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「半自伝的エッセイ(34)」宇宙、代数、カラス

前回から続く

不眠の時間を利用して宇宙に関する本を貪るように読んでいたところ、自分には物理の知識が決定的に不足していることを痛感し、今度は物理の本を片っ端から読むようになった。すると、今度は数学の知識が足りないことがわかり、数学に関する本を買い漁るようになった。

いつしか生活空間がそれらの本で埋め尽くされるようになった。その頃になると、どうも体調がすぐれないことをどうしても自覚しないわけにはいかないようになった。おそらく体重が減っていた。体重計がなかったので数値化できないが、感覚的に5キロは減っているだろうと思われた。

それもそうだろう、朝、短い眠りから醒めて、口にするのはコーヒーだけ。競艇のある日には競艇場に赴き、昼過ぎに蕎麦かカレーを食べる。競艇が終わると自宅の最寄り駅に戻り、行きつけの居酒屋に直行するが、食べるものといえば焼き鳥数本と煮込みぐらいだった。食欲がそれぐらいしかなかったのである。マンションの部屋に戻ってさらに強い酒を飲みながら、数学の本を明け方まで読む。そんな生活を続けていたら体調を崩さないほうがどうかしている。

ところが私は体調を懸念するより、代数学に夢中になってしまった。その当時も今もその理由はよくわからないのだが、代数学の抽象性なのかなんなのかが私を魅了してしまった。競艇ではオッズだけを検討して買う生活を続けており、家に戻ると代数の記号ばかりを見ていた。私の生活は数字と記号だけになった。

これはなにかに似ていると感じ始めた。うすうす予感していたのだが、それはチェスに似ていた。チェスは誰かと実際に盤を挟んで指せば、そこには駒の実体や手触りがあったが、一人で手筋や定跡を考える際は頭の中で記号だけだけでやっていた。頭の中で自由に駒を動かせない初めの頃こそ盤駒を使っていたが、やがて頭の中で符号(アルファベットと数字の組み合わせ)だけで考えられるようになり、それが普通になった。そのことが数字と記号だけのその時の生活とどこか通じていたのだろう、きっと。頭の中でチェスの駒を動かせるようになると、そのうち駒の映像が邪魔になり、符号に取って代わる。符号だけを動かしていると、それはどこか抽象性を帯びるようになる。それが代数によく似ていたのかもしれない。

チェスをやめてから随分と時間が経っていた。またやろうとも思っていなかった。しかし、代数の本を読んでいるとチェスの符号が頭に去来し、競艇場に行って数字を追いかけているとチェスの手筋がいくつもいくつも頭の中が流れてきた。

自分の体調の変化に目をつぶったまま、同じ生活を続けていた。そんなある朝のことだった。短い眠りから醒めると、カーテンの向こうになにかが動く気配がした。人影のようでもあった。マンションの三階に人影があるとも思えなかったが、薄気味悪いことに代わりなく、薄くそっとカーテンを寄せると、ベランダの手すりにカラスが止まっていた。さらにカーテンを開けてもカラスは驚く様子もなく、私の顔を見つめ返してきた。ひょんなことからインコの世話をしたことはあったが、同じ鳥とはいえ、身近で見るカラスの存在感はインコのそれを圧倒していた。

私はキッチンから食パンを持ってきて、その端を少しちぎり、音を立てないようにガラス戸を開けて、パン屑をベランダに放ってみた。それを待っていたかのように、カラスはベランダに飛び降りた。しかし、パン屑には目もくれず、ずんずん私に向かって歩いてきた。どうするつもりなのかと見ていたら、部屋の中に入ってきた。私はまたパンをちぎり、手のひらに載せてカラスに差し出してみた。カラスはパン屑を一瞥すると、違うと言うふうに私の目を見返してきた。カラスの要求がわからないまま、私はコーヒーを淹れることにした。

マグカップに注いだコーヒーを持って部屋に戻ってきても、やはりカラスはそこにいた。コミュニケーションの取りようがないので、勝手にしゃべってみた。
「君の目的がわからないんだけど」
「オス? それともメス?」
「何歳なの?」
なにを尋ねてもカラスは答えなかった。
やがて家を出なければいけない時間になった。
「ねえ、これから仕事に行かなくちゃならないんだけど、君はどうするの?」
私の仕事というのは競艇であった。それで暮らしていたのだから仕事であった。やはりカラスはなにも答えなかった。無理矢理追い出すのもどうかと思ったので、カラスが出ていけるだけガラス戸を開けたまま家を出た。

