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土地に住むということ

私達家族がこの家に引っ越してきて、十年が経った。同時に、この土地に住まわせて頂いてから十年が経ったとも言える。

改めて家中の片付けを始め、そして、近隣の神社仏閣に十年目のご挨拶に回っている。

私達がこの土地の上で、穏やかに平和に暮らしていられるのは、これまでこの土地を守ってきて下さった方々があってこそ。

神様や仏様ももちろんだが、それら全ての大いなる祖先にも改めてお礼とご挨拶をして回る。

祖霊社、という小さなお社でのことだ。

いつものようにお参りをして、改めてのご挨拶をする。

「もっとよく顔を見せておくれ」

そう話しかけられて、驚いた。

こんなことは、初めてだ。

これまで、神社の中の小さなものたちが話しかけてくることはあったものの、こんなにどっしりとした話し方ではなかったのだ。小さなものたちは、まるで風が吹くように軽くすぐにそこから消えてしまうほど儚いものだ。

これは、と思い、マスクを取り、住所と氏名を述べて深々とお辞儀をする。

ご縁があって、この土地に住まわせて頂いていること。有り難くも平和に穏やかに日々過ごさせて頂いていること。この土地をお守り頂いた感謝と、これからここへ住む上で、この恵まれた自然を大切にしていくという誓い。

真冬並みの気温の中、暖かいそよ風が頬を撫でた。まるで、女の人の掌で撫でられたような心地で、嬉しい気持ちになった。

この土地に、受け入れて下さったのだなぁという思い。感慨深く、また改めて何か込み上げるものを感じて、何時までもそこで立っていたいのうな気持ちにすら、なった。

その帰り、無人の神社にもご挨拶に寄る。

そこは水神様が祀られており、もともと山であったこの土地が如何に過酷な環境であったのかを伺わせる佇まいの石碑があった。

そこでも改めてのご挨拶と感謝を述べ、帰ろうとするともう日が傾いていた。

去り際に、ふと肩を叩かれたような気がして振り返る。

「今度はもっと日が高いうちにまかりこせ」

ああ、ここでもまた、受け入れて下さった。

感じたままに何度も頭を下げていると、通りかかったお爺さんが、やはり同じように手を合わせ頭を下げる。

無人の神社であっても、ここはこの土地に住む人々に安心を下さっているのだなぁ、と思う。

夕陽の暖かさに背中を預け、家路を辿る。

まだまだ、ご挨拶に参らねばならない場所が多くある。それだけ、この土地は人が住まうには厳しく、また、それでも営みの絶えない土地であったのだと深く胸に染み入る何かを感じていた。

家に辿り着き、お庭の方へ、ただいまと声をかける。

そこには、私を出迎え無事を喜んでくれる植物たちさえ、いてくれるのだ。

なんてことだ。

こんなにも、守られている。

そう思うと、単に住まうだけの場所から、安全な場所へと続く鳥居のようにさえ感じる玄関を潜る時ですら、感謝を覚えるのであった。

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