白い陶器のような女

数年前、私は眠る前にオラクルカードを広げていた。オラクルカードと出会い、その世界に夢中になり、引けば引く程深まり広がる世界にある意味恍惚とした日々を過ごしていたようにも、思う。

ただ、ただ、楽しかった。

たった一枚のカードの中に広がる世界は広く、こちらが予想もしない言葉を投げかけてくる。

眠る前の一時、カードたちと戯れその世界を旅することが、ある意味唯一の救いであったのかも知れないと、今は思える。「私」だけの静寂の世界。

それ程までに、当時の「私の世界」は混乱を極めていたし、余りにも急速に変わりつつあるその景色に、戸惑いと不安を覚えずにはいられなかった。それはまるで、マッチ売りの少女が、売り物のマッチを擦るかのように。

今夜はどの子とお話しよう。

そう思いながら、手を挙げてくれるデッキと今日あったことや、話したいことを取り留めもなく会話していく。箱を開く、カードを取り出す。その時点でそのデッキのざわめきが聞こえてくる。何やら、私の話をしているようだ。この子たちは、いつもどこからか「私の世界」を知り眺めているようだった。

この世界は安全だ。

誰にも邪魔されることなく、静寂の中の賑やかなお喋りを聞き、美しい世界を眺め、時にどドキリとするような言葉を投げてくる。

夜に広がる私を守ってくれる、生き物のように繊細なレースのカーテンが揺らめき、知りたい知りたいと泣き喚く子供をあやす。

つるりとしたカードの手触りと、他愛もないお喋り。

その時、すっと額に手を当てられ顔を上げる。

そこにいたのは、真っ白な、しかし透き通ることのない陶器のような女だった。

その女は静かに笑って私に言った。

「いつまで、そんなことをしているの?」

私はあからさまに嫌な顔をした。誰だかもわからないこの陶器のような女に私の楽しみの時間を邪魔されたうえ「そんなこと」と言われたことに、怒りすら覚えた。

「うるさいよ。余計なお世話だから」そんなふうに答えたと思う。

あれから、何年が経っただろう。私は、オラクルカードが私に「必要ない」という事に、突然気が付いてしまった。

もちろん、オラクルカードは好きだ。楽しいし、とても愛おしい。しかしそれと必要か、必要ないかはまた別の話だ。

それをして人はその複雑な感情に「執着」という名前を授けたのかも知れない。

「執着」は、生温く命の味がする。

まるでそれが己を生かしてくれているかのように、錯覚してしまう。

しかし、それこそが「己の命を食らう」という行為なのだと気が付いたのかも知れない。

今夜私は過去へ飛ぼう。

そしてあの日の私にこう言うのだ。

「いつまで、そんなことをしているの?」


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