路地裏の異次元。夢か現か、嘘か誠かは貴方次第の物語。

路地裏の異次元。夢か現か、嘘か誠かは貴方次第の物語。

最近の記事

雨降り終え、闇優しく開き、歓喜に歌う

お天気の良い日中、どこからともなく春の匂いが漂ってくるようになりましたね。一雨毎に春がやってくる。私は春を待ち切れず、ネモフィラの苗をお迎えしてしまいました。 そんなこれからの春のお庭予報です。 「雨降り終え、闇優しく開き、歓喜に歌う」春先は雨が降ったり止んだりしながら、気温が上がっていきます。穏やかな春の予感のする、第一声です。昨年は夏の厳しい暑さ、冬の厳しい寒さと、お庭育ちの植物たちならずとも大変な一年でありました。休眠期に入っていた植物たちが、優しい陽の光に目を覚ま

    • 付喪神目覚める その弐「付喪神の恩人」

      手元にあった甘い香りのお香を炊くと、おばあさんは大人しくなり、じっと着物を見詰めていました。 付喪神さんであろうことは理解出来るものの、なぜ一体今。 化学薬品的なものを帯にかけたのが原因だとしても、随分と長い間眠っておられたんだなぁ、と思いながら私は尋ねた。 「あなたはこの帯の付喪神さんですか?」 そもそも、私はこの帯がどこからどう我が家にやってきたのかを知らなかった。 付喪神さんは、私の家の家紋を愛おしそうに撫でている。この帯の出処が祖母ならば、祖母方の家紋だろう

      • 付喪神目覚める その壱 「匂い香」

        ある日のことでした。 我が家は祖母から三代続けて着物が大好きな女性陣であります。祖母は自身で生地から仕立てることも出来る大正生まれ。母は洋裁学校を卒業し、針子さんになるのが夢だった程の仕立て好き。私はというと…付けたボタンは三秒で取れる、という伝説を持つ、不器用さんであります。でも、三者三様、着物や帯、和装小物好きは変わりませんでした。 その祖母が亡くなり、十年以上前が経ちました。祖母が遺した着物や帯は、祖母の姉妹に形見分けをし、一番祖母が大切にしていた着物や帯、小物は、

        • 寒さ厳しくなる頃、地震わす尾根あり

          「寒さ厳しくなる頃、地震わす尾根あり」 冬のお庭予報です。 いきなり不穏な始まりではありますが、文字通りの可能性よりも、何らかの大きな組織や(自らにとって、という可能性もあり)経済など、大きく動くのかも知れません。善し悪しはそれこそ、人により変わってくるでしょう。個人単位ですと、一家の大黒柱であったり、家の中心であったり、または心の支えであるものであるかも知れません。自然も、人も社会も、ずっとこのままではいられない。そう告げられているきが致します。この前に「雷轟き」という

        雨降り終え、闇優しく開き、歓喜に歌う

        • 付喪神目覚める その弐「付喪神の恩人」

        • 付喪神目覚める その壱 「匂い香」

        • 寒さ厳しくなる頃、地震わす尾根あり

          大気厚く、息ままならぬ

          初秋のお庭予報です。 「大気厚く、息ままならぬこと多く、草山喘ぎ、水留まる後崩れ落ちる」 カラッとした秋晴れ、という日は少なそうな気配です。また、湿度が高い日もまだまだあり、息苦しいような空気の空模様。 秋口としては、気温も高めなのでしょうか。土中の温度・湿度が高めになり、草花や木は土中からの栄養の供給が難しく、また湿気による蒸れなども気を付けるようにとのお話でした。かつ、広い目で眺ると、水捌けが悪い土地については雨の後の土砂崩れや、突然の崩落に注意が必要だそうです。雨

          大気厚く、息ままならぬ

          「個」と「静」それは「自立」と「孤独」

          「あなたの気のせいでは、ないようです。思い出してしまうこと、気になること、体からのサインを見過ごさないで」 どれだけ直感が鋭くなっていたとしても、それを信じて行動に移せなければ何の意味もない。受け取るだけ、思うだけ、になっていませんか?心のケア、体のケアももちろんですが「わかっているのに」しないこと、してしまうこと。きちんと向き合う必要があるようです。どんな形でも自分の声を無視しないで下さい。 焦れば焦るほど、突き詰めれば突き詰めるほど、焦点はぼやけます。ストレスフルの生

          「個」と「静」それは「自立」と「孤独」

          雨くどく降り、虫息絶える

          とある怪奇現象から始まった、昨年の11月から家中大断捨離に忙しく、お庭予報を出すの忘れておりました。 この夏は雨多し、気温湿度とも高め、日照は少なめ。 夏野菜は胡瓜のみよろし、ということで、我が家の夏野菜は胡瓜のみ植えました。 ゴーヤは私の大好物なので、微かな期待を込めまして、西日が強く当たる窓辺へ一応。 これからは「雨くどく降り、虫息絶える」 くどく、降り続く雨。 マメに土を耕しておいてあげないと、土を豊かにして下さる必要な虫たちが快適に暮らすのも難しそうです。

          雨くどく降り、虫息絶える

          土地に住むということ

          私達家族がこの家に引っ越してきて、十年が経った。同時に、この土地に住まわせて頂いてから十年が経ったとも言える。 改めて家中の片付けを始め、そして、近隣の神社仏閣に十年目のご挨拶に回っている。 私達がこの土地の上で、穏やかに平和に暮らしていられるのは、これまでこの土地を守ってきて下さった方々があってこそ。 神様や仏様ももちろんだが、それら全ての大いなる祖先にも改めてお礼とご挨拶をして回る。 祖霊社、という小さなお社でのことだ。 いつものようにお参りをして、改めてのご挨

