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とりあえず生きてる

「私はゼミ活動で、〇〇市のメディアによるプロモーションに取り組みました。中でも最も力を入れたのは、現地インタビューにおいて地域で実際に暮らす人が抱える課題を、いかに引き出すかということです。インタビューを開始した当初は、2~3言で会話が途切れ、なかなか話を広げることが出来ませんでした。
 そんな時に先輩から、いきなり相手に本題を聞いても答えるのは難しいというアドバイスをいただきました。そこで私は、自分だったらどのようにインタビューされたら答えやすいかを考えました。そして、本題を聞く前に地元である○○市の好きなところや、お気に入りの場所を聞いて打ち解けようと試みました。すると、以前より相手との距離が縮まり、話が広がっていくのを感じました。この経験から私は、相手の思いを聞き出すときには、相手の立場に立って答えやすいような環境をつくることの大切さを学びました。」

学生時代に使っていたUSBには、今もきっちり、2年前の形をそっくりそのまま残した就活フォルダがあった。もう二度と見返したくないと思っていた時期もあったけれど、少し時を経て、時間も少し余裕が出来て、就活を振り返ってみようと思う。

冒頭は、何度も何度も添削して、400字以内にまとめた学生時代に力を入れたこと、通称「ガクチカ」。実にたくさんの企業のエントリーシートに使いまわした。他にも自己PRとか、志望動機といった鉄板は一通り、型があった。それらはすべて、今までの人生の時間を対価に手に入る矛だった。相手に伝える言葉が矛なら、ぴしっとアイロンをかけたスーツに黒い鞄、革靴に清潔感のある髪型はせめて身に纏える盾。

この二つと、情報という最大のアイテムを活用して就活をしていた。

私の第一志望は広告業界だった。文を書くのが好きで広告会社、というのだけ聞くと、あまりにも安直に聞こえると思う。もちろん、いたるところで目にする広告のキャッチコピーはコピーライターが考える仕事だということは分かっていたし、自分が、コピーライターとして入社して食っていくと思っていたわけではない。それでも、大学時代にメディアに関する様々を勉強して、泥臭く辛いことも多い業界と知りながら、広告というコミュニケーションに関わりたいという思いがあった。

中小の広告業界を中心に、他にも何社か違う業界も受けた。結論から言えば、今の(といっても2年前の)就活において、大方の内定が出揃ってくる6月いっぱいまでに、広告業界から2社、その他の業界から1社内定をもらった。でも、本当に辛かったのはここからだった。

時を少し遡り6月初旬、3年生の頃からインターンに参加して、人事の方にも顔を覚えてもらえていた第一志望の会社で、役員の最終面接まで進んで落ちた。直観的だけど「自分に合っている」と思っていた企業で、向こうも自分をよく「見てくれている」と思っていたところだったから、思い上がりだけどまさか、と思って認めたくなかった。一番お祈りメールをもらいたくなかった企業からのお祈りは、それまでのとは比べ物にならないくらい辛くて、面白いくらいにちゃんと「人生終わった」と思った。

そして時期を同じくしてもう一つ、大きな出来事があった。それは、けっこう大手の企業の最終面接でのこと。NPO法人で無償インターンをしていた経験を話した。すると、役員の方が言った。それってボランティアってことだよね?そうしたことに興味があって力を入れていたってことは、それこそNPOとか公務員とかに就職した方が良いんじゃない?うちは企業だからそこらへんはどうなの?だいたいこういった趣旨だったと思う。

その質問をどう切り抜けたかは覚えていない。筋道を立てて回答できればむしろチャンスだったと思うけれど、その質問が想像以上に自分に刺さって抜けなかった。その参加していたNPOは、自分の興味のある福祉の分野であったし、文章を発信する環境もあったから、無償であっても学べるものがあればいいと思って参加していた。だから無償であることの意味とかは、特に考えていなかった(ちなみにこの最終面接も落ちた)。

でも家に帰って、今まで見て見ぬふりをしていた部分とか、じゃあ広告業界に就職できたとしてそこでは内容よりまずは稼ぐことが重要視されるということとかに、あらためて向き合わざるを得なくなった。所詮就活で語る夢なんてきれいごとで、社会に入ったらそんなことよりまず数字。理想とのギャップがあったときに自分が傷つかないための予防線として、そんなことは常に考えていることもあって、実際には内定さえもらえるなら多少デフォルメして話して、そこから先は入ったところで自分が頑張ればいいと思っていた。

