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社会に出たら「勝つこと」ではなく、「生き残ること」を目指してもいい

東京にはどうも「沿線ごとの文化の違い」というのがあるみたいで、「〇〇線に住んでいる人は〇〇だ~」なんて論説がたまに出てきます。

この手の沿線ネタというのは別に科学的根拠がある訳でも何てもないのであくまで”娯楽”として見ていますが、意外と肌感覚で「確かにそうかも~」と思えることもあります。

というのも私は社会人になってから30年近く中央線沿線に住んでいますが、中央線沿線の特徴を一言で表すなら「上昇志向がない人が多い」ということらしく、中には「中央線沿線に住んでいると出世できない」なんて言う人もいます。

現に私も50歳過ぎて「出世」はしていないので案外当たっているのかもしれませんが、別に生活には困っていないので不満は全くありません。

思い起こせば社会人になって最初に住んだのは新宿駅から快速で2駅の高円寺駅ですが、路上で歌うミュージシャンや売れない芸人といったいわゆる「夢追い人」が多く住んでいる街であり、みんなマイペースで生きているので自分も「とりあえず生きてりゃいいや~」という気持ちになります。

もちろん20代の頃はそれなりに出世欲はあったのですが、仕事を終えて家に帰ると街のノンビリとした雰囲気にすっかり慣れてしまい、出世することに対して全然本気にはなれませんでした。

おかげで30代にもなって無謀にも先考えずにサラリーマンを辞めるという暴挙に出てしまい、収入が激減した状態でアルバイトをしながら何とか食いつないでようやく今の会社に拾われて何とか生き残ったというわけです。

同年代には大企業の社長になっている人もいるので、「勝ち負け」という物差しで見るなら私の人生は現時点では負けかもしれませんが、今になって振り返るとそもそも最初から「勝つこと」を目指していなかったことに気づきました。

もし本気で「勝つこと」を目指すなら相当の努力が必要ですが、私はそのための努力を全然してこなかったので勝てなくて当然です。

ただ年収が一時100万円台に下がっても生き残れたので、たぶん「生き残るための努力」はそれなりにできたと思います。

「勝つための努力」と「生き残るための努力」は全くの別物であり、勝つためには自分の限界を超えて頑張ることが必要ですが、生き残るためには逆に如何なるときも無理をしないことが必要です。

人によっては無理してまで勝とうとして潰れてしまうこともありますが、私の場合は幸いなことに「無理をしなかった」ことが生き残ることにつながったのかもしれません。

野生動物の世界ではみんながみんなライオンのような強さを備えているわけではないのですが、弱い動物でも自分たちの特性を活かして生き残ることはできます。

人間の世界も誰もが競争に勝てるような能力が備わっているわけではありません。競争に勝てる資質がある人は「勝つこと」を目標にすればいいですが、そうでない人は最初から「生き残ること」を目標にしたほうが幸せな人生が送れるような気がします。

そんなわけで「勝ち負けを気にしない」中央線沿線は私にとってはパラダイスであり、この先も住み続けると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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