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癌ケアラーになって人生が変わった

おはようございます。
毎日この時間帯にはnoteを開いていて、もう日課になったと思っています。
夜は「明日は何を書こうかな」と考えていて、完全にnoteが私の生活の一部になったな。としみじみ思います。

今日noteに残したいのは、気持ちの重くなる話ではなくて前向きな話です。
でも少しだけこれまでの経験と私の思いを書きたいと思います。

癌という病

癌は日本人の死因として1位、「2人に1人」という罹患率の高さ。あなたも私もなるかもしれないし、なんならもうなっているかもしれない。

癌は細胞の変異ですもんね。食生活とか生活のバランスとかいろんなことが複雑に要因として考えられるし、癌の機序とか要因とか勉強すると「そりゃなるよな」と思います。しかも体のいろいろなところにできる。どの場所に癌が出来るかによってその後の予後も違う。

急に悪化することもあるし、薬が全く効かないこともあるし、もうこればっかりは「運」みたいな。上手くいかない場合に直面した時、怖さがあると思います。

癌家族の辛さ

「癌になった人ってかわいそう」と正直なところ思ってました。
「癌患者も大変だろうな」と、人事に思っていました。
コウガンザイ、カンワケア、ホウシャセンチリョウ。知っているし勉強した言葉だけど、私の中では一生関係のない言葉だと思っていました。

これがまあ人生って不思議なもので「緩和ケア病棟への入院同意書」とか「保険証の資格喪失の届け出」とか、経験しないと思っていたことを経験するわけです。

癌家族、癌遺族の今。癒えてきた、段々と消化されてきたと思います。
でも癌家族、遺族になってすぐの当時の辛さは正直言葉では表せないくらい辛かったです。癌患者本人が一番辛いはずなのに、残される怖さや何も出来ない不甲斐なさ。書けば何個でも出てきます。

当たり前の生活の尊さ

でもその辛さの反面で、気付いたこともたくさんあります。
当たり前に「生きられる」こと、食事が出来ること、笑えること、すべて。
すべてが尊く感じました。


私が入院した時の1枚


「何言っているんだろう」と思う方もいると思うのですが。わからなくてもいいと思います。いつか気付くと思います。

生きている意味って、多分人それぞれなんですけど。自分自身で決めるものだとも思うし、産み落とされた瞬間から決まっていることもあるみたいですけど。

私は「これからも生きたい」と願っている人の最期を見て、生きているうちにできることを全うしなければいけないと思いました。
彼女の分まで。

今後増えるであろう癌患者

老々介護のように、癌患者同士が相互に介護するご夫婦や家族を見たことがあります。大変だけど、共に生きる姿とはこういうことを言うのかなと思いました。「癌」という病と共生している、そうに割り切ってしまえればどこか楽だけど。(でもこういう家族への支援が最優先だと思います。)

とはいえやっぱり寿命が短くなる、健康な状態の時間が短くなる病なので、不安に思うと思います。

病気になったら、弱音を吐いてゆっくり休んで、「自分の人生」について考える時間がきたと考えたら楽になるんじゃないかなと思います。

癌患者が増える分、癌家族も増えるはずです。
その家族が「家族としての自分」だけではなくて、「一人の自分」としての人生を上手に構築できるような社会になったらと思います。
「なってくれたら」というと他人事感が強いのですが、どれもこれも自分次第なので…そしてあくまでもこれは私の意見です。

その人生を構築する過程や生活の中での「苦労」や「悩み」があったら一緒に向かっていきたいし一緒に頑張りたいですよね。

拙いnoteながらコメントを残していただけることがあり、嬉しく思います。
自分の気持ちとか「しんどさ」なんかもコメントに書いて少しでも楽になってくれたらいいな。

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