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映画『コーダ あいのうた』感想

予告編
 ↓

PG-12指定


フランス映画『エール!』のリメイク作で、昨年の第94回アカデミー賞®で作品賞を含む三部門を受賞したヒューマンドラマ。

毎度のことながら公開当時の感想文なので、文章内に記載されている時期・時節の話がズレているかもしれませんが、何卒ご容赦ください。


エール


 冒頭のタイトルバック。画面の中心を区切るかのような水平線は、聾唖者側と健聴者側の社会の狭間に居る主人公を表したかのよう。ここで提示される水面という境目が、後々の湖のシーンでも意味をもたらしてくれます。

……しかしまぁ、実を言うと感想文を書く前に宇多丸さんの批評を聴いちゃってさ笑。水平線以外にも画面を分割するかのような描写があるとは気付かなかった……。悔しいからもう一回観に行きました笑。やっぱプロの批評は凄いなと、改めて思い知らされる。今に始まったことじゃないが。

そう、余談ですが、私はよくRHYMESTER宇多丸さんの映画批評を聴いています。マジでオススメです。



 去年の暮れぐらいだったかな。劇場で予告編を観た時、「フランス映画の『エール!』にそっくり……っていうか、まんまの物語だなぁ」と思って調べたら、リメイク版だったと知って驚いた記憶があります。

制作国……、要は言語が違うので劇中で用いられる曲が変わっていたくらいで、物語自体はほぼ一緒(まさか『Both Sides Now』を持ってくるとは。『エール!』の『Je Vole』も良かったけど。 本作の歌詞は詩的な雰囲気が強めの印象です)。

ただ、どちらも良い話。『エール!』も本作も、それぞれ本国で一位を取ったらしく、「イイ話は良いのだ!」と改めて思い知らされる。その上で「じゃあ何が違うのか」ってのがミソなのですが、本項の冒頭で述べたこと等々、ほぼ一緒だからこそ違いが際立ち、そこに作り手の想いが垣間見えてくる。とりあえず、この物語自体の感想から先に述べて いきます。



 『エール!』の中にも少しはあったけど、それ以上に多くの汚い言葉が飛び交っていたのは面白かったです。あくまで手話で交わされるのみで、実際に音にしている時も、基本は主人公・ルビー(エミリア・ジョーンズ)が家族の言葉を通訳しているという流れがほとんどだったので、言葉の汚さが和らぎ、ユーモアとして楽しめる。“どうせ健聴者にわかりゃしない” からこそ平然と用いるわけで、そんな態度のおかげか、彼らからは耳が不自由であることに対しての引け目を感じづらい。勿論、不都合や不便さなども描かれてはいるけれど、それだけで暗くなったりしないのがこの物語の良いところ。まぁそういうワードが増えた分『エール!』とは違って本作はPG-12指定になっているのかもしれないけど笑。



 主人公・ルビーの家族は、彼女以外全員が聾唖者。聴こえない家族と聞こえてしまうルビーの対比がとても印象的。家族は、他人の噂話や冷ややかな視線に気付きにくい。だからこそ明るいというよりは、元来の人間的な明るさが故のような気もしますけど、ルビーだけは気付いてしまう。そして “聞こえない” という事実が、ルビーの声 —— ルビーの気持ち —— すら聞き逃すという良くない方向に転じる時もあった。

その後、奥様同士の雑談に入れずにいる母親・ジャッキー(マーリー・マトリン)や、居酒屋で談笑する漁師仲間を眺めているだけの兄・レオ(ダニエル・デュラント)が描かれる。ルビーと家族が上手くわかり合えなかった後にこれらが描かれるおかげで、疎外感や居心地の悪さを感じていた家族の脳裏に、きっとルビーのことが大なり小なり浮かんでいるんじゃないかと思わせてくれる。


 (昨年公開の『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』(感想文リンク)でも出てきた言葉だけど、)彼らは耳が聞こえないことをハンディキャップには感じていない。けれど、”聴こえないこと” が痛烈に表現される瞬間がある。これは『エール!』でも同じ表現方法だったけど、映画を観に来ている人、要するに健聴者である人々にとってはとても異質な時間が流れる。シンプルだからこそ際立つ見所の一つだったと思います。

以上のような描写の数々があったからこそ、それぞれが理解し合おうとする瞬間がとても感動的に感じられました。落ち着いて本音で語り合おうとする母親、声を出していないとは思えないほど迫力のある身振り手振りや表情で気持ちをぶちまける兄など、家族それぞれで伝え方が違うのも良い。中でもやっぱり、学校での歌の発表会後の夜、家の外での父親・フランク(トロイ・コッツァー)とのシーンが一番グッと来ました。



 ネタバレ防止のために内容の説明は省きますが、この物語を観ていると、“自身の夢ややりたいことはなるべく色んな人に語った方が良い” という考えが思い起こされる(……どこで聞いたかは覚えてないけど、割と色んな人が言っている気がする)。伝えること、知ってもらうこと、理解してもらえることで、それが背中を押してもらうこと、応援してもらえること等、自身への “エール” に繋がっていく。何年か前に『エール!』を観に行った時は考えもしなかったけど、こうして観ると改めて “エール” の意味を考えてしまう。

「家族の犠牲になるな!」と、不格好ながらも怒ってくれた兄のセリフからもわかる通り、単なる応援だけではなく、後ろ髪を “引かせない” ようにするのもエールの形の一つなんじゃないかな。



 本作では「健聴者がいなければ漁に出てはならない」という役所からのお触れが出てしまい、家族が酪農家だった『エール!』以上に、主人公の夢への障壁が明確で険しいものとなっていた印象です。
ここ数年だけでも、より一層、人々の夢ややりたいことが、経済的な事情や社会的な事情に妨げられ易くなってしまったことがわかり、当時の社会との変化への気付きもあるのだけれど、以前に観た時とは感性や考えが変わっていることに気付けるという意味でも、やはり ”リメイク版” というのは面白い


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