Ray

「奇跡のコース」の世界観を軸にエッセイを書いています。 主な参考図書 / 奇跡講座・…

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「奇跡のコース」の世界観を軸にエッセイを書いています。 主な参考図書 / 奇跡講座・神の使者・この宇宙は夢なんだ・天国から離れて

マガジン

  • リアリティ 〜実在〜

    実在するものは何も脅かさない。 真のリアリティを求めて、気づいたことを纏めています。 主に、2000年の時を経てこの世に言葉を残しにきたイエスの書『奇跡のコース』を基にしています。 ほか参考図書 / 神の使者・この宇宙は夢なんだ・天国から離れて

  • 謎解き・ツインソウルの正体

  • エッセイ

    思ったこと、伝えたいこと、書きたいこと、

最近の記事

真実の世界へ、ようこそ

哲学者が買いた面白い本があるので、紹介したい。 そしてそれに付け加えたい事がある。 著者はスコット・ハーショヴィッツ アメリカ在住、ミシガン大学の法学および哲学教授 その中から、二箇所抜粋する。 【・・・神学的な問題を提起する。シミュレーション仮説が正しければ、ほとんどの世界にはそれぞれの創造主(その世界を設計したエンジニアたち)がいることになる。その創造主たちは、シミュレーション世界の住人にとっては全能であり全知だ。彼らは神なのだろうか? それは形而上学的な問題を提起

    • 世界はなぜ地獄になるのか

      『世界はなぜ地獄になるのか』 それは、人々の罪悪感を投影し合うからだ。 『世界はなぜ地獄になるのか』 橘玲さんという方が書いた著書があり、少し興味を感じて図書館で借りてみた。 この人はこの世界を地獄だと思っているようだ。 誰もはっきり言わない現実の地獄化という現象を、何を持って地獄というのか、そして答えは出たのだろうかと思って読み進めた。 内容は世界のどこかで起こっている戦争をテーマにしているわけではなく、日常的に起こる人々のいざこざや、キャンセルカルチャーと言われる偽

      • 古都京都

        下の娘と二人で京都旅行をした。 何年振りだろう。10年は軽く経っていると思う。 前回もその娘とだった。 不登校で中学の修学旅行に行かなかった娘に、京都を堪能して欲しいと、嵐山、清水寺、金閣寺などメジャーな場所を忙しく観光した。 今回は、大人になった娘がおしゃれなカフェや美味しい居酒屋を探して連れて行ってくれて、観光もその流れで無理なく回れる範囲で立ち寄った。 京都は海外からの観光客も多く、バスもタクシーも簡単に乗れないと聞いていたが、有名な観光地を外したからか、まだ紅葉

        • 赦しの極意

          奇跡のコースの赦しとは、この世界の許しの通念とはまったく意味が違う。 罪を見てそれを許していくのは大きな間違いになる。 コースで扱う赦しとは、罪を犯す事が出来る人は存在しないと言う大前提があり、罪と見られる現象は幻想(夢)なので、幻想を取り消して行くという、あくまでも自分の思考の革命なのだ。 罪の意識の世界からお互いが解放されるような思考革命。 罪人(と見られる人)を心の内で可哀想だと憐れんだり、その言動をただ見過ごす行為をしたり、また、人からの攻撃に、悔しいと思いなが

        真実の世界へ、ようこそ

        マガジン

        • リアリティ 〜実在〜
          28本
        • 謎解き・ツインソウルの正体
          5本
        • エッセイ
          2本

        記事

          二元性の統合と単独者の話

          物理の概念では主に、二元論とは観るものと観られるものとに分かれることを言うという。 観察対象と観察者を区別するだけのようで、そこには陰陽とか対極の概念はなく、 ただ二つであることを認識するに過ぎない。(と、わたしは解釈している。) 考えてみれば明暗も白黒も、はっきりとした二分ではなく、この世はグラデーションである。 日没の一瞬の景色は、果たして明るいと言えるのか、暗いと感じるのか、 それはその人のその時の受け取り方による。 男女でさえ曖昧で多様な性が現実にはある。 コース

          二元性の統合と単独者の話

          悟りとは

          わたしから見たこの世界は、矛盾だらけの混沌とした世の中で、誰も本当の幸せに気づいていないように思うのだが、それはわたしの心のレベルの反映(投影)だから、実際皆さんの深層心理は分からない。 もしかして、皆さんはとっくに悟りを得ていて、わたしだけがこの世界に取り残されているのかもしれない。 皆さんはとっくに目覚めており、その肉体には誰も存在せず(その肉体を持ってこの世界を観察する霊、もしくは魂と呼ばれるものはおらず)、それでも映像や音だけがわたしの太古からの記憶でそのまま投影

          悟りとは

          AIと自我

          悲しいから泣くのでは無い。 泣くから悲しいのだ。 自分の身体でさえ、流れていく映像の一部であり、心はそれに反応していく。 そこに自由な意志はない。 自分の感情が自分から湧き出ていると思うのは幻想である。 この世界に巻き込まれれば巻き込まれるほど、人はこの世界の物語の奴隷になっていく。 誰かを好きになる事も然り。 物語通りに出会い、別れる。 恋に落ちたという感覚も、嫌気がさす思いも、嫉妬も高揚も、すべてこの物語を私たちが自然に受け入れられるよう、あたかも自分で発見したかのよ

          AIと自我

          歎異抄を解く(因果律)

