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改めて、自己紹介します。内定辞退して本当に良かったです。

最近、改めて自己紹介しようと思って、します。
今のざっくり自己紹介は、「22卒で内定3社貰ったけど、全部辞退して、休学して、旅して、行きたい会社は無いと思って、就職をしないと決意した人」って感じ。

最近、自己紹介しんどいです。
目まぐるしく、自分が変わっているのを実感しています。5分位でざっくり僕の人生、分かります。

「何してるん?何目指してるん?結局、何がしたいの?」
って人には呼んでもらえると。

ざっくり行くので、興味持って貰えた人はDMでもコメントでも何でも貰えると!喋りましょう!24年分のざっくり自己紹介です。

大前提、僕は凡人です。普通の人間です。
凡人だから出来る生き方を体現したいと思ってます。

何者でも無い自分が、何者かになっていく成長曲線を、自分が関わった人には提供できるようにします。

(小学生)

マジで普通。割とクラスの中心にはいた。
友達には恵まれて、虐められるとかはなかった。

小学5年生で好きな人が出来る。
その子に「テニスを一緒にしよう」と誘われる。
好きな人と一緒にテニスできるなら最高。と思って、水泳とか、ソフトボールとか、書道とか習い事を全部辞めてクラブチームに入る。

入ったチームが日本でも3本の指に入る強豪チーム。だった。
後から知ったけど、好きな女の子のお母さんは元ソフトテニスのアジアチャンピオン。はよ、言ってよ。笑

でも、全力でする環境に紆余曲折しながらコミットする。
県でベスト8にはなれたけど、ベスト4の壁はいつまでも破れず。
周りのレベルが高くて恵まれて勝手に自分が引き上がった。

ちなみに、ベスト4がけで自分がいつも負けていた子は、今は23歳とかで全日本シングルスで優勝している。まあ、冷静に考えて勝てるわけなかったんだ。と今なら笑い話。

そういえば、このチームマジでやばかったみたいで、中高大と進むに連れてインターハイ優勝、入賞や、日本代表になった人や世界大会優勝した子が溢れている。

インターハイ出場は最低ラインみたいな基準だった。

今では連絡を取らないけど、全日本で活躍してる人は結構、知り合いが多い。

そんな感じで小学生の時はクラスの中心で動くと同時に、高学年からはテニスに没頭するようになる。
自分はそんなテニス強く無いけど、知ってる世界の基準は割とバグってた。

(中学生)
テニスで中学を選択するか迷ったけど、結局、自分の意思がなくて、怖くて、地元の中学の選択をする。
「テニスで結果が出なかった時、どうするの?」という親や先生の言葉を乗り越えられず。この時に、テニスで学校を選択してたら随分と人生が変わってたと思うが、まあどうでも良い。

纏めると、そこそこカーストが上位だった。
キャプテンもしてたし、勉強もそこそこ優秀、人当たりも良い、学級委員長、生徒会所属など。割とモテた。

でも、やっぱり悩み続けた。
テニスクラブの同期は県大会で勝ったり、近畿準優勝したり。

でも、進学先はテニスをするには恵まれてる環境ではなかった。
指導者もいないし、入った時点で経験者ということもあり、自分がそこそこ上手で、先輩を差し置いて、直ぐにレギュラーになった。

中学では経験者と未経験の差が大きすぎてペアにも悩む。

結局、中学生の自分には何も出来ず。周りを引き上げられず。
個人も団体も県大会出場がやっとくらい。

進学を悩んだ中学は近畿大会準優勝して、全日本中学に出場。
そこのレギュラーには入れたから何回も「あそこにいっておけば」って思った。

でも、地区の選抜に選ばれて地区の主将を務めて、県で個人準優勝、団体優勝を成し遂げた。全員で同じ目標を全力で追求する楽しさを知る。

県大会優勝して”感動を同じ熱量で全員で共有する”

(高校生)
そこそこの進学校を選ぶ。
「文武両道したい」って言ってたけど、結局はスポーツ推薦を貰った強豪校で「通用しなかったらどうしよう」という思いが勝った。

だから、戦えそうなチームでメンバーを集めて頑張ることにした。

同世代の強い子の半分位はそこの強豪校を選んだ。
結局、入学初年度にそこの高校は近畿大会を団体で制覇する。
個人も一番強いペアが全国で5位になる。

3年間かけて、そこの足元にも及ばず。
知っている世界の天井が違い過ぎて、当たり前の基準が違い過ぎた。

中学時代は指導者も同期もいなかったが、高校は指導者も、そこそこ強い同期もいた。
そんな環境に甘えて、本当の意味では頑張れず、他校から「あいつは中学の県大会優勝が全盛期だった、あのチームはメンバーは良かったけど、伸び悩んだよね」と言われた。

事実だから仕方ない。

色々なことにやらない理由をつけて、人に依存して、弱い自分を正当化してた。高校時代は成績は280人中、常に270番台を彷徨うし、校長室には2年連続呼ばれるし、欠点は取るし、テニスは勝てないし、何故か坊主だし、好きな女の子には振られるし。散々だった。
全部、自分が悪いんだけど。

