見出し画像

「なんであんな可愛いだけの女が売れるんだ」とつい悪態をついてしまうバンドマンへ ~~「たたかう」か「にげる」を選ぶ話


先日、

『よくギャルバンや弾き語りの女の子と対バンしたバンドマンが「俺らの方がよっぽど音楽性は良いのになんであんな可愛いだけの女の方が客ウケ良いんだ」と悪態をついてるけど、まさか彼らは、女の子が生まれた時から可愛いと思ってるんだろうか?』

『彼女らがただ可愛い「だけ」になるための努力たるや凄まじく、肌を潤わせる液体を塗ったりまつ毛を伸ばす液体を塗ったり、あと何かいろんな箇所を揉んだり、どう少なく見積もっても毎日30分は身体を触っているのだが、そういうこと言うバンドマンは1日30分楽器を触っているんだろうか』

とツイートした。


なんかこれだけだと「努力しろ」とか「努力した奴は偉い」とか「努力しない奴はだめ」とか「かわいい女の子に敬意を表せ」とかそういうことを読み取られてしまいそうだったので、これっぽちも拡散しなくて本当よかった。

私は別に努力に価値を見出してるわけではない。むしろ毎日3時間練習しててもそれだけでドヤ顔してる奴はヤバいと思う。(後述)

私が言いたいのは、


「俺らの方がよっぽど音楽性は良いのになんであんな可愛いだけの女の方が客ウケ良いんだ」と悪態をついて思考停止してるバンドマンは

「もったいないな」

と思う、ってことだ。



■嘆くだけじゃもったいない

確かに、「音楽性の良さより可愛さに票が集まってしまうライヴハウス」を見て、嘆きたくなる気持ちは私だって共有してるけど、それを嘆くだけじゃ「勿体ない」。

その現状から考察できることは、たくさんあるはずだ。

たとえば

「あーやっぱ可愛いって人類最強コンテンツだよなー音楽だけじゃ容易に勝てねえよなーよし俺たちも可愛さを導入しよう」

とか

「可愛さだって音楽と同じで磨くためにはセンスが問われるわけだし突き詰めれば芸術になるものであって、そこでの芸術点は評価すべきだよなー」

とか

「てか今時『ライヴつまんないからiPhoneでマンガ読もうー』が出来ちゃう時代なわけで、可愛いと音楽どころか全ての娯楽や芸術が同列に並んでるわけだ。可愛いと同列に並ばされることでイラついてる場合じゃなかった」

とか

「俺たちはライヴハウスにいること、すなわち一応ここは『音楽をやる場所』だっていうテイによって守られてるんだよな。そこに可愛いが進出してきたから不快なだけで、しかし一歩ハコを出れば人類最強コンテンツの「可愛い」と戦わなきゃいけないのは当然なんだよな俺だって可愛い『だけ』の女は好きだ。ただ可愛いってだけで惚れるしヌくし親切にする」

とか

「俺は可愛い女じゃないから可愛さじゃなくて音楽にリソースを全て集中できて良かった。その分音楽が余計に良くないといかんよな。それこそ1日30分の分だけ余計に」

とか

「実はあいつらの可愛いは見た目だけじゃなくてMCにもあらわれてるんだよなー見た目は真似できないけどMCはマネできるかも。てかなんで俺たちはMCでいっつもかっこつけてるんだろ? あの子たちみたくお客さんを一回でもクスリとさせたか? ホッコリさせたか?」

とか

「可愛いだけの女の子についてた客、基本キモいオタクみたいな男ばっかだったけど、あいつらはなんでライヴハウスに来るんだろ? 可愛いだけの女の子が見たいだけならアイドルとかAVとか他の現場もあるのに、なんでここに来るんだろ? 実はあいつら、可愛いだけの女の子を求めてるだけじゃないのでは?」

とか。


何も考察を得ずに「ウオー悔しいーもっと練習してやるー!!」って発奮する奴が一番ヤバいと思う。なぜならそれは思考停止だからだ。


■戦略は「たたかう」か「にげる」

可愛いだけの女と同列に並ばされて、かつ負けることが不快なら

・たたかう
・にげる

しかなくて、戦うなら戦い方、逃げるなら逃げ方があるので頭を使わないとヤバい。大事に育てた技術と才能に日の目が当たらず腐ってしまうことになる。それが一番ヤバい。ちゃんと自分の才能を愛してあげて! って思う。

戦うとしたら、前述のとおり真似たり、学んだり、パクったり、差別化したりすればいいと思う。
逃げるとしたら、可愛いと同列に並ばされない場所に「逃げる」ってことになる。
それはちょうど、伝統芸能が守られているように。


■「にげる」のやり方

例えば、能は基本的には能楽堂でしか行われなくて毎回能楽堂のスケジュールをチェックしてる固定ファンがついてて鑑賞のマナーとかもしっかりしてて携帯も観ちゃダメなわけだし可愛いだけの女が跳梁跋扈したりはしない。技術と才能を磨いた人がちゃんと守られている。そういう場所の音楽ヴァージョンを探してそこにだけ出れば良い (ない? なら自分で作るか他人に頼ってくれ)(才能と技術を守りたい人は絶対いるから大丈夫だ、まー伝統芸能じゃないから国からお金もらえなくて金回り悪いけどね大体)!

