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「半自伝的エッセイ(33)」チェス、競艇、不眠

私がチェスを指さなくなった経緯は書いたが、チェス的なもの、つまり勝負事に対する熱望自体が焼尽してしまったわけではなかった。ある時、スポーツ新聞の競輪欄を見ていたら、隣のページの競艇欄が目に入った。競艇は戸田さんに連れて行ってもらって以降、一度も脚を運んだことがなかった。配当が安いのと、どことなく胡散臭さを感じていたからなのだが、何年か前に三連単が導入されたことは知っており、だったら儲けることができるのではないかとふと思った。6人しかいないのだから三連単でも120通りしか選択肢はない。

スポーツ新聞を見ると最寄りの競艇場でレースが開催されていた。さっそく私はその競艇場へと向かった。

ちょうど昼時だったのでまずはカレーを食べてから、水面に近い席に陣取った。舟券を買う予定はなかったが競艇新聞を買い、最終レースまで観戦した。初夏だったので見ているだけで心地よかったが、ただ見ているだけでは時間を無駄に費やしているので、おそらく競艇における肝であろう、1周1マークに6艇がどう入ったかを赤ペンで記入していった。家に戻ってそれを確認すると、あまり多くのパターンがないことが判明した。

翌日も私は同じ競艇場に朝から赴き、やはり1周1マークの展開を競艇新聞に書き込んでいった。それを5日間続け、得られたデータを突き合わせると、やはり多くのパターンは確認できなかった。チェスの序盤と比べたら、とてもシンプルだった。これはいとも簡単なことなのではないか?と私はチェスの経験から思った。1周1マークをチェスの序盤に置き換えると、それはチェスを始めたばかりの人の手筋ぐらいにやさしく感じられた。

そこで私は競艇の研究にのめり込むことになった。おそらくそうしたことにのめり込んでしまう質なのだろう、1周1マークのパターンをすべて網羅した序盤定跡を整えた。今度はいかに利益を出すかという段になって、私は頭を抱えることになった。どういうことかと言えば、三連単で組み合わせが120通りしかないとはいえ、というか組み合わせが少ないゆえに、かなり点数を絞って買わないとリスクに見合う払い戻しが期待できないのであった。私は競艇場で水面を見ることなく、オッズが放映されるテレビ画面を朝から夕方まで凝視してた。しかし、どうしても三連単を買って儲ける手筋を発見できずにいた。

チェスで言えば完全に手詰まりであった。しかし、そんな私の努力に報いてくれるような気づきがあった。昔ながらの二連複である。理論的に考えれば、二連単の半分ほどのオッズが二連複になるはずであるが、どういうわけか競艇の二連複は二連単の7割ほどのことがかなりあり、三連複よりもずっと配当がよかった。だったら二連複を買えばいいのではないか?

そこからまた私の研究が始まった。競艇に興味のない人にとっては退屈だろうから詳細は省くが、配当が低い二連複でも十分に儲けられることが判明してしまった。チェスは棋力が同じぐらいであれば、少しずつ形勢を良くしていくしかない。ちょうどそれが感覚的に競艇で二連複を買うことと通じていた。

ここからの私は今思っても馬鹿なのだが、仕事を辞めてしまった。競艇で暮らそうというのである。実際、一日に2、3万円ほど利益が出た。最寄りの競艇場でレースが開催されるのが月に18日ほどなので、暮らせるだけ以上のお金は稼ぐことができた。もちろん、外れる日も含めてのことである。

しかし、そんな暮らしを続けて一年ほど経った頃から、私は強烈な不眠症に悩まされることになった。どれだけ酒を飲もうが、どれだけ疲れていようが、まったく眠れないのだった。明け方にうとうとできたかと思うと、もうカーテンの外が白み始める。不思議なのだが、睡眠が足りていなくても朝が来ると目が覚めてしまうのだった。よって睡眠不足が常態となってしまった。

舟券の買い方はいくつかの条件を設けて機械化していたので、それで頭を悩ますことはない。だとするとなぜ不眠症になってしまったのか、私にはまるでわからなかった。わからないまま最寄りの競艇場でレースが開催されている日は休まず足を運んでいた。もしかしたら、ボートの大きなエンジン音が不眠の原因ではないかと疑ったことがあった。だが、もしそうだとすると、競艇場に近いところに住んでいる人は多くが不眠症になっていなければならないが、そんな話は聞いたことがなかった。

不眠症の原因がわからないまま競艇場通いを続いていたが、ある夜(といっても明け方だろうが)、珍しく深い眠りを得たことがあった。久しぶりに夢を見た。自分が何年も前に指したチェスの棋譜が次から次へと再現されていた。そこに盤も駒もなく、夢の中に流れてくるのは、d4、Bf5、Nxe4などの符号だけだった。符号だけが際限なく流れてきた。やがて膨大な符号の羅列が渦状腕のある銀河のような形になった。それがゆっくりと回転を始めた。自分であろうと思われる存在がその銀河の中心部に近づいていく。近づくにつれ、「もうこのまま死んでもいいな」という気分になった。それはとても心が安らぐ感覚だった。

目が覚めて時計を見ると午後の二時を回っていた。久しぶりに十分に寝ることができた。しかし、競艇場に行くには遅かった。一年半以上、開催日には必ず出掛けていたが、初めてサボることになった。

競艇場に行く代わりに私は書店に行った。宇宙のことが無性に知りたくなったからである。数冊の本を買って家に戻った。どうせ眠れないのであれば、その時間を使って宇宙について学ぼうと思った。

(この回続く)


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