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「きっと誰かが見てくれてる」と考えるとメンタル病みますよ

努力したり
人のために自分の時間や
労力を犠牲にしたり

性格のいい人ほど
誰も見ていないところで
みんながやりたがらない仕事をしてあげたり
縁の下の力持ちとして
頑張ろうとする。

もちろんそれによって評価されて
人望を産むこともあるのですが

基本的に自分のことを
自分以上に関心がある人は
いないと思って良い

辛うじて小さい子供の親だけは
大きな関心を他人である
自分の子供に寄せてくれるでしょうが

基本的には
自分のことを常に見ているのは
自分だけでしょう。

だからどれだけ周りのためになることをしても
必ずしもそれが評価されるわけではないんですね。

もっと言えば
評価されるような仕事をする方が
周りのためなんです

誰も気が付かないような仕事をするより
周りにわかりやすく感謝されるような
仕事や気遣いをする方が

実は本当の意味で優しいんですよね。


「ありがとう」の言葉は
言う方も言われる方も
幸せにします。

つまり
相手に感謝されるようなことを
してあげた方が良い
わけで
相手が気が付かないような
勝手にあなたが気を遣って
してあげたことに対して

「なんで自分は評価されないんだろう…」
「これだけ、みんなのためにやってるのに…」
「誰かが自分のことを見てくれているはず…」

と思うのは
甘えであり
自己中心的なことだと思います。


相手にプレゼントをあげるとして
相手が必要としていない
自分がお勧めしたい物を
プレゼントをするようなものです。

見方を変えれば

何をすれば最も相手が感謝するだろうか?

という風に考えた方が良いということです。

自分はこれだけやってあげているんだから
いつか評価してもらえる!

という考え方は

なんでこんなにやってあげているのに
気づいてくれないんだ!

というストーカー的な思考に近いと
私は思っていて


他人に対する期待というのは
かえって心の余裕を無くしてしまいます。

「〇〇してあげた」と言う人には近づかない

そしてそんな自分の期待通りの反応がないと
自分の口から

「〇〇してあげたから〜」
「〇〇してあげたのに〜」

と言っちゃうわけです。

周りにいませんか?

「これだけ仕事やってあげたのにあの人、感謝しないんだけど」


と言う人。

確かにその気持ちはわかるのですが
自分がしてあげたことを
〝周りは見てくれているはず〟
と思うこと自体が
自意識過剰なわけです。

たまたま他人が見つけてくれて
評価してくれることもありますが
必ずしも誰かが見てくれるわけではない。

そういう人は
ギバーのようなテイカーなので
私は近づかないようにしています。

優しい人のようで
優しい人と思われたいだけの人
なんですよね。


じゃあ何もしてあげなくて良いのか?

そう言うと

「じゃあ何もしてあげない方がいいじゃん」

と思う人もいるでしょうが
それは違うと思います。

人知れず誰かのためになることを
行動できることは素敵なことだと思います。

ただ
見返りを期待しなきゃ良いわけです

見返りが欲しいのであれば
相手が感謝したり
お返しをしたくなるような
相手のニーズを見つけ出せば良い。

そうでなくても

善意で何かをしてあげたのであれば
行動した時点で完結しましょう。

私も人に自慢できるような
いいことをした経験は
あまりありませんが

何かをしてあげたとして
見返りは期待していません。

「俺、やっぱ優しいなぁ〜」と自分に酔いしれよう

何かしら
人助けや人のためになることをした時
どうしても賞賛して欲しい時は

「俺、やっぱ優しいなぁ〜」
「誰かのためになる一日を過ごしたわ〜」
「俺、めっちゃいい人やん」

と自分に酔いしれましょう。

自分で自分を褒める。
それだけでも行動した意味があるってもんです。

自分で自分を褒められる人は
他人にも優しくなれます。

他者承認が得られなくても
自己承認したらいいわけです。

少なくとも

「〇〇してあげたのに〜」

と勝手に期待して
勝手に不満を持つと
性格は悪くなるし
メンタルを病むから
やめた方がいいですよ〜

というお話でした😉

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