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学校の先生の言うことなんて信じるな

「大人なんて信じられない」

子供から大人になる頃、よくそう思っていた。僕は「先生」が大嫌いだった。それは今も変わらない。トラウマのようなものだろう。故に、自分が「先生」と呼ばれるのも嫌である。

卒業文集を投げつけられたあの日

僕の仕事はWEBライターだ。文章を書くことを生業にしている。ライターと言うと、昔から読書好きだったりとか、国語が得意そうに思われがちだがそうではない。

むしろ苦手だった。国語はおろか勉強そのものも苦手だった。でも今はWEBライターとしてお金を稼いでいる。ライターには文章力は必須だし、ものを調べたり、情報を整理する能力は必須なので、ある意味勉強もできないと行けない。

文章を書く力が後天的なのか生まれつきなのかは分からない。ひとつだけ言えることは、「やるか、やらないか」だけだ。僕は後者を選んだ。だから今がある。

あれは忘れもしない、小学校6年生の時の学校で出来事だ。6年生は課題として卒業文章を書くことが必須だった。卒業文集に乗せるための。そして、僕は卒業文集を書いて、提出した。

その当時の先生は今も忘れない。「山口先生」だった。小学6年間で男性の教師に当たるのは初だった。

ある日、みんなの前で僕は山口先生に呼ばれた。そして次の瞬間、自分の書いた卒業文集をみんなの前で読み上げられ、非難され罵声を浴びせられて胸ぐらを捕まれ、そしてぶん殴られた。

今は当時に比べて保守的な、教育になったので考えられないかもしれないが、当時は「殴った教師」が悪いのではなく「殴られた生徒」が殴られるような悪いことをしたと見なされ、一方的に生徒側劣勢だった。

ずっとトラウマを抱えていた

山口先生にみんなの前で殴られて自分の書いた卒業文章を投げ捨てられ、それを拾わされた。小学6年生とも言えど、相当な屈辱とやるせない気持ちだった。そのクラスには当然、好きな女の子もいた。

その後、僕はずっと自分の書いた文章はもちろんのこと、作品を発表するのも気が引けた。というか、完全にトラウマになっていた。いつもはバカばったりしているクラスメイトもこの時だけは、慰めの言葉をかけてくれた。

それくらい、ひどい仕打ちだったのだ。「いじめ」なんて言葉じゃ片付けられない。他のどんな点が良かろうが、誰がどうだろうが、人間として最低な教師だった。

あの日以来、僕は心に深い傷を背負うことになった。

トラウマを乗り越えて今がある

「盗んだバイクで走り出す」とは尾崎豊の歌だけど、僕はその後なるべくしてグレた。もはやグレることが自分の存在意義であり、自分にされた仕打ちに対する唯一の反抗でもあった。

そんな中、僕は楽器に出会った。あの日以来、自分の声を人前で聞かれるのはトラウマだったが、自分の内なる声をギターという楽器に変換することで、僕は”自己表現”という「武器」を手に入れた。

あの日の自分に打ち勝ったのだ。あのトラウマに。山口先生に。僕はその後読書が好きになり、本を読み漁って文章力を身につけた。そしてギターの演奏の次の自己表現のステップに文章を書くという手法を身につけた。

人は後天的に望んだ形になることができる。むしろ生まれ持った才覚もあるのかもしれないが、それが大人によって蓋をされることはよくあることだ。それを打ち破れるかは自分次第。裏を返すと他人がどれだけ自分を痛みつけようが、何を言おうが、人生は自分次第でどうにでもなる。

内なる声を聞いて生きろ

この経験から言えることは、外野の言うことなど自分の人生にはさほど関係ない、ということだ。もしあるのだとしたら問題なのは、自分何かをいう他人の言動ではなく、自分がそれをどう思ったかである。


自分の解釈がそこにあるだけで、真実はどこにもない。物事の背景には色々なことがある。それに惑わされずに、内なる声に耳を傾け、自分の信じた道を歩んでいけるかが、成功の分かれ道だろう。


僕は成功したい。あの日の声に負けたりなんかしない。その声に耳を傾けた瞬間、それは僕の人生ではなく、僕を非難した他人の人生を生きることになるからだ。


僕は書き続ける。そして夢を描き続ける。他の誰でもない自分の人生を自分の羽で自由に飛び回る。WEBライターとしてアーティストとして、トラウマを背負った人間が壁を乗り越えて、かつての学校の先生というトラウマたちを飛び越えていく様を僕は描いていく。


<おわり>


k.okajiy

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