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パターソン(2016)/ジム・ジャームッシュ監督

詩は好きだ。

言葉ならざるものを言葉で表すという矛盾した芸術が文学だ、と教えてくれた恩師の言葉を借りるなら、
言葉ならざるものを言葉以前の言葉で表す芸術が、詩なのかもしれない、と思ったりする。

(勿論、これはこうだと定義するのはあまり好きではないので、以上のことは素人の言葉遊びの領域である。)

詩がそこにある時、ひとつのことでそれ以上の空気を帯びて存在しているような気持ちになる。

たった数行の文字列に、乾いてひび割れた心に水を注いでもらったことがある。

詩が人を救う瞬間を、自ら体験した。

そうやって詩に殊更熱狂していた頃、詩人の話だというこの作品を友人が薦めてくれた。



詩人といえど普段はバスドライバー。
詩人といえど普段は学校に通うひとりの少女。

それでも日々詩を嗜む彼らは間違いなく詩人だ。

一見変わり映えのない日々から詩の欠片を汲み取ってゆく。
言葉ならざる景色を、形式にとらわれない言葉で書き留める。

それは淡々と流れてゆく日常が、どれだけに美しいのかと再発見していくものでもある。
そしてこの映画それ自体が、そのものであった。

この映画は、何も起こらない。
何も、というわけではないが、何か大きなことは、起こらない。

カーチェイスがあるわけでも、大虐殺が起こるわけでも、金融破綻が起こるわけでも、隕石が落ちてくるわけでも、激しい夫婦喧嘩があるわけでも、ない。

そんなことは起こらなくとも、日々は移ろいゆく。

その中で、愛する人と寄り添うこと、何の気兼ねもなく歌うこと、思いついたように描くこと、友と酒を酌み交わすこと。

それ自体が煌めきなのだと、ただ見せてくれる。

そしてその煌めきから詩や、音楽や、芸術は生まれ、またその芸術たちが日々を癒してくれる。
この作品がそうであるように。

さらにはそこから生まれた芸術たちが、人と人とを結びつけてくれる。
それは意図せずとも、けれどとても自然な流れで。

パターソン。
"何も起こらない映画"と言われるがそういう映画が好きだなと特に思いはじめたのは、この作品からかもしれない。

そして何より、主演のアダム・ドライバーとゴルシフテ・ファラハニが演ずる夫婦の尊さたるや。

何をしても、噛み砕かれてばらばらになっても、それが、あなたが、素晴らしいことに、何も変わりはない、と、存在そのものを信じる深い愛情で結ばれたふたりはほんとうに美しかった。

大事なものを大事にできる人生。
素敵だなあと、画面を見つめてため息をついた。

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