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映画『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』感想
予告編
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過去の感想文を投稿する記事【24】
過日、2020年公開の『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』の感想記事を投稿しました。
ということで今日は、その翌年(2021年)に公開された劇場版クレヨンしんちゃんの感想文を投稿するゾ
例の如く、公開当時の話(コロナ禍がどーのこーの)も混ざってはいますが、お読み頂けたら嬉しいです
「じゃ、そゆことで〜」
代弁
クレしん映画は大人も楽しめる——いつ頃からそんなことを言われるようになったのかはあやふやだけど、だからといって子供を置き去りにはして欲しくない。クレしんもコンプラを意識してか、「ゲンコツ」が無くなっていたり下ネタが減少傾向だったり等々、近年ではマイルドな表現が増えているけど、クレしんならではのナンセンスなユーモアが子供たちに届いているかを確認するためにも、劇場での子供たちのリアクションはとても気になるところ。
とはいえ、昨年に続き、いや昨年以上にコロナの猛威は収まるところを知らず、特に子供連れのお客さんの入りが若干少なかった印象。夏休み中だったからもう少し入っていると思っていたんですが......。
しかし、今年のクレしんも最高だった! 昨年公開の『ラクガキングダム』は、『雲黒斎の野望』以来となる原作エピソードを基にした物語という前情報があったものの、本作はそういったものが特に無かった(学園が舞台ということで「もしかしたら『えんぴつしんちゃん』の要素が入るかも」という期待は少しあったけど。主題歌もマカロニえんぴつが担当しているし笑)ので、すっかり “気を抜いて” 観に行ってしまった笑。
......いやぁ、やられた。もうクレしんファンには堪らないんじゃないでしょうか? もう語りた過ぎて我慢できそ うにないから、平然とネタバレします。悪しからず。
劇中で描かれた、風間君の手紙に綴られていた〈エリート〉についての言葉。実は原作コミック43巻に、風間君がしんちゃんのことを “心のエリート” と評しているエピソードがあるのです。これがめちゃくちゃ良い話でさ! ......とまぁそんなことはさておき、まず、クレしんファンならこの手紙のシーンで必ずこのエピソードを思い出し、胸がグッと熱くなるに違いない。そして何が憎いかって、実はこの原作エピソードがテレビシリーズでアニメ化された際、一番のキラーフレーズ(だと勝手に思っているワード)である「心がエリート」というセリフがカットされており、おそらく一部の原作ファン(っていうか僕個人)は、かなりガッカリしていた。そんな “もう聞くことは叶わない” はずの台詞を、まさか劇場版で拝聴できるとは夢にも思わなかった! もうこれだけで涙腺ガバガバですよ笑。
そこから始まるマラソンシーン。終盤でしんちゃんが何度も転んでは立ち上がって、負けじと頑張って走り続ける姿が描かれています。ここで、沿道で応援している学園の生徒や仲間達が「頑張れ!」という声援を掛け始める。何度も何度も。
これ自体は決しておかしな描写ではないのですが......
もうここからは作品の考察というよりは妄想かもしれませんが、このシーンは、名作『オトナ帝国』を彷彿とさせるんです。『オトナ帝国』の中で、しんちゃんが未来を手に入れるために一生懸命に走るシーンがあるのですが、先述のマラソンシーン同様、何度も転んでは立ち上がり、ボロボロになりながらも懸命に駆けている感動のシーン。なんと公開当初(もう20年も前の話ですが)、とある劇場内にてそのシーンに差し掛かった際に、観に来ていた子供たちによる「しんちゃん頑張れ!」という大声援が起きたのだとか......。
もはや逸話というか、ある種の都市伝説みたいなものなので真実こそ定かではありませんが、オリンピックのマラソン競技を沿道で観戦できない現実然り、下手に声を出せないコロナ禍だからこそ、本作で描かれる「頑張れ」の大声援は、まさしく観客の子供たちの声を代弁するもの。これは、原作コミックスへのリスペクトだけではなく、過去の劇場作品へのリスペクトをも感じさせる素晴らしいシーンだと思います。
本当のことを言えば「心のエリート」というワードが流れる前から既に泣きそうだったわけで笑。上手くいかなかったり、たまに喧嘩もしちゃうけど、手紙の文章だけでも風間君がちゃんと皆を——しんちゃん、ネネちゃん、マサオくん、ボーちゃんのことを——よく理解しているのがわかる。
一方で、しんちゃんに会えなくなることについて「寂しい」と、珍しく明確に言葉にして気持ちを吐露していた母・みさえの姿も然ることながら、“夏休み” という本来であれば子供にとっては楽しくて仕方がない時期にも関わらず、なかなか友達と会うのも難しいとされるご時世で、......何て言うんだろうか、友達のことを、延いては会えない人のことを想う・考える気持ちを思い出させてくれる。それこそまた、そんな気持ちを “代弁してくれている”。本作には、そんなことを感じさせてくれる魅力があるんじゃないかな。
友情や家族愛など、勿論これまでの劇場版でも描かれてきたものも含みつつ、昨年に引き続き “子供たちの自由” みたいなものがテーマになっていた印象でした。
時代の変化や技術の進歩と共に色んな分野が深掘りされ、様々な分野と繋がれるようになり、一見すると自由度が広くなったようにも思えるのに、広がって、色々知ってしまっているばかりに息苦しく不自由になっているんじゃないか。
野原しんのすけのような心が何かを気付かせてくれるんじゃないか。幼稚園児ほど子供でもなく、しかしまだ大人ではない。まだまだ心の不安定な齢の人間が集う “学園” という舞台を、嵐を呼ぶ5歳児が引っ掻き回してくれた。まさしく作品の主人公のキャラクター性が輝く物語でした。
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