いつものように仕事をして、居酒屋に寄って帰宅すると、カラスはいなくなっていた。

翌朝もカーテンの向こうに影があった。カーテンを開けると同じカラスがやはりベランダの手すりに留まっていた。厳密にいえば、同じカラスかどうか私には判断する材料がなかったのだが、別のカラスが同じように来たと考えるのも不自然なので、同じカラスだったのだろう。カーテンを開け、ガラス戸を開けると、カラスは前の日と同じように、それが当たり前というふうに部屋の中に歩いて入ってきた。やはりカラスを部屋に残したまま私は仕事に出かけた。マンションに戻って部屋の灯りをつけると、今度はカラスがまだいた。寝室ではなくキッチンの椅子の背にいた。その時になって私は、チェス喫茶で可愛がられていたカラスのことをようやく思い出した。もしかしたらあの時のカラスだろうかと考えてみたが、あれからもうかなりの年月が経っているし、大きさもどうもだいぶ違った。

ともかく私は、カラスに向かって「ただいま」と声をかけてみた。むろん、カラスは無言であった。しかし、妻を亡くしてから、「ただいま」というのは初めてのことだったので、私としてはだいぶ新鮮な言葉を発した気分だった。隣の部屋で着替えをしてキッチンに戻ってきたら、カラスはいなくなっていた。カラスの出入りになっている寝室にもキッチンにも、どこにも糞がなかったことからすると、私がいない日中は部屋を出たり入ったりしていたのかもしれない。

朝、カラスがベランダの手すりにいることもいないこともあったが、二日空けていないことはなかった。そんなカラスとの生活が始まってからしばらくして、私がいつものように帰宅すると、カラスのほうから「ただいま」と言った。それを聞いて私は大袈裟でなく幸福な気持ちになった。なにしろ、妻がいなくなってから私はこの家で誰かと話すのが初めてだったからである。「話す」というのとは違うかもしれないが、少なくともそれは状況に合ったコミュニケーションであった。それから私は、帰宅する際カラスが部屋にいることを願い、そしてカラスが椅子の背にいて、ただ「ただいま」と一言発してくれるだけで、もうそれでよかった。

しかしながら、しばらくして、少々贅沢かと思ったが、私はそこはかとない不満を覚えるようになった。帰宅した私が「ただいま」と言うのは正しいが、家で待っているカラスが言うのはちょっと違うのではないか。できれば「おかえり」と言ってほしい。そこで私は翌日から帰宅すると自ら「おかえり」と言い、カラスに覚えさせることにした。私の日々の努力の甲斐なく、カラスは「ただいま」とは言ってくれるものの、「おかえり」を覚えることは一向になかった。

それにしてもなぜこのカラスは私の部屋に出入りするようになったのだろうか。カラスは私を慰めているようでもあり監視しているようでもあった。それ以外にも不思議なことがあった。陽が落ちて周囲が真っ暗なのになぜこのカラスは暗闇の中を平気で帰っていけるのか。

そんなカラスとのよくわからない生活が二ヶ月ほど過ぎたある日、私は病院のベッドの上で目を覚ました。看護婦さんの話によれば、私は競艇場で意識を失って倒れたそうで、そこから救急搬送されてきた。栄養がだいぶ足りていないらしく、点滴を受けていた。医師からはいろいろと尋ねられた。医師から指摘されるまでもなく、私には睡眠と栄養が極度に不足しており、酒量が適量をはるかに超えていた。そして、大きなストレスに晒されているはずだとも言われた。医師からは精神科の先生に診てもらったほうがいいとも言われた。

都合24時間ほどを病院で過ごし、マンションの部屋に戻ってきた。競艇の開催日なので病院から直行してもよかったのだが、倒れてまた迷惑を掛けてもどうかと思った。玄関のドアを開けて中に入った。キッチンのいつもの椅子にカラスはいなかった。寝室にも姿はなかった。カーテンが風に揺れているだけだった。コーヒーを淹れて飲んだ。久しぶりに安らかな気分だった。自分でもうすうすというか意識すればそれなりに強く認識していたのだが、ほとんど毎日のように賭け事をするというのは、かなりしんどいことだった。それがストレスの原因だか遠因だろうとは知っていた。そろそろ潮時かなと思った。

なんだか眠れそうな気がして、掛け布団をめくると、カラスの風切羽が一枚落ちていた。その羽を枕の横に置いて、私は二日間眠り続けた。

(この回終わり)


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