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日本人は「集団主義」ではなく、「集団行動のスキル」が高いだけという説

日本人の方を対象に異文化理解研修を行うと多くの人から「日本人は集団主義だから~」という話が出てきます。

ところが興味深いことに、異文化について研究したオランダのホフステード博士によると日本は集団主義でも個人主義でもなく、両者の中間に位置づけられています。(下記のサイトで紹介されています)

アメリカが日本より個人主義であるのは何となくわかると思いますが、日本よりも中国のほうがはるかに集団主義というのは多くの日本人にとってピンと来ないかもしれません。
(集団主義の指数を見る限り日本よりもロシア、フィリピン、メキシコのほうが集団主義になります)

ただ中国人が集団主義というのは「一族」という概念で説明できます。

中国人は伝統的に親類縁者の結びつきが強く、自分が所属する一族に対しては強い帰属意識を発揮します。

「赤の他人(中国語で”外人”)」がどうなろうと知った事ではないのですが、一族(中国語で”自己人”)を裏切るような行為は許されないため、みんな世間の常識よりも身内の論理で行動します。(身内のためなら不正でも何でもしてしまうのはこのためです)

余程の事がない限り、自分が所属する集団(一族)に対しては最後まで忠誠を尽くすわけです。

一方で日本人は家族よりも会社を優先し、会社よりも世間を優先するため一見集団主義に見えますが、自分が所属する集団に最後まで忠誠を尽くすわけではありません。そういうことをするのはむしろ極道の世界ぐらいです。

そんなわけで世界的に見て日本人は「集団主義」とは言えないのは納得できる話ですが、一方で私自身が外国人として45年以上日本で生活して感じることは日本人は「集団行動のスキル」が極めて高いということです。

例えばルールを理解する、ルールを守る、時間を守る、約束を守る、周囲の人を見て行動する、といったことは集団主義というよりも「集団行動に必要な能力」と言えます。

そして日本では子供の頃から学校でこれらの能力を訓練され、会社に入ると徹底的に鍛えられます。その結果として世界で最も「集団行動のスキル」が高い国民となっていきます。

この「集団行動のスキル」は学校や会社に求められたときに発揮しますが、誰もが好き好んでやっているわけではないため、所属する集団のしがらみが無くなると本性が現れることがあります。

例えば海外に赴任した日本人会社員が海外に出たとたんに羽目を外すことがありますが、これも「世間」という集団行動を求める存在が無くなったために自由奔放な本性が現れた結果だと言えます。

ここまでの話はあくまで私の仮説に過ぎませんが、日本人と同レベルの集団行動を海外の現地人社員に求めてもうまくいかないのはこの「集団行動のスキル」が一朝一夕で身につくものではないからだと思います。

余談ですが、中国人は確かに「集団主義」ではありますが「集団行動のスキル」はあまり高くありません。もちろん中には幼少期に親から厳しい教育を受けて高い人もいますが、そこまでの訓練を受けていないといざ集団行動を取れと言われてもなかなかできません。

それが日本人から見て「中国人は個人主義だ」と思ってしまう原因ではないかと思います。

この「集団行動のスキル」の高さはこれまで確かに日本の強みでしたが、これからは別のスキルが求められていくため、日本人の「集団行動のスキル」もいずれ低下していく可能性があります。

おそらく平均的な日本人の「集団行動のスキル」が中国人並みになったとき、日本が集団主義ではないということが実感できるようになるかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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