          土地に住むということ

          怯えないで

          我が家には猫たちが遊ぶためのテラスがある。 猫はどんなに柵を高くしても、どうにかしてそこから脱走してしまうため、上には脱走防止の網がかけられている。 まぁ、それ自体も本当はどうなのかなぁと思うところだが、脱走した子たちが震えながら家に戻ってくる事が多い昨今、必要な網なのかとも考える。 閑話休題。 そこへどこからか、野鳥が飛び込んできた。 よく見ると、一箇所だけ網のない柵だけの場所をがある。うちの子たちはもうその柵の間からは出られないので、網が足りない部分をそのままに

          怯えないで

          洗濯機の横の少年

          その少年は洗濯機の横にいつも、いたらしい。 らしい、と表現したのは、その少年は私には全く見えてはいなかったからだ。 それは、確か二十歳を少し過ぎた頃だろうか。私は、所謂「幽霊」というものが、見えなくなっていた頃だ。 今思えば、それ程頻繁にそういうことがあった訳ではなく、それなりにそれなりの事情があり、その人達は姿を現したのだろうと思える場面だけであって、のべつまくなし「幽霊」がいた訳ではなかった。 例えば、決まった時間に決まったルートを歩いて壁へ消えるだけの花柄のエプ

          洗濯機の横の少年

          秋、木枯らし多く木は揺れる

          秋 木枯らし多く木は揺れる 温い風、根を腐らせる要注意 根浅く細い木に気をつけよ 飛んでくる 地面、幾許か心許なく 大きくゆるゆる波打つ 立てる者、転ばぬ為 慎重に、行く末違わず、凝視する 葉に虫多く、食われるが、さもしく食らうのは流れに逆らうので息絶える 根菜育つが実が薄く、葉は覚束無い 木の枝弱々しく育たぬ故陽の当たるよう周りに日陰落とす障害あらば落とすがよろしい 寒さ厳しい季節より、好転する 大根でも植えましょうかねぇ

          秋、木枯らし多く木は揺れる

          世にも可笑しな悪い探し

          美しい王妃のパレードで、一人の子供がその余りの美しさに思わず顔を上げてしまった。 不敬罪として、その子供の家の財が取り上げられてしまう。 その子供の父親は、沢山の労働者を雇う者だ。その全ての人が路頭に迷うことになった。 さて。 「悪い」のは 顔を上げた子供か? 美しすぎる王妃か? 贅を尽くす行か? 子供の為に、雇っていた者を解雇せざるを得なかった父親なのか? 解雇され糧を失うことを恨んだ者か? 偽善者はきっと「子供に罪はなかった」と言うだろう。 愚民は「

          世にも可笑しな悪い探し

          ごめんなさい私は悪い子です

          先日、Twitterで見かけた「罪悪感」のお話。 そこからふと昔の自分が蘇った。 長女の私はとても良い子で「いた」こと。 良い子ね、と褒められる度に重石が遺り、私は沈む。 「悪い子じゃ駄目なの?」 良い子では無い。 ごめんなさい。 けれど笑うのは、やっぱり長女の私が「いた」からだと、私は思っている。 周りから思われた「良い子」の私。 でも「悪い子じゃ駄目なの?」と泣く私。 褒められる度に罪悪感の重石が積もって、笑顔が壊せなくなる。 本当は、我儘でごめんな

          ごめんなさい私は悪い子です

          灼熱の夏に木々は眠る

          何年か前の事だ。 夜でも窓を開けられない位、気温の高い日が続く夏があった。風も吹かず、雨も降らず。 外を歩くだけで息苦しい、そんな夏の日。 ふと思い立って徒歩15分程の公園へ出かけた。凄く久しぶりなので、公園の木や鳥と話をするのが楽しみだった。 公園の入り口で、私は異変に気付いた。 しーんとしている。 いつもなら、この辺から楽しく木々が歌う声、お喋りに花咲く鳥が囀る歌が流れてくる筈だ。 どうしたんだろうと思いながら公園に足を踏み入れ、近くの木に挨拶をしてみる。

          灼熱の夏に木々は眠る

          その大きな掌は子供の目を塞がない

          これはまだ私が小学校低学年の頃の事だったと記憶している。 何故かと言えば、その場所は小さな町の診療所ではあったが、「大先生」と呼ばれる院長と、「若先生」と呼ばれる息子さんが常時いるところだった。 小学校低学年までは「大先生」の担当、それ以上は「若先生」の担当と分かれていた。そして、その時私は「大先生」に訴えたのだから、小学校低学年だろうと推測する。 その診療所は、田舎の町中の、そこそこ栄えた通りにあった。 大きな門塀の中には子供が遊べる遊具もあったが、すぐ隣に出来てし

          その大きな掌は子供の目を塞がない

          白い陶器のような女

          数年前、私は眠る前にオラクルカードを広げていた。オラクルカードと出会い、その世界に夢中になり、引けば引く程深まり広がる世界にある意味恍惚とした日々を過ごしていたようにも、思う。 ただ、ただ、楽しかった。 たった一枚のカードの中に広がる世界は広く、こちらが予想もしない言葉を投げかけてくる。 眠る前の一時、カードたちと戯れその世界を旅することが、ある意味唯一の救いであったのかも知れないと、今は思える。「私」だけの静寂の世界。 それ程までに、当時の「私の世界」は混乱を極めて

          白い陶器のような女