もうひとつ例を挙げると、私が一番くみしている「純文学」というジャンルも実は伝統芸能で、賞を獲れば権威も地位もえられるし(金はろくにもらえないよ!)、純文学の雑誌に載る権利も得られて純文学大好き固定ファンにちゃんとチェックしてもらえるしそこでは「同じ文字なら面白ツイートの方が面白い」とか「いくら最高の小説だって可愛い女の子の可愛さにはかなわない」とかとやかく言われることはない。(たまに可愛い若い女性小説家が「女流」とか言ってちやほやされることもあるが、まあ生身の身体でなく文字しか露出しない小説というメディアの特性上、ライヴハウスほどあからさまにちやほやされたりはしない。)

私はどちらかというと純文学のせせこましさとか「分かる人にしか分からない」感じが嫌で「逃げ」てきてライヴハウスに出始めた人間なので、実は可愛い女の子と同列に並ばされても全然ムカつかない。常にツイッターや可愛い女の子や音楽やライヴや、あらゆるコンテンツとありがたく戦わせていただきたいなと思ってるしめちゃめちゃパクる。

しかし、私が「にげる」を選んだ場所も、実はある。


それはポエトリースラムジャパンだ。


■私が「にげ」た話 ~~転んでもたたじゃにげない

というのも、私は「ダサいもの」がめちゃめちゃ嫌いなのだ。
私は性別や年齢や学歴では差別しない(ように極力してる)が、ダサい奴は全力で差別するし、
ダサいものは絶対にパクりたくないし真似したくないし1mgでも身体に取り込みたくないから全力で逃げる。

ポエトリースラムジャパンは私に言わせると「ダサいものが評価される」場所だった。
詳しくはここに書いたので省くが、私が忌み嫌う「ダサさ」というのは、例えば、

・「俺は言葉の力を信じてる」(あるいは逆に「言葉なんて無力だ」)とか「マイク一本で立ってんだ」とかやたら言って本題に入らない(言葉に関する自己言及)

・ハンディキャップ(例・貧乏、上京苦労話、片親、中卒等)をアピールした上で「でも俺けなげに頑張ってんだ!」と言う(弱者アピール)

・「初めてだけどがんばる」とか「今、何をはなすべきか悩んでる」とか「今日来てくれた人ありがとう」とか言ってコンテンツじゃなくてアティチュードで内申点上げようとしてくる(誠実アピール)


などだ。ダサい!!!!!!!!!!!!


でも、私が「イケてる」と思った奴はことごとく負け、私が「ダッセー!」って思った奴が勝ちあがったのがポエトリースラムジャパンだった。

だから私はもう出ないことにした。

私がポエトリースラムジャパンで惨敗した直後は大荒れに荒れ、

「私の方がよっぽど芸術性は高いのになんであんなお涙頂戴公開オナニーの方が客ウケ良いんだ?!」と悪態をつきまくってた。そう、可愛いだけの女に悪態をつくバンドマンと全く同じ文体で、悪態をついていた。


しかし私は超絶あざといので、帰宅後、


「あー、別にポエスラに限らず世の中なんてそもそもダサかった。インターネットだってお涙頂戴感動話ばっかりシェアされリツイートされてやがる。世界はそもそもダサいのだ」


「ああいう、人類に標準装備されてる『お涙頂戴感情トリガー』を引くことは、たまーーーーにやると超絶強い効果を発揮する。やっぱ本能に根差されてるだけに、強力である」


という知見を得て、たまーーーーーーにあざとく引いている。


そうやって私は、バンドマンも可愛いだけの女もクソダサポエムも自分に都合の良いとこだけバクバク喰らってつぎはぎだらけのキモいキメラな最強の化け物・2017年ver.になるのである。


■「たたかう」「にげる」じゃなくて「まほう」を

あ、余談だけど、私は、ゆくゆくは「たたかう」「にげる」じゃなくて「まほう」を選びたいと思っている。


それはつまり「若くて可愛い女の若さや可愛さが過剰に評価され、長い目で育てるべき才能を伸ばす機会を潰され、短期的にちやほやされてある程度の時が過ぎると手のひらを返したように「若い時のやり方なんか通用しないよ」「もうババアだろ」と言われる状況」自体に、メスを入れることだ。

今のこの女の若さ可愛さに不当に高いレートがかけられてるクソ日本の状況って、可愛い女の子にとっても、それに悪態をつくバンドマンにとっても、そしてオーディエンスにとっても、実はめちゃめちゃ不幸なのだ。

わたしは、「ライヴもやっちゃう物書きおばさん」として経験値を積み重ね、年齢や性別や見た目とかでつまらんカセをハメてくるクソJAPANの息苦しさにほんのちょっとでも風穴を開けたいと思っている。実は歌詞も全部同じことを言っている。自分を愛そう、バンドマンらよ。



↑年齢職業肩書サブカルカテゴライズやクソジャンル分け等に鋭意抵抗の意を示す渋澤怜のライヴ動画。


■エピローグ

この記事をアップする前に身近なバンドマンに読ませたところ

(ライヴは音楽性のみならず、人自体や体験全体の面白さで評価されるものだ、という見識を共有している男だ)、

「そもそも可愛くない女の子の音楽性は低いのではないだろうか」


「すなわち、自分のキャラクターを意識してない奴の音楽性は(男だろうが女だろうが)低いのではないか」


と言われた。確かにこいつはキャラが立ってるし男女関係なくモテてるし音楽も格好良い。


おそらく彼が言いたいのは、男女関係なく「可愛さ≒自分のキャラクター」を追求すべきだし、それは自身の芸術の質と直結する、ということだ。

こう書くと違和感がある人がいるかもしれない。だって、「可愛い」以外の魅力もあるだろ、と。


しかし私は、「可愛い」というのは(少なくとも今の日本では)めちゃめちゃ重要なキーワードで、「可愛い」はやっぱり最強の誉め言葉だし、多くの魅力は「可愛い」という一語に統合できると思ってる。

そしてもはや「可愛い」を、若い女以外の存在にも使いまくることで逆説的に私の「まほう」は成就するのではないか? と思っている。


その辺の話は、稿を改めて書きたい。

スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。