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「半自伝的エッセイ(12)」売り切れ

私は、定跡の徹底的な研究と並行して、ミスの考察もやっていた。というのも、どれだけ序盤を精緻にしようとも、人たるもの必ずミスをするからである。自分の対局はもちろんのこと、他の人の対局からもミスの事例を集め、数百局分のサンプルが集まった。

人はどこでミスをしやすいのか、それを分類すると以下のようになった。

1、駒がぶつかった時
2、手が広い時
3、チェックを掛けられた時
4、手詰まりに陥った時

4についてはそれ以前の問題であるので、1、2、3のそれぞれについて、各十局面ほどを図解した小冊子みたいな本を作った。チェス喫茶「R」で配ろうというのである。ミスの事例は「R」で収集したものがほとんどなので、成果は分け合うべきだろうと考えた。パソコンもワープロも持っていなかったので図面もすべて手書きであった。

当時はまだコンビニなどで気軽に安価にコピーができる時代ではなく、専門のコピー屋というのを利用しなくてはならなかった。それはいいのだが、現在のように一枚十円とかではなく、三十円ぐらいした。もっと安い店もあったが、そういう店は学生が順番取りをしており、いつコピー機を使えるのか判然としなかった。仕方なく高価なコピーでひとまず十部ほど作り「R」のカウンターに置いておいた。

ある日、その冊子を手に取った中村さんが、「これどうしたの?」とマスターに尋ねた。マスターが経緯を説明すると、中村さんは、「なんだ、こんなのいくらでも作ってやるよ」と言って、一部持ち帰った。そういえば中村さんは印刷会社をやっていたのだった。

それから一週間もしないうちに、中村さんは大量の冊子を作り上げてくれた。おそらく百部かそれ以上あったかもしれない。

今から数年前のことである。私はインターネットでチェス関連の古本を探していた。その時、とある古本屋が私が作ったその冊子を売りに出していた。驚いたことに三万円ほどの値がつけられていた。さらに私を驚かせたのは、「W博士のペンネームか?」と説明書きが添えられていたことである。

名前だけそれとなく知っているようなそのW博士というのを調べると、本業の本を書く以外はいくつかのペンネームを使い分けていたそうで、チェス好きとしても知られていた。私は自分の冊子にその時思いついたペンネームを使ったのだが、それがW博士のペンネームにそう言われてみれば似ていた。古本屋はよく調べたものである。

さらに悪いことに、中村さんは余った紙で冊子を作ってくれたので、途中に緑やピンク色の紙が混じっており、紙質も特にいいものではなかったので、怪しい地下出版というか、素人の自費出版的な体裁だった。

古本屋がアップしていた冊子の画像を見ると、それはまさしくあの時のあの冊子なのだが、数十年の時を経て、保存状態も良くなかったのだろう、全体的にヤケがきつく、小口あたりもボロボロで、かなり年季が入った古書然と化していた。奥付はなかったはずだから古本屋がW博士の隠れた著作と勘違いしたのも無理はなかった。

私はこの事実を古本屋に伝えようかどうか悩んだ。誤りは誤りとして訂正されるべきだが、かといって私がその冊子の作者ですという証拠みたいなものは存在しない。だから古本屋にその話をしても信用されないかもしれないし、営業妨害みたいなことにもなりそうだし、そんなことで逡巡していたが、やはり気になって一ヶ月ぐらいしてその古本屋のウェブサイトをあらためて覗くと、それは「売り切れ」になっていた。中村さんも罪作りな冊子を作ったものである。

文中の人名等は全て仮名です。


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