          歎異抄とは、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の言葉を弟子の唯円が書き残した仏教書である。 その中にこんな会話がある。 (内容をわたしなりに脚色しておく。) 親鸞「これから話す事が、極楽浄土にいくため必要な条件だとしたら、言う通りにするか?」 唯円「親鸞さまのいう事は絶対なので、必ずします!」 親鸞「それでは人を千人殺しておいで。」 素直な唯円はそれが極楽浄土にいくための絶対条件だと知り、人を殺めるために出掛けたが、しばらくして戻ってきた。 唯円「親鸞さま、わたしには千人ど

          歎異抄を解く(因果律)

          天国の存在

          目の前で起こっている現象は、すべての心の投影である。 存在すると思っている人物も実はそこには存在しない。 わたしたちの記憶にある情報から、それらは精密に映像化されている。 肉体を含め自分の外側は何もない。 本当は誰もいない。 見ている私しかいない。 真理は対象は存在しない。 ここでは主にコースの世界観である一元性(真理)の世界を書いて行きたいと思っているのだけど、真理を二元性の文字や言葉で表すことには限界があり、もともと脳は一元性を理解することは無いと言うので色々と矛盾も

          天国の存在

          パラレル・ワールド

          決定論の概念の存在により、自分が信じる思想に信憑性が加わり嬉しく思った。 しかしコースの理念はとてもそんな中途半端なものではない。 決定論を部分的に見ているのは、コースからすると何も理解していないのと同じである。 コースの理念は多くの人に浸透するには、あと500年は掛かると言われている。 暫くは世界的にマイノリティ思想である事は自覚していなければならない。 コースの実践は原罪を顕在化させるゆえに、慎重さが必要なのだ。 この理念を受け入れないと言う姿勢は、潜在意識でその原罪の

          パラレル・ワールド

          心理学的決定論

          『我々には自由な意志など存在しない。 全ての行動は意志で決まるのではなく、環境との相互作用の必然的な帰結として決まっている。 我々は自主的に生きているのではなく、環境からの作用によって「生かされている」。 我々は操られている。 我々は神、つまり環境と身体の相互作用によって生じる脳内活動という不可避で圧倒的な人間を操作する力の奴隷なのだ。』 〜光文社新書「未来は決まっており、自分の意志など存在しない。」妹尾武治著より抜粋。 心理学にとっての常識というわけではないが、ひとりの

          心理学的決定論

          トラウマやカルマ

          この世界のレベルは何層にもなっていて、人は自由に選んで見ていけるのだろうけど、どれも一様に幻想であることには変わりない。 すべてそれは「何のためにあるのだろうか」と思考する材料にしかならない。 それが堅実なコース実践者の在り方である。 レベルの層とは、例えば身体を癒すという行為にしてもいろんな段階がある。 切ったり縫ったり薬品を使用したりする医学や、 整体やマッサージなど骨や筋肉に力を加えて不具合を治そうとする施術。 それらは主に体を物質と捉えているレベルのアプローチのた

          トラウマやカルマ

          光の体験

          昔、友人のセラピーによって自我を剥がされ真我が剥き出しのような状態になった時の事、 体の中に自分軸の様な丸太の物体を目撃して、気づくと魂の世界である五次元の空間にいるという体験をした。 可笑しな話をしていると思われるかもしれないが、わたしの体験した真面目な話なのでしばらく我慢して聴いてほしい。 当時の認識では空間のレベルをそう区別していたため、三次元から五次元にスライドしたと真面目に思っていた。 三次元は常日頃生活しているこの物質の世界の事で、五次元は真我である魂の世界、ま

          光の体験

          貧しき人々は、幸いである。

          「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」唯円の親鸞語録『歎異抄』より 「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 」 この二つの文章。一般的にどう解釈されているか詳しくは知らないが、わたしには同じ内容に思える。 恵まれた環境に生まれ、満たされた人生を送っていると思っている人には、どうしても気づかない事がある。 悪人だと非難され、この世界で認められることはなく、寂しく生命を閉じる人。 まったく恵まれず孤独に陥る人。 その人たちにこそ開かれる道がある

          貧しき人々は、幸いである。

          無辜(ムコ)の人々

          コースの実践はすべての現象に罪を見ないことから始める。 神の延長であるわたしたちの心はもともと罪を犯せない。 だから罪は存在しない。 罪と見えるのはただの間違いであり、間違いを取り消して行く事が赦しの実践であり、救済であり、奇跡であり、贖罪である。 コースはそこに気づいた時からその赦しを習慣としてコツコツと、この世界の時間が終わるまで続ける気の長い実践である。 ただただ、赦していれば良い。 それ以外のことは何も求められていない。 そうすればそのうち本当の目覚めが訪れる。

          無辜(ムコ)の人々

          私の外側の世界

          コースの基本概念は神ありという一元性の世界であり、 神の存在と関係のないこの世界、自分の外側にあるもの、それは自分の肉体を含めて全て幻想(無)である。 その幻想は自分の動作も発言もであり、どれ一つ例外はない。 例外のない事が、コースのシンプルさを示す。 判断をする必要は全くない。 自分の言動を含めてすべて立体的な映画だと思っていれば良い。 しかも、忘れているだろうけど、これは再上映である。 真実に存在するのはそれらを見ている自分の心(霊、魂)だけであり、 自分が愛している

          私の外側の世界