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映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』感想

予告編
 ↓

PG-12指定


モラル? デリカシー? So What?!


 DCEUはMCUに比べると連続性は薄い印象。それでも世界観は共有しているので、大なり小なり過去の関連作品を知っておいた方が楽しめるんじゃないか?と思う人も多いはず。しかし残念ながら、昨年大ヒットしたトッド・フィリップス監督の『ジョーカー』(感想文リンク)は関係ありません。

 本作の公開直前辺り、巷で流れていたティザームービーやCMで「昨年社会現象を起こした『ジョーカー』の恋人」という旨のナレーションが入っていたのは如何なものかと思ったものでして笑。原作のコミックスでは恋人同士とはいえ、昨年大ヒットした『ジョーカー』はDCEUじゃないから、この宣伝文句はとても卑怯。虚偽広告寸前な気もします。事前に観ておくとしたら『スーサイド・スクワット』(感想文リンク)(以下:スースク)ぐらいですが、まぁ本作に関しては、事前知識無しでも問題無く楽しめます。



 本作は、主人公のハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)が一体どういった人物なのかを体現したかのような映画。ちょっと説明しづらいんですけど、ハーレイのイメージビデオ、もしくは「この映画は彼女そのものだ」と思うのが手っ取り早いのかな?

 まず冒頭に、ハーレイ・クインの生い立ちを説明するアニメーションが流れます。彼女自身のモノローグで描かれるこのシーンは、いわゆる自己紹介。そしてその喋り口調から、彼女がお喋り好き(しかもかなり自己中)なことが窺い知れる。その後、パーティーで飲めや歌えやの乱痴気騒ぎに興じている姿が描かれていく。偏見で申し訳ないのですが、世間で言うところのパリピみたいな人間たちの集まり。

 ……といった具合に、物語が進行していくわけなのですが、ここぞという場面で必ずと言って良いほど「あ、ちょっと待って♪」と、彼女の勝手気ままなモノローグが入り、物語が前後する。それも、何度も何度も。なんて乱雑な編集、めちゃくちゃなタイムラインかと思わされるけど、これこそ彼女らしさ。人の話を聞かず、自分の話ばっかりで、しかも話の筋が曖昧で、あっちに行ったりこっちに来たり、整合性や辻褄なんてお構い無しの支離滅裂なお喋りは、とてもイマドキの女の子っぽいのかな、なんて笑。本作を「彼女そのもの」と言いたくなる要因の一つです。

 或いは「彼女自身が本作を編集しているんじゃないか?」とすら妄想できて楽しくなってきます。それでこそ俯瞰のナレーションとの相性も良くなるしね。

 まぁ一方で、こういうのが苦手な人は本当にNGになりかねない……。残虐非道の数々、モラルやデリカシーの片鱗すら窺えない彼女が、反省を口にしたり助けを求めたりした時には「どのツラ下げてそんなことを言うのか」と感じることもあるでしょう(僕にはその自己中な愛嬌が面白かったのですが)。



 編集も然ることながらアクションシーンも凄く楽しい。ヒロインのアクションシーンで、金的を喰らわすのは時々目にしますけど、二人連続で金的ってのは初めて見たかもしれません笑。こういった躊躇いの無さというか遠慮無しの感じ(?)も彼女らしさの一つ。

 そして不道徳が故か、後先何も考えずに火薬を使いがちな彼女の戦闘シーンを、まるでパレットの上の絵具を撒き散らしたかのようにカラフルに彩るのも面白い。今思えば、Jとの決別をした冒頭の爆発シーンもそうでした。タイトルバックを煌びやかにしている上、吹っ切れた彼女の頭の中はまさにこんな景色なのだと示してくれているようだし、何よりこの配色の妙、正解に囚われずに絵具を無闇矢鱈に掻き混ぜているような色彩遊びが、アクションシーンの痛々しさを軽減してくれる。あまりに暴力的でありながらも楽しく観られるのは、この色使いのおかげと言っても過言ではないかもしれません。

 或いは人の痛みがわからない彼女が主人公だからこその演出なのかとも思える。でも最期の最後だけはめちゃくちゃグロい倒し方をするから、それもまた面白い笑。



 DCEUでのハーレイ・クイン、そしてマーゴット・ロビーの魅力がスースク以上に溢れていた本作は、彼女を含めた女性キャラたちの活躍も見どころの一つ。近年、女性の活躍を描く作品が増えてきている印象ですが、本作はこれまでに無かった新しい形で女性の活躍を描いていたように思えます。

 本作のメインの女性キャラたちは、復讐や仇討ち、依存や未練など、何かしらの形で男の存在が隘路になっていたり、囚われていたりしました。そんな彼女たちがハーレイと関わっていく過程で次第に変化していくのが面白い。例えばですけど「男にだって負けていない」「女の方が凄い」のように、先述の “女性の活躍を描く作品” の多くが、結局のところ男性との比較をする形でフィーチャーされがちだったけど、本作には「男が居ようが居まいが関係ない。私は私」という感じが出ています。

 過去の恋人におさらば、無能な上司におさらば、女性軽視のボスにおさらば、仇の男におさらば——。

 過去に囚われず吹っ切れたかのような彼女たちのクライマックスの大暴れは、シンプルに楽しい。正直に言うと、最期の最後にJの声が流れてきた時、ちょっと『スースク』のラストを思い出したというか、彼の登場を期待したのです。けれどそこで登場しなかったのは、今述べたような、そういった作品としての個性を尊重してのことだったんじゃないかな?


 冒頭に連続性がどーのこーの述べましたけど、DCEUはキャラクターそれぞれの個性・魅力に特化しているからか、ストーリーとは別に「このキャラが今後どう関わっていくのか」という点で、結局今後の展開が気になってしまう。要するに、今後も楽しみで仕方ない。DCEUはいっつもこうなんだ!笑


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