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光の体験


昔、友人のセラピーによって自我を剥がされ真我が剥き出しのような状態になった時の事、
体の中に自分軸の様な丸太の物体を目撃して、気づくと魂の世界である五次元の空間にいるという体験をした。
可笑しな話をしていると思われるかもしれないが、わたしの体験した真面目な話なのでしばらく我慢して聴いてほしい。

当時の認識では空間のレベルをそう区別していたため、三次元から五次元にスライドしたと真面目に思っていた。
三次元は常日頃生活しているこの物質の世界の事で、五次元は真我である魂の世界、また精神性の高い空間。
因みに四次元は幽霊や宇宙人が見られる空間。精神性は三次元と同じレベルで低い。

スライドしたその場所は、天国とはいかないまでも暖かく平安な場所だと思った。
いつもの変わり映えしない自宅のキッチンだったが、感じているいい意味での異常な空気感より、心の状態が尋常ではなかったため、ここは五次元だと直感したのだ。

目の前にぼんやりと戦争の映像が映って見えたが、それでもわたしは絶対的な安全にいたし、まったく動揺がなかったことをよく覚えている。

これが本当の幸福なのだと思った。
物質的な豊かさとは関係なく、
心の平安と満たされているという感覚。

今思えば、自分の外側には何もないのが真理であり、外側に見えているものはすべて心の投影であるため、わたしの精神状態が悟りのレベルに近かったことで、それらが外側に投影されていたのだと思う。
それを五次元の空間だと知覚していた。

残念ながらそんな精神状態は長くは続かず、ただの不思議な思い出になってしまった。
しかし、今でも幸福とはこの状態にいる事だと信じて疑わない。
たとえ物理的に豊かになれたとしても、この精神状態にならない限り本当の幸福とは言い難い。
それはその後のわたしの価値観を決定付けた出来事であった。

あの空間に再び行くことができるなら、もう何も望まない。
わたし自身が失われようと構わない。


このように、不思議な体験をした人は少なからずいると思う。

突然光に包まれ、すべてが愛であると知る体験。
突然何者かに強く愛されていると感じる体験。

わたしのこの時の体験はそこまで劇的なものだったかと言えば、やけに冷静であったことが印象的なのでそうではないのかもしれないが、
例えこれ以上の何物かを体験したとしても、わたし自身がきちんと受け取ることができるとは限らないと思った。
価値観の変化に要するのはこれで充分だと思っている。

目覚めたいという想いは、そんな圧倒的な体験を持って芽生えるのかもしれない。
裁きや判断をする隙もなく、思考を停止させられるような、いきなり大きな答えを与えられるような、そんな神秘な体験。

もしかして、あの夢のような出来事がわたしの人生の中で唯一リアルな時間だったのかもしれない。

コースの教義を深めていくと、あの時の体験の実存性がはっきりと証明されていく。
赦すしかない精神状態。投影による平安な世界。人の無罪性。
ひとつひとつ答え合わせをしているようだ。
実相の世界は本当に存在する。
その先の天国もきっと。

そんな神秘体験は無闇に外から与えられたものではなく、自分の中にある神との記憶を投影という形で呼び起こしたものである。
もともと大切に保管されているものだ。
神と呼ぶことに抵抗があるならなんでも良い。
自分の根源の元になるものだ。
根源の元がなければ今わたしはここに存在していない。
わたしは突然発生したのではなく、たった一つの原因による結果である。



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