映画日記〜聲の形〜
映画「聲の形」を見る。原作漫画を持っていて、映画化をした京アニ作品が大好き。山田尚子さんの切る絵コンテが大好き。とても楽しみ。
劇場版に詰め込む。原作は結構量のある話。大枠は変えず、劇場版のみのオリジナル。話は変えているのに、見たものの受ける印象、感情はそのまま残す。脚本の方が凄く優秀。素晴らしい感性、頭脳。尊敬。
絵コンテの画角、アングル、カット割り。本当に素晴らしい。画面の切り取り方は、目、台詞、動きよりもよく話す。人物心情だけでなく、場面の空気感まで伝える。伝えすぎてしまう。映画の内容により客も堪らなく苦しくなる。とても苦しい映画。人は生きる。如何してこんなに苦しい?息ができなくなる瞬間。幾つも描いた映画。
主人公、石田の学校に耳の聞こえない少女、西宮が転校。ずっと噎せ返る程に画面は美しく、客の心はずっと苦しい。石田が償わなきゃと感じた罪。自分が罪を犯したと気づく聡明さ、謙虚さがあったから課せられたもの。自分が罪を犯したと無自覚な登場人物は数人。彼らは十字架を背負わない。
生に真剣に向き合う程生きることが困難。色々な罪が見える。見つける程、自分を否定する理由は増える。自分を嫌いにしかなれない2人が物語の主人公。
自分は自分のことを本当は大好き。自分1人じゃ絶対に不可能。本当の大好きは記号じゃない。沢山の「此処が好き」な理由。丁寧に作って自分を肯定。言葉、記号は同じくらいの言葉、記号で何時でも否定可能。他人がいる。初めて自分を大好きになるためのきっかけが生まれる。好きな人が大好きになる。自分も自分を大好きになる。
1人で笑う。本当に1度でもあった?考える。1人で笑えることはない。1人で笑えたことはなかった。気づく。情けない笑みは人が1人で出せる最高の笑顔。先は誰かと出会うしかない。主人公2人。それぞれの世界と向き合い色、光が溢れる。初めて生きる。私も逃げた。眩しさ解る。泣く。
原作漫画を読む。何故すっきりと綺麗で幸せな終わり方?疑問。今なら眩しい終わり方をした理由が解る。眩しさが怖いのは、私が幸せに慣れていないから。最近はやっと弄れず、素直に何時か幸せになる。私も自分を大好きになる。周りにいてくれている人も自身を好きになって。生きるは何故こんなに苦しい。是非、見てもらいたい。
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