうワードがあるため、個々でリンクに飛んでください。


chardmoresociety.com/

kfstv.net/

kfsmagazine.com/

https://www.instagram.com/timparkerwoodward/

Michelle Olley
https://showstudio.com/projects/unseen_mcqueen/interview_michelle_olley


All images credit ©KFSMedia Ltd.

Thanks for all you do!


投げ銭、とても励みになります。

ここから先は

0字

¥ 2,000

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

投げ銭、とても励みになります。