映画『天外者(てんがらもん)』感想
予告編
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本日、7月18日は故・三浦春馬さん(享年30歳)の命日。
公開当時の感想文ですが、よければどうぞ。
記憶
コロナによる公開延期。そして主演である三浦春馬さんの急逝。どうなることかと思っていた本作でしたけど、無事に劇場公開されることになって良かったと思います。
歴史の授業とかで近代史は勉強したはずなんだけどなぁ笑。本作の主人公・五代友厚のことは良く知りませんでした。なんとなく名前くらいは……というのが正直な所です。様々な功績を残した彼の半生を描く本作。そのクライマックスに語られるモノローグで、その功績などについて「誰も気付いていない」って流れてきた時はギクッとしたよね笑。
でも!本作を観たおかげで気付くことはできた。本作はそういう映画なのかもしれません。まぁ史実に準えられた物語だから気にする必要はないかもしれませんが、一応、若干のネタバレ御免です。ところどころで感じてしまうCGと実写の違和感、いかにもスタジオ内で撮影しているような反響音とか、気になる部分はままあったものの、観て良かったと思います。
物語の舞台は幕末から明治初期にかけての日本。坂本龍馬だなんだと、この頃の偉人たちは人気者が多い印象でしたけど、こんなにカッコイイ男がまだ居たのか!という感じ。功績だとかもあるけど、やっぱり一番の魅力は人柄。なんていうか、五代友厚は他人を否定したりしないんです。罵詈雑言、逆恨み等々、常人の精神力じゃ平静を保っていられないような四面楚歌な状況ですら芯がブレない。たまに何か言い返す時も、否定ではなく、必ず未来の話をする。はるさん(森川葵)の「日本は変わった?」という質問に対して「まだ」ではなく「もうすぐ」と答える感じからもそういうきらいが窺い知れます。
物語の序盤では子供たちの相手をし、挙げ句の果てにはビショ濡れになって、それでもなお子供たちと一緒に大笑いしていて……。この度量の広さというか懐のデカさというか、これは一体どこから来るのだろうか……。逆恨みで五代に斬りかかってきた若者が、傷口を見て慌てて(=事の大きさに狼狽して?)逃げ出すシーンが描かれていましたけど、五代はそんな時ですら決して取り乱したりしなかった。自身の命を狙う輩に囲まれても同様。殺されるかもしれないという覚悟、或いは、たとえ死ぬことになってでも成し遂げたい志があるからこそなのか。他者からの理解や賛辞より、世の人々の笑顔や幸せのために行動するというのはなかなかできることじゃない。
とはいえ、先述の「誰も気付いていない」というモノローグが流れてきたクライマックスを見ていると、「ああ、五代の情熱が世間に届かぬまま終わってしまうのか」という虚しさみたいなものが込み上げてくる。しかしその直後、五代の通夜から始まるラストシーンが全てを掬い上げてくれた。彼の功績、延いてはその想いは世間の人々にちゃんと伝わっていたんだと教えてくれるシーン。大阪の人々の大行列は、まるで『ペイ・フォワード』のラストシーンをも彷彿とさせるよう。そして人々が手に持つ提灯の明かりは、『ペイ・フォワード』の同シーンでの車のフロントライトのよう。彼がいなくなっても彼の信念は消えずに残っていること、そしてその無数の光の連なりが、未来への希望をも暗示しているかのような素晴らしい締め括り。
本作は五代友厚への敬意に溢れた映画であり、「誰も気付いていない」とすら言われてしまう彼の功績を忘れてはならない——後世の人々の記憶に残せるような価値がある――と言わんばかりです。そしてこういった考察は図らずも、そんな彼を演じた三浦春馬という俳優にも当てはまってしまう気すらしてしまいます。
終盤、大阪商法会議所で見せた彼の演説は、三浦春馬が「さわやか」などと謳われていたことを疑ってしまうほどの熱量と泥臭さ。まるで枯れたような叫び声が、五代友厚の最期と同時に三浦春馬の最期まで想像させるみたいです。こんなものはこじつけですけど、今となっては「極めて遠い場所」「遥か空の彼方」などの意味を持つ “天外” という文言までもが仕組まれたかのように感じてしまう。これらの考察は映画の本筋とは関係ないかもしれないけれど、五代友厚という男を人々の記憶に残すことと同時に、結果として、一人の俳優の存在を人々の心に深く刻むことになったわけで……。上手く言えないけど、記録ではなく記憶というかさ、教科書だけじゃできないことを可能にする、映画の魅力の一つを再認識させられたんです。映画のラストに映し出されるテロップからは、単に冥福を祈るだけではない、それ以上の感情が乗っかっているようにも感じた人も多いんじゃないかな。
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