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理学療法士の責任領域を見きわめて楽になる

理学療法士としましたが、作業療法士や言語聴覚士もそうです。

役割を広げすぎて、自分で自分を苦しめていませんか?

自分が解決できる課題で悩むのは良いですが、自分にはどうしようもないことで悩んではいないでしょうか。

セラピストは一般的にマジメな人が多いと思います。医療者全般に言えることかもしれませんが。

マジメすぎて、患者さん・利用者さんが自分自身で解決すべき問題まで抱え込み、悩み苦しんで、潰れてしまう。

これは医療者自身にとっても不幸なことですし、医療を受ける患者さん・利用者さん、さらには社会全体にとっても大きな損失です。

そうならないために、どうしたら良いのか。

今回はアドラーの心理学を参考に、考えてみたいと思います。

このnoteを読むと、
●アドラー心理学がちょっとわかる
●『課題の分離』の考え方がわかる
●理学療法士が行うべき『課題の分離』がわかる


自分と相手の課題を分離する

アルフレッド・アドラーという人をご存知でしょうか。

数年前に『嫌われる勇気』という本が出版され、ドラマ化もされたので、ご存知の方は多いと思います。

アドラーの教えは多岐に渡りますが、今回はそのうちの課題の分離をベースに考えてみたいと思います。

課題の分離というのは、自身が解決すべき課題と相手(他者)が解決すべき課題とを明確に分離すべき、という考え方です。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。
(岸見一郎ら著:嫌われる勇気, P140)

『嫌われる勇気』では対人関係のトラブルを解決するための方法として、課題の分離が説明されています。

勉強しない子どもと勉強させようとする親。

勉強をするかしないかは子どもの課題であって、親の課題ではない。

親が子どもの課題に踏み込むから軋轢が生じ、親子関係にトラブルが生じる、といった形で説明されています。


理学療法場面における課題の分離

理学療法士は理学療法を行います。

この理学療法場面において考えるべき課題の分離はどのようなものがあるでしょうか。

Twitter上で一時期話題になったリハビリ拒否というものがありました。

理学療法士が呼びに行っても、「行きたくない」「必要ない」と言われてしまうアレですね。

では、リハビリテーションを行うのは誰なのでしょうか。

リハビリテーションを行ったり受けたりするか否かを決めるのは、患者さん本人です。

それは理学療法士の課題ではありません。

無責任に聞こえるでしょうか?冷たいと感じるでしょうか?

そうではなく、理学療法士は理学療法士の課題に向き合えば良いのです。

理学療法士の課題は、患者さんがリハビリテーションを行う・受けるという選択をできるようにサポートすることです。

そこに全力で向き合い、取り組むことが必要です。

そのためには、患者さんがなぜ拒否的な態度をとるのか。

興味を持てるものは何なのか。

何なら受け入れてもらえるのか。

こういったことを考え、環境を変え、関わり方を変え、様々な試行錯誤を行います。

理学療法士の課題は、この試行錯誤を行うことであり、そこに全力投球するしかありません。

それを受け入れるか否かは患者さん本人の課題なのですから。


理学療法士は責任範囲を見きわめろ

他の例も挙げてみたいと思います。

理学療法士のみなさんは、患者さん・利用者さんに自主練習を指導する場面は多いと思います。

入院中に行ってもらう場合もあれば、退院後に行ってもらうために指導することもあるでしょう。

在宅で関わる場合は、日々の生活の中で行ってもらう運動として提案することもあるでしょう。

その自主練習、行ってもらえていますか?

「忘れてた」とか「やってなかった(笑)」とか言われることが多いのではないでしょうか。

そして、「なんでやってくれないんだろう?」と悩み、患者さん・利用者さんを心の中で責めたり、自己嫌悪したりしたこと、ありませんか?

ここでも課題の分離が重要です。

自主練習を行うか否かは患者さん・利用者さんの課題です。

自主練習を行わないことを理学療法士が悩むのは間違っています。

理学療法士の課題は、自主練習を提案するところまでです。

理学療法士が悩むべきなのは、自主練習の内容や提案の仕方についてです。

そのためには、患者さん・利用者さんの嗜好を知る必要がありますし、生活パターンを把握する必要があります。

患者さん・利用者さんが自身の身体状態についてどのように理解し、何を問題と感じているのかも知らなければ、本人が必要と感じられる自主練習を提案することもできないでしょう。

一度自主練習を提案してみたときの反応を見て、次の提案を行うことも必要です。

理学療法士は自主練習の内容や提案の仕方を考えることに全力を尽くすべきであり、結果的にそれを患者さん・利用者さんがする・しないは理学療法士の課題ではありません。

患者さん・利用者さんの課題を理学療法士が考え悩むから、辛くなるのです。

最悪の場合、患者さん・利用者さんと理学療法士が衝突することにもなりかねません。

間違えてはならないのは、課題を分離するということは、責任を放棄するということではありません。

理学療法士は自主練習の内容・提案の仕方・指導の仕方・その後のフォローアップ(内容の修正や変更)に責任を持つべきです。


まとめ

理学療法士が考えるべき課題の分離について書いてきました。

アドラー心理学における課題の分離、少し理解していただけたでしょうか。

理学療法士は理学療法の提供に全力を注ぐべきであり、患者さん・利用者さんの選択に悩むべきではありません。

ここを分離しなければ、理学療法士の責任領域が広くなりすぎて、辛くなってしまいます。

不必要なことで悩まず、自身の課題を明確にし、自分が悩むべき課題を悩む。

これだけで理学療法士は少し生きやすくなるのではないかと考えます。


より深く学びたい方へ

『嫌われる勇気』
今回紹介したアドラー心理学の入門に最適な書籍です。
ドラマ化もされたので、非常に有名ですね。
課題の分離について、非常にわかりやすく書かれています。


『幸せになる勇気』
上で紹介した『嫌われる勇気』の続編です。
自立することや、信頼と信用、愛することなどについて書かれています。


おわりに

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