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何気ない一言にずっと助けられている

ナマステ!
今日はネパール語教室が休みだったので、1日家に篭って編集系のタスクをひたすら消化しておりました。今から営業の仕事が一件あって、それが終わればフライデーナイトだ。こっちでも日本の仕事ができる環境はありがたいですね。停電だけはマジで勘弁やけど・・・。

本日は
「何気ない一言にずっと助けられている」

「相手の何気ない一言にすごく傷ついた」という経験は誰しもがしたことがあるだろう。言った当の本人は何も覚えていないケースがほとんどだが、言われた方はずっと覚えているあれ。辛いよね。

反対に、「相手の何気ない褒め言葉」に助けられた経験はないだろうか。

僕はある。

多分同じように、相手はきっと覚えていないのだろうけど、僕の胸の中にはずっと残り続けているし、お守りのように毎日心に携えている。

確か1年、いやもっと前だと思うが、友人がマッチングアプリで出会った子を家に呼んで宅飲みをしていた。その時、僕も家にいたので一緒に飲んでいた。

出会って初めて、多分僕のことなんて微塵も知らない子だったけど、「れいくん、カリスマ性あるよ」と言ってくれたのだ。

まあ、ほとんどの人がお気づきだろうが僕にカリスマ性はこれっぽっちもない。そして、きっと初対面の僕に言ったお世辞の一言だということは自明の事実だ。

だけど、たった一回しか会わなかった、不思議な魅力を持ったあの彼女に言われたセリフを僕はずっと大事に胸にしまっていて。

カリスマ性がないことは自分でも理解しているし、多分カリスマ性を鍛えるなんて無理に近い話だ。才能とか、持って生まれたものに近い力だと僕は思っていたので諦めていた。

でも、初対面の彼女がお世辞と言え、僕を見てそう言ってくれた。

ポジティブシンキング西日本23位の僕は、まんまとその言葉を信じ今日まで生きてきた。

この話は、言葉は捉え方次第だ、ということを言いたい。

僕はその日をきっかけに妙に少し自信がついたのだ。手に入れたくても手に入れられなかったものを実はちょっと持ってた・・・?みたいな。

馬鹿やなあ、と思う人もいると思うが、僕は大真面目だ。

だからこそ、僕は人を傷つけるようなことは言わないようにしているけど、いいと思ったところはお世辞と思われようがバンバン言葉に出すようにしている。

もしかしたら僕と同じように、自信を持てたり何かが変わるきっかけになるかもしれない。言葉にはきっとそういう力があるはずだ。

勘違いと言われてしまえばそこまでだけど、僕にとっては今でも鮮明に思い出せる大切な思い出なのだ。フェリベトウンラ!

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