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映画日記〜half of it〜

「孤独に耐えられるのさ、真実とすれ違った」という詞の歌がお守り。孤独について如何考えている?凡百人が問う度に呼吸について如何考えている?問われる気持ちになる。苦笑い。孤独、愛について語ることを求められる時訪ねる人の中で2つが相反するものである前提が見え隠れ。

何処から如何言っていいのか分からない。やはり私は苦笑い。そんなことばかり。まともな返事が何時も出来ないままふにゃふにゃ愛想笑い。終わる。取材が苦手。最近ようやく気付く。今みたいに徹夜明け朝6時カーテンを閉めた薄暗い部屋で1人スマホに向かって居るほうがずっと自分がましな人になった気がし安心。「孤独と向き合えるのさ、暗闇とすれ違った」今日のお守りは「FRUITS/Suchmos」。日替わりのお守り。毎夜眠らない夜の部屋を満たす。昨晩は「True Love Waits/Radiohead」一昨日は「忘れっぽい天使/中村佳穂」前は「いかれたBaby/モトーラ世理奈」何時でも昼夜関係なく1日の歩調を自分の精神の都合通りに掌握可能。今の暮らしが結構気に入る。また元通りの毎日に戻る。寂しい。みんな色々考えた。まだこれから行く先が霧がかかるよう見えづらかった10代の頃のよう怯え、不自由な日々の中で窓の中から四角い空を見上げる。私の生きる本当の意味は何。如何いう人生のを豊かな人生と呼ぶか。人に会うことさえままならない世界。一体愛は何処に存在?今までで1番静かなこの季節にふくよかに染み込む良作がある。ネトフリ映画「half of it」青春映画を観る夏の始まり。

舞台は閉塞感のある田舎の白人組織。学級階級が顕著に存在。大抵の子供が一生を街の中で終える保守的思想が標準な中で暮らす中国移民の主人公は秀才。学校中の報告書の代筆代行で小銭を稼ぐ。賢く質素に暮らす。ある日同級生から恋文代筆代行のバイトを頼まれる。相手は学校でも人気の美女。主人公も彼女に密かな想いを寄せる。経済的事情で渋々代筆代行依頼を受ける。3人の奇妙な関係はじわじわと期待を裏切り思わぬ方向へ転ぶ。

これは誠実ではない言葉選び。そこまで思わぬ方向へ転び、劇的な山場、浄化、意図の明確な終末に辿り着く訳ではない物語。そう。その所が何とも良い。

プラトンの饗宴から始まる物語。主人公、美女。聡明で博識な2人の文通を基に進む。当たり前に文化的な対話が飛び交う。主人公は人生初恋文を代行代筆する夜、父と一緒に「ベルリン・天使の詩」観る。手紙を読む美女は「ヴィム・ヴェンダースは大好き。盗作はしない」返事を返す。やりとりだけでもうこの2人を心から大好きになる。

初めは単純で思慮の浅い体力馬鹿に見えた同級生も知れば知る程大好きになる。多くの気軽い恋愛において知りすぎはtkmkを遠ざける要因。子供じみた憧れは相手を自分都合のいいよう解釈可能な自由があってこそ恋心と呼べる。空想は知りすぎると現実になる。何かを知りすぎることは素晴らしい。互いの精神が至った時、初めて愛を発芽させる為の土壌が出来上がる。考える。3人共愛をまだ知らない。知る気配。気配を物語に含む映画を青春映画と呼ぶ。考えることをサボることは不可能。孤独な魂が美しく息づく。見る。何時も変わらない私が芸術を追う理由。

本当の所は何時も綺麗な魂が見たい。孤独な魂が美しく真実に向き合う様を1秒覗き見る。私の大好きだというものは一見乱雑に選ばれたよう見える。基準は何時も明確。魂の綺麗な人が作るものが大好き。「arma/GRAPEVINE」の「愛しみがまだ分からないとは言わせないとそう思う」部分を聴いて唐突に流れる涙のような気持ちになる。雄大な海、激しく流れる川でなく風が吹くまでずっと黙り、風が吹いても揺すられてはまた深い透明な青に戻る湖の心を見る。あまり何にでも揺れていると夜になったのに星の1つも映らないこともある。寂しい。みんなと同じよう揺れるより寂しい。そう。言われても静かなままいる。孤独と呼べる。私は孤独を全うする為この命がある。そう。構わない。前に買った家庭用プラネタリウムの電源を入れ思う。玩具売場から持ち帰る星空さえもきっと私の心の有り様で見え方が変わる。本当に綺麗なもののみ解る具合に調教を合わせていたら見逃す凡百物事に嫌われる。そう。胸が痛い。本作で主人公、美女の美しい孤独を見る。心を保つ為のお守り。

