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「半自伝的エッセイ(31)」カラスのマリア・カラスと『アヴェ・マリア』、クリスマスイヴの夜

久しぶりにチェス喫茶「R」に顔を出すと、テーブル席のイスの背にカラスが留まっていた。私を見ても驚くふうはなく、むしろ首を曲げて「あなたはどなた?」と尋ねるふうだった。店にいる誰も、このカラスのことを気にしている雰囲気はなかった。

「このカラスは?」と、私はマスターに尋ねた。
「マリア」
そう答えたマスターの声をかき消すような音量で店内にはシューベルトの『アヴェ・マリア』が流れていた。
「マリアですか?」私は音楽に負けないような声で聞き返した。
マスターが説明してくれた事の経緯は次のようなものだった。

ある日、開店しようとしたらガラスドアの前に一羽のカラスが佇んでいた。ドアを開けると歩いて入ってきた。床を掃いたりしていても逃げる様子はなく、始めは店内を恐る恐る歩いていた。パン屑をあげてみたら喜んだ。それから毎日、開店前に姿を現すようになり、いつしか自由に過ごすようになった。

「でね」とマスターは話を続けた。「なにか歌うんだよ」
「このカラスがですか?」
「そう。なんの歌かわからないんだけど、なんか歌っているんだよな」
「はあ」
「誰かが、じゃあ『マリア・カラス』って呼んだらどうですか? というからマリア・カラスって名付けた」
「なるほど」
「でも今は縮めてマリアって呼んでる」
「それでバックグラウンドミュージックが『アヴェ・マリア』なんですか?」
「いや、そうじゃなくて、もうすぐクリスマスだし、マリアに『アヴェ・マリア』を憶えさせたらいいんじゃない? とまた誰かが提案したので、憶えさせてるところ」
「憶えたんですか?」
「いや、まだ」

あらためてイスの背に留まったカラスをよく見ると、そのあたりでよく見かけるカラスよりだいぶ小さく、そのせいか威圧感は感じられなかった。『アヴェ・マリア』を鑑賞しているのかしていないのか、見ただけではわからなかったが、静かに聴いているようでもあった。今年産まれた個体なのか、あるいはもともと小さい種類なのか、いずれにしても一般的なカラスの印象よりも可愛いと思えるマリアであった。

マスターは『アヴェ・マリア』の一番が終わるとレコードの針を戻してまた『アヴェ・マリア』の一番を掛けた。
「もしかして、一番を繰り返してるんですか?」
「うん、だっていかにマリアだって全部を憶えるのは難しいだろ?」
そんな話をしていたら戸田さんが店に入って来た。入って来るなり、「おお、マリアちゃん」と大袈裟な身振りで言い、マリアの側に大きな身体を寄せると、「今日はチーズを持ってきたよ」と言って、上着のポケットからチーズを取り出し、そそくさと包装紙を剥いてあげていた。どうも最近、賭けチェスの部屋で戸田さんを見かけないと思ったら、マリアに夢中になっていたらしい。

淹れてもらったコーヒーを飲んでいると、店内の奥の壁に『アヴェ・マリア』の歌詞が書かれた紙が貼られているのに気がついた。ラテン語の歌詞の上にカタカナで発音、歌詞の下に和訳までご丁寧に書かれていた。マリアが読めるはずはないので、これはいったい誰のためなのか? そんなことを考えていたら、今度は店に中村さんが入ってきた。中村さんは戸田さんと同じように、「マリア、ハムを持ってきたよ」と言って、ハムをちぎってあげ始めた。マリアはそれが当然とでもいうように中村さんが差し出すハムを食べていた。どうやらマリアはこの店のアイドルのようになっているらしかった。

それからいつ「R」に行っても、どこかのイスの背にマリアは留まっており、誰かの肩越しに指されているチェスを見ていた。店内には相変わらず『アヴェ・マリア』の一番が繰り返し流れていた。いつしか私はチェスを指しながら『アヴェ・マリア』を口ずさんでいた。それは私だけのことではなく、向かいの戸田さんであったり、比較的最近盤を挟むようになった桃子ちゃんもそうだった。見渡すと、誰もが『アヴェ・マリア』を口ずさみながらチェスを指していた。

しかし、マリア本人が『アヴェ・マリア』を憶えて歌うことは一向になく、いつしかクリスマスイヴがやってきた。その日は、トーナメントを開催することになっており、朝から入れ替わり立ち替わり人の出入りがあり、いよいよHさんとGさんの決勝という時間になって、店は人でいっぱいになった。大勢の人が見守る中、勝負はドローで終わった。双方これといったミスのない、いい対局だった。その間もずっと『アヴェ・マリア』の一番が店内のスピーカーから流れていた。ちなみに、優勝商品は最新の『ウォークマン』だったが、引き分けだったのでジャンケンで勝ったGさんが商品をゲットしていた。

決勝戦が終わり、夜もだいぶ更けていた。お酒を飲める人はすでに飲んでいた。それ以外の人も立って歓談していた。
誰かが、
「ねえ、マリアが『アヴェ・マリア』を憶えることはなかったけど、みんなで歌わない?」と提案した。誰もがその提案に賛同した。マスターがレコードの針を戻した。私たちはすっかり憶えてしまったその歌をみんなで歌った。

Ave, Maria, gratia plena
gratia plena
gratia plena

ある人は涙を流しながら歌っていた。涙を流さない人にとっても、なぜか感動的な一体感があった。一番だけを何百回も再生されたレコードから流れる歌は、溝が擦り切れたせいで、まるでカラスのガラガラ声のようだった。それはあたかもカラスのマリアが歌っているかのようであった。


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