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私は私がわからない

 「自分軸を持つ」「自分を大切にする」「自分思考」と言う言葉を立て続けに浴びた。大切なことだと思う。私も病院で独房から出た後に読んだ『美醜のリベンジ』と言う本で一瞬解りかけた。

 他人の意見に左右されないだとか、自分が選ぶ側になってもいいんだ、とかそいう言う趣旨のことが言いたのだろうなと悟ることはあった。自己肯定感も歪ながら培われ、退院への第一歩となった。

 しかし、結局私の足を掴んで離さないものがある。私を脱皮させないものがある。全ての邪魔をするものがある。

「醜悪な姿」と「自己否定感」である。

「そこで自己否定しちゃダメよ!自己肯定しないと!人と比べたらだめ!」と言う人もいるが、そんなもの物理的に噛みついて「簡単に言ってくれるな」と言いたくなる。容易くほざいてくれるな、と言いたくなる。

 整形と言う道、仕事を辞めてしまった。入院を繰り返すようならその金も勘案しなくてはならない。ダイエット。そもそもこの脂肪はただの脂肪ではなく「橋本病」という甲状腺機能低下にもよるものだ。抗うつ剤の影響もあるだろう。

「人は見た目じゃないのよ!そんな鬱なこと言ってたらみんな離れていくわよ!!明るい子に皆ついていくんだから!!」
 そんなことはわかっている。わかっているのだが、そうでないなら『人は見た目がn割』みたいな本も出ないだろう。ルッキズムなんて言葉も生まれないだろう。そして人間常に明るくパァでいられると言えるかというとそれはよっぽど勝ち組か生来の能天気か躁鬱の躁だ。

 鏡を見る。鏡は歪んでいる。私の鏡には人間が写らない。ジャバザハットのような生き物や、ガマガエルや、豚や、肥満したブルドッグが見える。私は30代前半で、それでもこんな姿にしか見えてこない、化け物だ、ブサイクだ。他のキラキラして推し活していたり働いてる人達と並べない。
 何だこれは。何だこれは。
 こんなものが着飾ったとて。

 私は幼稚園の頃から「比較」を強制されてきた。「可愛い子」のヒエラルキーがあり、成績のヒエラルキーがあり。厳しい幼稚園だった。勉強が出来なければ爪痕が残る程つねられ、子供たちの間では「でぶ」と平気で言われた。
 そして今、社会的立場も、トモダチも、何もかも失った。

 こんな私の何を、模索すべきというの?


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