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映画『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』感想 

予告編
 ↓ 


昨日に続いて、本日も劇場版クレヨンしんちゃんの感想文ですー。

昨年公開の劇場版……
なのですが、今回はあまり良いことを書けていません💦

随分と生意気な能書を垂れてしまっております。すみません……。

……たまにはこんな感想になっちゃうこともあるよね?



頭でっかちの戯言です。すみません。


 普段、「なるべく良いところを〜」だの「面白く思えないのは自分のせい〜」だのと能書きを垂れておりましたが......ごめんなさい。本当にごめんなさい。今回の劇場版は、そのぉ...、あんまりね......笑。

 去年、一昨年の劇場版クレヨンしんちゃんは、とても素晴らしい仕上がりにも関わらず、コロナの影響でお客さんの入りが(少なくとも僕が観に行った回は)あまり芳しくなかった。まぁスカスカとまでは言わないけどね。今年は、まん防や緊急事態宣言が解除されたタイミングでの公開ということもあり、少しは家族連れが増えているんじゃないかと期待して、敢えて公開日から少し経ったゴールデンウィークのタイミングで劇場へ。いやぁ楽しかった。ほぼ満席。上映前も上映後も、なんだったら上映中も騒がしい。ポップコーンをこぼす子も居るし、本編上映前の予告ティザーが流れている時に「しんちゃんは〜?」とごねる子も居たし笑。これぞクレしん映画の醍醐味。ホントにもうゴメンね? 毎年同じことを書いちゃうけど笑、やっぱり子供のリアクションが気になるから、クレしんの劇場版だけは家族連れで賑わう中で鑑賞したいのです。



 ひょんなことから家族と離れ、忍の里で暮らすことになったしんのすけ。一方、しんのすけの居ない野原家と行動を共にする、忍びの里出身の5歳児・珍蔵。それぞれのシーンを往復することで対比のようになっていました。しんちゃんと同じ齢でありながらも大人に迷惑を掛けない品行方正な珍蔵に対して、「全然わがままを言わない」「きっと色んなことを我慢している」と口にするひろしとみさえ。明確に言葉にはしていないが、誰が聞いても、まるで「しんのすけに比べて手が掛からない」と言わんばかりのセリフだった。ある種、どんな時でも子供のことを考えている証拠でもあるし、そんな描写があるからこそ、他の子供たちが親に甘える姿を黙って見つめているしんのすけの様子から、言葉や表情に出していないだけで、 実はしんちゃんも珍蔵と同様に、寂しい気持ちを我慢していることが読み取れる


 ここで何故しんのすけの心情を直接描かないのかは、単に映画的な切り口というよりは、これまで描かれ続けてきた〈野原しんのすけ〉という人物像によるもの。例えば彼はほとんどの場合、真正面から笑ったりしない。過去には笑顔や涙を見せることもあったけど、その多くは表情を直接描かずに、シーンの状況や間などの演出面だけで表現してきた。様々な要因でもって敢えてド正面で描くこともあったけどね。

珍蔵との対比は、故・臼井先生が仰るところの、野原しんのすけに宿るハードボイルド性を保つ有用な手段だと感じました。


 しかし、残念ながらこれが次第に崩れていく。少なくとも僕個人には。


 去年、一昨年の劇場版クレヨンしんちゃんの批評とは打って変わり、なかなか本作を好きになれない理由はここなんです。珍蔵も泣いて、しんちゃんも涙を流して......。簡単に泣き顔を見せ過ぎな気もするし、同じような振る舞いを二重に描写してしまっては、対比にしたメリットが掻き消されてしまう印象があるんです。ただでさえしんちゃんの泣き顔はデリケートなものなのに、それでなくても泣き顔の多用は安く映り、 ドラマというよりは、登場人物の心情を説明しているだけのようにすら感じてしまう。


 ハードボイルド性は決してクレしん制作時の絶対的ルールでも何でもないし、『オトナ帝国』や『戦国大合戦』の原恵一監督が過去のインタビューで述べていたように、〈しんちゃん映画の形〉に囚われ過ぎるのも良くない。でもそれは(原監督がインタビュー内で語っていた危惧のように)作り手の都合で歪めて良いわけでもない。あまりにも納得できなかったので、実はこの感想文は本作の鑑賞から一週間以上経過してから書いています。一時の感情で扱き下ろしてしまわないようにと。

少しは気持ちが落ち着いたものの、やっぱりわからないまま。本作の監督も脚本家も過去の劇場版に携わっていた方だったし、期待して観に行っただけに落胆は大きい。


 冒頭に描かれた、しんのすけが産まれた時のエピソード。「しんのすけ」という名前の由来については原作コミックス通りだったものの、その前後のくだりは多少異なっていました。基本的には原作改変にやいのやいの言うタイプではないんだけど......。それこそ先述のような “作り手の都合で物語を歪めている” ような印象を受けてしまいました。



 とはいえ、クレしんらしい良い話を楽しめたので、それだけで充分だったのかもしれません。終盤に描かれる、子供たちの “もののけの術” のシーンからは、たとえ理想の自分でなくても肯定でき得るような、作品全体としての優しさが滲み出ていました。

また、ひまわりの誕生と同時に、主人公の立場が一人っ子からお兄ちゃんへと変わった『クレヨンしんちゃん』。今回の劇場版では、下の子が生まれるまでの記憶や想い出を改めて描いており、それも非常に素敵でした。もうすぐお兄ちゃんになる珍蔵の存在も活きていたしね。

去年、一昨年の劇場版でも描かれていたような、個を尊重するようなテーマを内包しつつ、過去の劇場版からずっと大切にされてきた家族愛も押さえていた本作。テレビ放送の永劫回帰する日常を飛び出し、主人公の心の変化を描くという劇場版ならではの魅力もありました。好きが故に、もとい、自分の激しい思い込みが故に偏屈な感想になってしまいましたが、どうか ご容赦ください。


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