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映画『オッペンハイマー』感想

予告編
 ↓

R-15+指定



最近サボってたけど久しぶりにまとめて映画感想文投稿しようかと⑥


 素敵なイラストがあったのでサムネで拝借しました。


音響の負荷


 原子爆弾の開発を成功させたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマー(以下:オッピー)を題材に描いた歴史映画。

 クリストファー・ノーランの最新作ということで。あくまで個人的にですが、「IMAXで観ない」という選択肢は無かった本作。結果、IMAXで観て良かったです。「どうせ、とんでもない音響なんでしょ?」とわかってはいましたが、やはり凄まじい。とにかく、そんな話から始めようかと。


 ノーラン監督作で言えば本作に限ったことではありませんが、一番の見どころ、もとい聴きどころは “重低音”。いや、実を言うと耳を澄ませることなど不要で、否応なしに鼓膜に叩き込まれる。単純に“迫力”という意味でも、良質な音響環境での鑑賞が最適なのでしょうが、今回の重低音は迫力という意味以外でも非常に効果的だったと思います。

 「ゴゴゴゴ」とか「ズズズズ」といった文字が似合う重低音。地鳴りのような、或いは衝撃音のような、時には正体不明の音なんかも混じっている。それらは、たとえば “次第に大きくなる”、“適度な音量”といった観客にとって受け入れやすい形で流れ出すことはほとんど無い。急にカットインするように流れてくることばかり。

 原爆の威力を、あるいはその発明・研究課程で主人公オッピー(キリアン・マーフィ)の思考を過っていた脳内イメージを表現するかのような重低音ですが、正直言って、あまりにも観客に優しくない音の使い方。観客にとってはストレスになり得る気さえしてしまう。
 静かなシーンをぶち壊すかのように突きつけられる大爆音の重低音。しかしその直後、急に途切れて元のシーンへスイッチする……かと思いきや、またもや重低音の嵐。時には、しつこいくらいに長々と重低音が劇場を支配するシーンさえ描かれる。

耳が疲れる、いや耳だけではなく、大きな重低音のせいで必然と震わせられるために、人によっては体中が疲弊するような錯覚すら起こしてしまうかもしれません。この大音量の重低音によるストレス、プレッシャー、不快感といった負荷の数々を、観客は半ば強制的に味わわされる

 原爆についても多く描かれてはいますが、それ以上にオッピー自身についての描写が多かった本作故、これらの〈負荷〉は、まるでオッピー自身が心情的に感じていた負荷を暗に表現していたようにも見えてきます。



 ある時、得体の知れない音が連続して流れてくる。地鳴りのような、細かく弾けるような……。その正体は、原爆の開発を成功させた “原爆の父・オッペンハイマー” その人の話を聴こうと、或いはその姿を一目見ようと集まった聴衆のざわめきでした。壇上に上がるオッピーを前にし、大喝采と共に、客席で興奮の地団駄を踏む聴衆の様子。

 その映像は、視覚的なことだけで述べるならば、彼に対する称賛の意を込めた、唸りを上げる大歓声……しかし、次第にそのシーンから歓声や拍手の音は消えていき、地鳴りのような音だけが取り残される。先述したような、〈負荷〉を思わす重低音。

 同じ空間——喝采や歓声——の中に居ながらも、オッピーだけが、周囲の人々とは違う精神状態にあったこと、すなわち「ヒロシマ」に対する受け止め方が大きく違うのだと示してくれているよう。こういった見せ方が幾つもあったことが、本作における重低音を〈負荷〉などと呼びたくなってしまう要因。



 ノーラン作品では珍しいことではありませんが、タイムラインが前後するような見せ方が多かったり、あとは題材が題材なので難しい文言が飛び交ったり等々、簡単にはまとめ切れない内容である本作ですが、一つハッキリと感じられたのは、反戦、反核というテーマ。色んな形でそういった意図を汲み取れましたが、中でも強く感じられたのは「神」を引き合いに出すような語り口。

 ラビ(デビッド・クラムホルツ)が、原爆の研究、その意義への懸念を吐露するシーンにて。そんな彼に対し、(あくまでこの時点では)研究を続ける意義を強く主張するオッピーは、目の前に座っているラビに対し、決して目線の高さを合わせることなく、立ったまま上から見下ろすように話し続ける。

 本作で幾度となく「神」、或いは「神サマ気取り」と揶揄されていたオッピーですが、ここで見せていた素振りはまさしく、神を気取っているかのような振る舞い。……結果的には死神だったわけですが。


 「神」とはまさに、人の手に余る。禁断の領域。触れてはならないものの象徴。冒頭に流れるプロメテウスの話もそうですが、本作は「人の手に余るものを生み出したオッピーは、延いてはアメリカは凄い~」という話ではなく、原子爆弾、それに核開発というものが人類にとって如何に禁忌であるのかということを、人の手の届かない「神」という虚像を用いながら表現し、オッピー自身の葛藤も併せて描きながら反戦・反核を唱えていた映画だったのかもしれません。



 先述した通り、内容が内容なので簡単にはまとめ切れない物語ではありますが、相変わらず観客を物語へ惹き込む画作りは素晴らしい。グラスのボウルの中に積み上げられていくB玉の描写などはわかりやすい表現の一つでしたが、その他にも、例えば空席だらけだった彼の講義が、カットが変わる度(時間経過の度)に参加者が増えていたり、時には円形に椅子が並べられていたりする。

僕のように、仮に科学的な話に着いていけなかったとしても、そういったビジュアルが挟み込まれるだけで原爆の研究の進捗具合が窺い知れてくるから面白い。

 また、歴史的にも何が起こったかがある程度は認識されている物語でもあるので、それこそ冒頭のプロメテウスの話も然り、目にするものや描かれることの全てが含蓄ありげに感じられてしまう。劇薬を仕込んだリンゴ、どこか不穏さばかりが際立つBGM……観た方それぞれで、引っ掛かるポイントは異なってくると思います。



 またもやとんでもないものを見せつけられました。基の題材が題材なだけに議論を呼びやすい映画でしたが、本作はあくまでもロバート・オッペンハイマーについての映画。原爆について、核兵器について、広島についての映画を、いや映画に限らずとも、今後は海外からだけではなく、日本からも生み出されることを待ち望んでしまいます。。。


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