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二元性の統合と単独者の話

物理の概念では主に、二元論とは観るものと観られるものとに分かれることを言うという。
観察対象と観察者を区別するだけのようで、そこには陰陽とか対極の概念はなく、
ただ二つであることを認識するに過ぎない。(と、わたしは解釈している。)

考えてみれば明暗も白黒も、はっきりとした二分ではなく、この世はグラデーションである。
日没の一瞬の景色は、果たして明るいと言えるのか、暗いと感じるのか、
それはその人のその時の受け取り方による。
男女でさえ曖昧で多様な性が現実にはある。

コースの理念を通してみると、陰陽と言う概念もただの幻想なので、真理の上で統合することはない。
もともと人が自我の心で思考したこの世の全てのものは、神の国(天国)とは関係のないものなので、どれひとつとして神の国に持ち込むことはできない。

波動もエネルギーも幻想である。
陰陽五行説とやらも、いくつもの次元の世界観も然り。
神と分離した意識で創作したこの世の概念は、例外なく真理ではない。

この世の経験も思い出も、この世と一緒に消えていく運命にある。
名誉も成功もなんの価値もない。
中途半端なスピリチュアルの習得も意味がない。
与えられたこの世の才能は、神の国から遠ざけようとする自我の策略のようにも思える。

この世界の延長上にがあると思ってはいけない。

この世に存在する確かなものは、人の霊(魂)以外はない。
よってこの世界で統合が必要になるものは、おのずと霊の事だと考えられる。

では、霊の統合とは何か。
統合しなければならない霊とは何か。

<ここからわたしの独自の考察を含みます。>

神と神の子の分離の物語

神の子は、「もし、のように創造できるとしたら。」と考えた。

生真面目な神の子は、その想いはの力を横領しようとしたものだと思った。
神の子は大きな罪を犯したと思い、大きな罪悪感に襲われた。
あまりの恐ろしさのため気絶したように眠りに入り、幻想の世界に入り込んでいた。
そこが夢の世界だとは未だ気づいてはいない。

神の子はからの罰を受けることが恐ろしく、逃げ続けるためにとの分離の道を選んだ。
しかし罪悪感からは逃れる事ができない。
この罪悪感を何とかしないと、苦しくて押し潰れてしまいそうだった。

だったら自分の外側に投影すればいい。
そうすれば少しは心が軽くなるはずだ。
投影する対象が必要になった神の子は、それぞれの無数の魂に分裂した。

と同時にの目が届かない神の国の真裏側の世界へ逃げ込んだ。
そこは二元性の物質の世界だった。
その世界で姿を現すためには、観測者と観測対象とならなければならなかった。
そして個の魂が分離の現象を起こした。

すべてが罪悪感から来る投影だった。

神の子とはわたしたちの事。
この夢はわたしたちにとって現実になってしまっている。
そこには原罪と呼ばれるような罪は何もない。
もともとの延長であるわたしたちは、罪を犯すことが出来ない性質なのだ。
わたしたちはいくつも勘違いをし、間違いを犯しただけだ。
そしてそれを深刻に捉えてしまった。

ただの存在であるは、怒りを持ったり神の子を咎めたりすることはしない。
は放蕩息子の父親のように神の子が無事に戻ってくる(目を覚ます)ことを願っている。

しかし、わたしたちは今でもの怒りを恐れている。
そして、無意味な転生を繰り返している。


二元性の統合

の国にもどるためには、まずその個の霊の分離現象の一体化のために、統合が必要になってくる。
それが二元性の世界からの脱出である。(実相の世界へ)

そして、すべての霊が統合と覚醒を終えた時、完全な神の子に戻り、初めて神の国(天国)の扉を開ける。

改めてとの一体性を認識する。
そこは完全な一元性の世界。

個の霊の分離現象の一体化されたものを、イエスが単独者と言い表す文献がある。

単独者とは、コースの文中に記載はない。
それはトマスによる福音書に記されている当時のイエスが語ったという言葉の中にる。

<22>「あなたがたが、二つのものを一つにし、・・・男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、・・・そのときにあなたがたは、御国に入るであろう。」

人の原型はこのように両性具有というもので、二つに分離した性が一つに戻る事が天国に帰る条件のようだ。

もちろん両性具有という形態も幻想であるため、この世界でそのような現象が起きていたのかどうかは重要ではないが、概念として捉えれば、これは俗に言うツインソウルの事であるように思われる。
この発言が事実なら、当時の現実のイエスにツインソウルの概念があったということになる。

それまで誰も本当のを知らなかった人類の中で、唯一イエスはを知った。
真実の世界の第一原因である。

それは聖書に出てくる、人と契約したり、人を咎める神ではなく、完全な一元性の、書き表すことも、脳で想像することもできない存在だった。

そのようなを自覚出来たと言う事は、何らかの啓示的な体験があったのかもしれないが、もともとイエスは特異な体感を持っており、そしておそらくそれにより分離という現象を自覚していたのではないかと思う。

