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トラウマやカルマ

この世界のレベルは何層にもなっていて、人は自由に選んで見ていけるのだろうけど、どれも一様に幻想であることには変わりない。
すべてそれは「何のためにあるのだろうか」と思考する材料にしかならない。
それが堅実なコース実践者の在り方である。


レベルの層とは、例えば身体を癒すという行為にしてもいろんな段階がある。

切ったり縫ったり薬品を使用したりする医学や、
整体やマッサージなど骨や筋肉に力を加えて不具合を治そうとする施術。
それらは主に体を物質と捉えているレベルのアプローチのため多くの人が受け入れやすい。

粒子のレベルで深く見ていくことで宇宙のエネルギーと同化(共鳴)させたり、チャクラ(エネルギーセンター)にフォーカスして肉体以前のものに注目したりというヒーリングの技法は、実際に物理的には何も動かさず、宇宙に委ねたり、心身に寄り添う意図を持ち、施術者の意識のみで整えて行く。
にわかには信じ難く宗教まがいと疑われがちだが、別の見方の身体の成り立ちの経緯がそこにはあるのだ。
それは信頼をそこに置けば確かに有効である。

人が受け取る効果はその人が信じている層によって違ってくる。
どれが優れているとは一様には言えない。

人の苦しみも何層にもなっているかのようにみえる。
虫に刺されたような、時が解決する些細な不快感から、
ふと思い出す嫌な記憶。
一生忘れられない苦痛を味わう出来事。
根拠のない何となく感じでいる不安。

苦しみを分析する行程で導き出したそれなりの回答の中には、
輪廻転生を繰り返す中で因果関係と言われている物事により蓄積されるカルマというものや、
身体に刻まれている心の傷のトラウマと呼ばれるものがある。
苦しみに真摯に向き合うことによって導き出した概念だと思う。
実際根拠のないような苦悩には、これらに原因を見て行くのが自然である。

カルマもトラウマもそのレベルにフォーカスすると、確かに存在するのだろうし、それに対するセラピーも存在する。
そしてそれなりに成果があると思っている。

しかし、長い魂の旅の過程で、目覚める事を選択した者にとって次から次へと訪れる苦痛に対しては、前世療法やソマティックと言われるそれらのセラピーは単なる一時凌ぎに過ぎない。
それらは自分に過去があることを肯定したり、前世の恐ろしい記憶を実在化する。
身体に閉じ込められたトラウマを解消するために身体を実在化する。
根本的には何一つ解決されることは無い。
コースの概念から見ればただ幻想を強化している事になる。

結局はすべて目覚めるまで永遠と繰り返される夢の台本の一部である。

原因をトラウマやカルマに置いたとしても、実はそれらもただの結果であり、その元になる原因は必ずある。
しかしなぜか人はそれを追及しようとはしない。
外側に原因を求めようとしていては永遠に見つけることは出来ない。

真理では、人の苦しみはすべて原罪と言われる神との分離を信じている人の罪悪感であり、それが肉体を含めた外側に投影されて色々な苦しみの表現になると言う。

人の無罪性を理解し、罪は犯せない自身の本質を受け入れることで、それらを取り消して行くことが可能になる。
自身の心が作り出した幻想を自分で取り消していくのだ。
原因は自分の中にある。

真理の上で治療法とはたった一つ、「神は咎めてはいない、あなたは赦されている。」と伝えることだけであり、実際イエスが生前起こした奇跡はすべてこれである。
それが、苦しみに対する究極的なレベルでの対処法である。


しかし人には段階というものがあり、あのイエスだって目覚めるまで何千年もかかっているのだろうから、赦されていると言われたところでキョトンとなるのが関の山である。
というか、かえって凄まじい恐怖感に陥る。
現実とのレベルの高低差が半端ないからである。


トラウマやカルマの苦しみは、その時信じているレベルで解消していくことが自我の書き起こしたシナリオなのだ。
そのシナリオは変更されない。
そしていつか、それだけではない真実と向き合う時が訪れる。


トラウマ
肉体の神経系に記憶される過去にあった出来事で受けた心の傷であり、ふとした事で湧き上がり、恐れを顕在化し強化させる。
記憶が湧き上がった時に、大きなスペースの安心の中で徐々に解消させていくことが効果的だと思われる。

カルマ
徳を積もうと思えば思う程、無意識にマイナスの要因を作るのがこの世界の原理である。
カルマを解消しようと思ってもがけばもがくほど、蟻地獄のようにこの世界から抜け出せなくなる。
罪を実在させている限り、その世界から抜け出すことはない。
結局は自分たちの一つの意識で作り上げた世界のシナリオであるため、
そのレベルで見ていくと全ての出来事は相互の関係で了承されたものだと思うことができる。

心理学の視点で、怒りを表現して吐き出す事が、ある時点では効果的かもしれないが、あくまでも一時的であり、それは恐れなどを実在させる事になり、本当の解決法ではないことをコース実践者は理解しないといけない。
忍耐する事とは別だと言うことも知る必要がある。

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