けれど内定が出揃ってきて、先述の3社には大変失礼を承知で言うと、どこも自分が生き生き働いている姿が、どうしても想像できなかった。そして時同じくして言われた最終面接での言葉ときた。

その結果、もう新たな企業の面接の予定は一つもないのに、どこへ行っても地獄のような感覚に陥り、身動きが取れなくなった。毎日どんどん気力が落ちて、朝起きるのも、外へ出るのも、人と会うのも、風呂に入るのも、全部が億劫になった。それなのに迫りくる内定承諾の期限。メールや電話で催促が来たこともある。法的には承諾しても入社前までなら断れるとかを聞いたりした気もするけれど、もちろんそんな心のゆとりすらない。

そこからはもう、匍匐前進みたいな日々だった。ギリギリのところで、それでも辛うじて続けていたアルバイト先ではたくさん話を聞いてもらった。他にも、既に就活を終えた同じ大学の友人にご飯に誘ってもらって、そこでもたくさん話を聞いてもらった。ほとんど食べられなかったご飯も、けっこう食べた。激安の焼肉食べ放題チェーンの薄いタンが、ダイニングバー付きファミリーレストランのハンバーグが、大げさじゃなく心身に染みた。

その時無理やりにでも外に出る機会を与えてくれた友人やアルバイト先には感謝しかない。それでようやく自分の足で、もうひと踏ん張りやろうと、匍匐前進はやめて、二足歩行で歩いた。1足しかなかった革靴のソールは、もうほとんどボロだった。

新卒での就職をせず、とある資格取得を目指して学校に通うことも考えた。大学のゼミの先生屋インターン先のNPOの方とも話をした。スクールカウンセラーにも話を聞いてもらった。そして今は、新卒での受験は最後にしようとしていた就職試験で内定をもらい、そこで社会人2年目を迎えている。6月時点で持っていた内定3つは、結局すべて丁重にお断りをした。

就活戦線にいたころから、もう2年も経つ。大げさじゃなくそのころは、就活で人生がほぼ決まると思っていた。紆余曲折あっていま、とりあえずは生きていて、そのころの自分に会えたとしてもその考えを真っ向から間違っていると諭すことは、正直できない。全ては決まらないかもしれないけれど、大きく変わることは間違いないと思うから。でも、自分が想像していたよりも、後戻りや軌道修正は効くことも分かった。少しだけ、視野が開けた自分がいる。

映画やドラマなら、6月に一度内定が出揃って悩んでいたタイミングから、一発逆転が起こるところだ。希望していたところの補欠内定が出るだとか。業界の最大手企業に就職出来るだとか。いやそもそも、ずっと相思相愛だと思っていた第一志望に受かっているかもしれない。

でもそれはあくまでドラマや映画の世界の話だ。現実の主人公はどんなに格好悪くたって、どんなに地味だって、自分自身だ。どんなにあがいたって、生まれ持ったこの体と脳みその1人称視点からは逃れられないのだから。

そしてその事実は誰しもに当てはまり、やはりその運命からは逃れられない。映画の主人公なら大手企業や大スター、あるいは大成功みたいな、輝かしい舞台がわかりやすいゴールとして設定されるかもしれないけれど、現実はそうはいかない。一人ひとりの今までの経験があって、その人に一番ピッタリなゴールなんて、その人自身ですら、きっとすぐには見つからない。だから難しい。

就活セミナーとか、必勝本とか、合同企業説明会とか、そこらへんは一通り自分も触れてきた。それ自体を決して否定するつもりはないけれど、過信しすぎるのも危険かもしれない。結局最後に舵を切る船頭は自分自身に他ならない。いざとなると弱くて、結局最初描いていた道とは違う道の半ばにいる自分だけれど、そこへ自分自身で舵を切れたから、今後悔はしていない。そこで今は、とりあえずでも生きている。

※思いのほかとりとめなくなった文章をここまで読んでいただきありがとうございます。


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