分離の自覚は体感が全てであり、情報では決して得られない。

イエスがなぜ分離を自覚出来たのか、
それはやはり単独者というものが人間のある過程の状態ということを知覚していたからだとわたしは思う。

イエスのツインソウルは聖母マリアだという都市伝説のような通説がある。
それを事実として考えるなら、イエスはマリアの胎内に宿った時に神の愛に触れ、無意識で自覚し(思い出し)、彼自身も神の愛そのものになり、この世に生まれ出たのだ。

当時の文献では、イエスの夫人であるマグダラのマリアがイエスの単独者であるような捉え方をしているが、俗世的になるのは仕方がないにしても、もう少し一元性的な解釈が必要だった。

統合とは、ただこの世で縁のある男女が繋がれば良いというものではない。
例えソウルメイト的な縁の深い霊だったとしても、それはこの幻想の世界の物語であり、一元性のレベルでは全く無意味な存在である。

もともとの一つは別の誰かでは補えない。
そこを間違えてはいけない。
真理の上では一度も別れた事のない相手なのだ。
別れていないという自覚だけが統合の本質である。

ツインソウルが恋愛関係の究極的な形だという発想はいささか浅識過ぎる。
錬金術や、イニシエーション、性魔術などは、幻想の物語のスパイスであり、幻想を真実に変化させていくものではない。


この世界で姿が現せているのは、このように個の霊が分離しているからだと思われる。
物質と反物質、粒子と反粒子、それらが交わると、この世界では消える現象が起きるという。それは統合すると反対の世界(の世界)に戻るという物語のアレゴリー(譬え話)のようなものだ。

便宜上、この世界の裏側がの国と表現しているが、実際にどのような現象が起きているのかなど人の脳では理解はできない。
なので、この話もただの譬え話である。

単独者という概念は、他の、例えば当時の思想、グノーシス主義にも見られたかもしれない。それらは感覚で知ることなのでイエス以外に気づいている者があってもおかしくはないが、イエスはそれにより神の存在により近づいた人物だったと思う。

余談だが、わたし個人としてはブッダが母親であるマヤ夫人の脇腹から生まれているという定説により、ブッダのツインも実の母親ではないかという仮説を持っている。
(どうせ幻想の物語なので、どうでも良いことだけど。)


☯️ 太極図は二人の魂の離れられない状態、それぞれのハートのチャクラに存在する、お互いの一部。
一つの魂の中で、わたし達は別れたと思っている幻想を抱く。

*ここで参考にしたそれらの文献は後の時代に捏造されている可能性もあるので、信憑性は疑わしい部分があるということを明記しておく。


この話をどれぐらいの人が理解してくれているのか分からないが、この件(単独者)に関しては、存在についてのもっとも核心の重要事項であり、人々は受け取りたいように理解する傾向があるため余計な誤解や偏見を招くので、もっと考察を深めいずれきちんと文章として残せたらと思う。(生きているうちに出来るかな)
また、真実は人にとって一見残酷に見られる。
前回も書いたが、わたしの記事を読んで、恐怖を覚えたり、酷い怒りを持たれる方は、今後無理をして読み続けることは避けてください。


奇跡のコースのテキスト、神聖な関係の事項よりいくつか抜粋。

「聖霊は決して代替を使わない。自我が或る人を別の人の代わりと知覚する状況で、聖霊は彼らがひとつに繋がった不可分のものと見る。」18-Ⅰ-2−1

「あなたと兄弟は、別々に出かけていき、どこにも行き着かなかった無意味な長旅を終え、今、二人一緒に故郷に帰っていくところである。」18-Ⅲ-8-5

「兄弟の手をとったあなたは、肉体を超えたところに到達し始めている。」18-Ⅵ-10-2

「聖なる瞬間には、神がご自身とあなたがた両方のために建てた祭壇の前に、あなたと兄弟が一緒に立つ。不信を脇に退けて、二人一緒にそこに来なさい。そこであなたは、信を通して作り直されたあなたの関係という奇跡を見るだろう。」19-Ⅰ-14-1

「平安の箱舟には二人ずつ乗り込むが、別の世界の始まりも彼らと共に行く。一つひとつの神聖な関係が、今では聖霊の目的を共有しているので、必ずこの箱舟に乗り込み、聖霊の計画における自らの特別な機能を学ぶことになる。」20-Ⅳ-6-5

「この部分は、時間が始まって以来ずっと、あなたの兄弟を見て、完璧に彼を認識してきた。そして、かつてそうであったように再び彼とつながって自由になるということ以外には、何も欲しなかった。」21-Ⅳ-5-1

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