本作の大好きな所は普通の映画では作品全体を貫く大きな題とし売り出される要素が幾つも入っている。どれもが普通の日常の1部。何でもないことのよう紛れ込む。移民への差別、揶揄い、ルッキズムの根強い学級階級、同性愛者の片想い、教会で行われる神の否定。題を1つずつ極端に水増しし作品製作。惹句をつけ売り込み。他作品においてどれだけ行われてきたか。1つ1つは思春期にぶつかる問題。1つ1つ対しきちんと考え答えを見つけ大人になって来た人は少ない。多くの私がそこまで丁寧にやっていられなかった。真剣に考え生きることを劇中で彼らはやる。間違え、迷い、試行錯誤を繰り返し、時には大胆に確信を持ち斬り込む。1秒先の未来を見る練習を繰り返し本当は大人になる。今からでも遅くはない。本作品が終始優しく素っ頓狂な場面も含む喜劇的に描かれているから敷居が低く登場人物1人1人の感性描写に真摯で大きな緩急より今この1秒の心の揺らぎ、1秒先の思索をきちんと描くと決める安心感。物語終盤の印象的な台詞。「音楽、映画、物語には必ず山場がある」その時ラジオから流れていた音楽には確かにサビがある。この話は大きな山場に任せ物語を綺麗に纏めることをしない。最後まで丁寧に辿るよう灘らかに日々の描写を見せる。平和な後日談を眺めるよう優しい気持ちで胸が満ちる。ダラダラと続く。ちゃんと希望。

映像を齧るせいで物語の編集に対し過敏な所がある。映像作品を作る過程において編集作業が最も大好き。ゾクゾクする作業。編集が上手な人には音楽、会話では養えない独特の見えない瞬間を感じる為のリズム感が備わる。個性を作品から垣間見る瞬間がとても大好き。本作はリズム感が製作者の思慮深さを表す。とても優しい心地。必要以上に区切っらないことの優しさがそのままグラデになり希望の色を編み出す。

編集作業が作品自体に齎す影響は作り手として視線を持たない視聴者が思うよりずっと大きい。YouTube、TV番組でも。テキパキ話し必要な情報を高速で教えてくれるYouTuber、過激発言が物議を醸す話題のタレント。演出の仕方、撮影の仕方、編集により意図して作り上げられている。娯楽性重視で作られる番組においてとても重要な方式。この方が面白く視聴率が取れる思考は突き詰めれば経済至上主義に根を同じ。主義と共存、共闘を図る文化、芸術表現がある。共存していかなければ道はない。経済至上主義は時に文化を蔑ろにする。危うい面を持つ。私は様子を見て何時も悔しく不甲斐ない気持ちになる。

誰かの人生を良い方向に解放する可能性を秘めた優れた芸術が生み出される一方、映像は人の人生を壊す装置になり得る。何度もなる。舵を取る人、受け取る人の識字率次第。映像の情報媒体が無自覚な悪意の増幅装置になる瞬間を何度も見る。流石にもう終わりにする。

表現の自由は必要。誰かの表現時、その人自身の想像、創造、芸、崇高な意思が正当に守られる為。そう。真剣に生まれた作品が例え誰かの何かを結果とし傷つけたとしても悪とは言い切れない。表現において矜持を持たないお金儲け道具とし表現に似た何かを成う人が表現の自由を盾に何をしても良いと勘違い。違う。特定の中身を指す訳ではない。世界には自由の意味を履き違えた人があまりにも多い。作る側、見る側にも。

本作の監督は同作品についてこうコメ。「あなたの終わりが始まりになりますよう」

消費の為に作られる映像。ファーストフードのよう手早く食べる人々。物語の終わりから始まる先の物語さえ包み込もうと芸術をする人。どちらも時代に生きる。画面の奥に何を見たいか惰性ではなく鋭く静かな思いでゆっくりと探す。私の見たいものは此処にある。あなたが見たいものは何。答えは分からない。いい。風を切り、音楽を聴き、夜の中を泳ぎ、電車の窓の外を眺め、締め切りのない問いを途切れ途切れに何時までも考える行為自体が既に愛に近い。

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