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ストレスをゼロにしようとしない

パワハラ(パワーハラスメント)
モラハラ(モラルハラスメント)
セクハラ(セクシャルハラスメント)
マタハラ(マタニティハラスメント)
リスハラ(リストラハラスメント)
ジェンハラ(ジェンダーハラスメント)
テクハラ(テクノロジーハラスメント)
リモハラ(リモートワークハラスメント)


現在ハラスメントは
約60種類以上あるとされていて
ハラスメントがインフレを起こしている
という人もいます。

生きやすい世の中にしようという
取り組み自体は
とても大事なことではあるのですが

このようにハラスメントが
拡大解釈されてしまうと

かえって人間関係が
面倒臭いもの
という認識を強めてしまう
側面があって
逆に生きづらい世の中になるという
本末転倒なことが起きかねません。



こういった世の中の流れには
どういう背景があるのか?

そして生きづらいと感じる時
どう対処すべきか?
という話を今日はします。


◯世の中はより良くなっている


以前も書いたことがありますが
世の中はより良くなってるとは思うんですよね。

昔みたいに
理不尽に怒鳴りつける
近所のおじさんや
飲み会で説教する先輩も減った気がしますし

礼儀やマナーなども
年々悪くなっているわけでは
ないと思うんです。

もちろん全員が善人という
わけではありませんが
30年少々生きてきて
嫌〜な人は
減っていると思います。



ただ
その分ストレス耐性は
確実に落ちているんですよね。



たとえば

500円
1000円
1500円
3000円のラーメンがあったとして

1500円のラーメンを
高いとは感じにくいですが
それは3000円のラーメンが
そこにあるから
相対的に判断しているだけで

そこに3000円のラーメンが
メニューから外れたなら

500円
1000円
1500円
のメニューの中で

1500円ラーメンが
途端に高く見えますよね。


人間関係も似たようなもので
悪い人が減ったとしても
良い人の基準が上がるだけで

一昔前であれば
些細なストレスでしかなかったことが
繰り上げして
大きなストレスに感じてしまうということです。


◯世の中は自分に都合良く動いてくれるわけじゃない


皆さんフキハラってご存知ですか?

何かお願い事をした時に
しぶしぶやってもらったり
不機嫌に対応されることが
苦痛である

というハラスメントらしいです。

これって認知(ものごとの受け取り方)が
少し歪んでいると思っていて



・お願い事は快く引き受けてもらうものだ
・お願いは断らないものだ

という考え方を持っているから
相手が不機嫌に対応をされた時に
ストレスを感じるわけです。



ですが
周りにいる人は
自分に都合よく動いてくれるわけでもなく
自分の気分が良くなる言葉を
言ってくれるために
存在するわけじゃない。

その人には
その人の考え方や
ロジックがあるわけです。


フキハラに関わらず
周りにいる人が
自分に都合よく
行動するわけがないよね

という前提を持つことで
冷静になれるんですよね。


悪質なセクハラや
パワハラをする人を
容認するわけではないですが

この世の中は
みんなが少しずつ嫌な思いをしたり
譲りあったりして
成り立っているわけで

ストレスを一切無くそうとしてしまうと
他人にストレスを押し付ける形になりかねない。

そもそもストレスを
周りや環境に働きかけて
ゼロにしようとすることに
無理がある
わけです。



むしろ
ストレスをゼロにしようとすればするほど
小さなストレスですらも
排除したくなってしまって
余計にストレスを感じるようになる。

世の中がより良くなったとしても
ストレスを感じることは
なくならないという前提は必要で

自分のものの捉え方を変えて
ストレスを軽減する方法を
考えてみると
生きやすくなるかもしれません😌

サポートしていただけると相当喜びます😭