見出し画像

他人軸で生きることが自分軸になっていた頃の話

今日は日曜日なので
いつものお堅い話ではなく
過去の思い出話でもしようかと思います。


割とこのnoteで
私が書いていることって
基本的には自分自身の体験だったり
感情の揺れ動いた出来事や
人との出会いをもとに
書いているんですけど

昔からずっと書いているテーマとして
自分軸〟について
取り上げることが多いと思うんですよね。

最近も書きましたし。

なんで
〝自分を持つことが大事〟
だとか
〝他人に流されてはいけない〟

的な発信をしているかというと

私自身が
〝自分軸〟を持てない
人間だったんですよね。

学生の頃なんて
何にも自分で決められない人だったと思います。


習い事も
ほぼ全て親の意向で

習字
水泳
剣道
英会話

など
気がついたら
習わされていました。

辞めたい時も
辞めさせてもらえず

本当に習いたかったのは
野球だったりして
中学の部活を選ぶ時も

結局野球部には入れず
剣道部に入ったんですよね。

それは別に親から反対されたとか
そういうわけじゃなくて

新しいことをする勇気がなくて
今まで続けてきた剣道の方が
成果が出せそうだし
好きじゃないけど
まぁ居場所を作りやすそうだから
何となく続けてたんですよね。


中学の頃に
B'zにハマって
ギターを始めたくなったんですけど
親に強く交渉できず

高校に入学するまで
ギターを始められなかったんですよね。

そして
大学に行く気はなかったんですが
親を強く説得することもできず
何となく受験をして
取り敢えず大卒の資格だけ取って…

バンドで飯食って行こうか
迷っている時も
親から猛反対されて
揉めに揉めて
バンドメンバーとも色々あり
結局看護師を目指すことに
なったんですよね。


これって別に
親のせいとか
周りのせいとか

そういうことを
言いたいわけでは全くなくて

節目節目で
自分を信じられなかった
自分に対して
コンプレックスを感じているんですよね。


だから
節目節目で腹を括っていないから
迷いが何%か残っていたんですよね。

大きな失敗もしてないつもりでしたが
今思えば
取り返しがつかないくらい
大きな失敗してきたんだと
思うんですよね。


もちろん今でも
いろんな選択に対して
迷いは生まれるんですよ。

今は今で
家族や仕事
持ち家など
かけがえのないものを
手にした代わりに

自由に生きられているわけじゃない。

それはそれで
仕方ない部分もあるんですけど

またそうやって
〝仕方がない〟

で後悔するんじゃないか?

という自問自答をすることが
少なくない。

諦めが悪いとも言えるし
夢見がちなモラトリアムとも言える。

人生に対して
過剰な期待を持っている
とも言えるかもしれない。

ただいずれにせよ
自分を殺さないことは
自分の人生を歩む上で

絶対に忘れちゃいけないことなんだと
強く思うわけなんです。

自分がどうしたいか?
を無視し続けると
それが自分を嫌いになる
きっかけにもなってしまいますから。


世の中がどう変わろうが
周りが変化しようが

自分の人生の主役は
自分以外の人に代われないんですよね。


毎日毎日
主役でいることを忘れずに
生きていかないと
絶対後悔する。

そう思って
また明日から1週間
主役を演じていきましょう😌

サポートしていただけると相当喜びます😭