あ、相変わらずクラスの中心にはいて、高校3年間で6回学級委員をする機会があったけど、5回してた。

現実逃避を繰り返した高校生活。
頑張ってないくせに、頑張ってるけど結果が出ない悲劇のヒーローを演じる。

最後の最後に紆余曲折して近畿大会出場の権利が回ってくる。インターハイ3位のペアに善戦して、周りが喜んでくれたことに、中学時代の優勝した時と同じ感覚を味わう。

全国レベルの人と試合をしたことが大学でもテニスを続けるきっかけになった

やっぱり人生は熱中したい。
そう感じた瞬間だった。


(浪人生)
高校時代のツケは勿論回ってくる。

そこそこ進学校だったから、受験の世界ではそこそこ戦えると思ってたら、受験校全落ちした。そして全落浪人。

井の中の蛙で勘違いをしてた。
受験は学校名じゃなくて点数で勝負するんです。あほ、自分。

この感覚は会社名で威張る社会人とあんま変わらんかも。

人に依存する性格を自覚してた。流されやすい。
逆に開き直り、良い人にとことん流されようと思う。

京都大学を目指す友人の基準で1日を過ごすことにする。
朝から晩まで飯食べながら歩きながら勉強した。
1年で偏差値20上がって関西学院大学に合格する。
3年分の勉強を1年でした。

高校時代の恩師に「今、変わらないとお前は一生変わらんぞ」って言われたのは大きかった。それ以来、携帯を半年間ほとんど触らず、ひたすら勉強。途中から快感を覚えてた。

1年間参考書とひたすら睨めっこしてたが、没頭できて楽しかった。

やり切って成果を出す快感を覚える。
結構、偏差値という数字の変化を追いかけるのは楽しかった。

(大学生)
入学と同時に絶望を覚える。
必死こいて勉強したのに、何でこんな思考停止してそうな人多いんやろ。
必死こいて勉強したのに、何で遊ぶか彼女作るか、彼女作って下宿先に呼ぶことしか考えてないんやろ。

みんなサークル入るとか、友達作るとか、恋人作りたいとか、経験人数増やしたいとか。そんなんばっか。みんながやりたそうなことをやりたがる場所だった。

一緒に浪人から関学に入学した友と、大学生活に絶望を感じながら入学式の日に飯を食って帰ったのを今でも覚えてる。

「こいつら意識低い、体育会こそ正義」みたいなマインドだった。
浪人してたから尖ってたし、内省期間があったから意識は高かった。
体育会の部活なら成長できると思った。
現実は違ったし、環境で成長することはないし、結局、一番思考停止してたの自分だったし。でも、そんなことは後から分かる。

気付いたら体育会ソフトテニス部に入部していた。
でも秒速で病み始める。
イップスになる。テニスが嫌いになった。
でも、「体育会」という肩書きが欲しくてずっと続けた。
でも本当に面白くなかった。

全日本インカレ団体戦3位になった。
自分は何も活躍してないけど、それでも全国3位の景色は凄かった。

全日本インカレ団体戦2年連続3位の写真

世間で言う「良い会社」に就職したかった。
それは親父がそういう会社に就職してる影響もあれば、浪人は失敗したから就活は失敗したく無いとか、良い会社に入るとモテるみたいな思考回路。

だから超有名ゼミに入った。
ゼミ生の8割が大手証券か大手メガバンクに行くゼミ。
でも価値観の違いで辞めた。

体育会学生本部に入ったし、イベント自分でやったし、インターンみたいなんも齧った。全部、自分の実績作り、就職活動のPR材料作りの為やったけど、それなりにしてそれなりに結果出して、でも長続きしなかった。

結局、永遠に比較対象が、「誰より優秀になれたか」という他人でしかなかった。誰かの為にという感情は一切なくて利己でしかなかった。

だから、誰かの為に、本気でやりたいことをやっている奴の足元にも及ばなかった。だから威張れる範囲で威張り続けてた。だっさ。

大学4年で内定貰った。でもなんか違うってなった。
このままじゃ何も変わらんって思って部活も辞めた。
めっちゃ誹謗中傷来た。まあ自分が悪いけど。

親に休学したいって言った。
めっちゃ怒られた。怒鳴られた。否定された。
マジで怖かった。

良い会社に行きたかったのに、組織コンサルの会社の面接落ちた。
良い会社に行くことが目的やったのに行けなくて、何のために生きてるん。って思った。大喧嘩して組織を抜ける原因になった、大嫌いな2人がその会社に受かって余計に腹立った。
「あいつが正しくて、自分が世間で言えば間違ってる」ってのを突きつけられた感じ。

学校に居場所はなく、家にも居場所はなく、社会にも居場所がないと思った。「良い会社」に行くために頑張ってきたのに、結局、何も手に入ってなくて、「何してんだろ」って思った。生きる意味ないな。って思った。

夜の公園で1人で意味もわからず、泣いていた。


そっから旅に出た。行き過ぎて説明するの大変。
Instagramのハイライトに纏めてるのでフォローして見て下さい。
長野やら京都やら沖縄やら、クリスマスは茨城やら、大晦日はヒッチハイクしてるわ。そんな感じだった。

白馬でのシェアハウス生活は本当に良い経験だった。
30代以降のワクワクしている大人に出会った経験。

旅した結果、色んな生き方に触れる。

時間とお金の使い方が異常に変わった。

親には家に帰る度に怒られて、同級生には「いよいよおかしくなった」って言われて。この感覚を残したくて発信を無限に始めたら、無限に人が離れた。別にフォロー数が友達の数じゃないけど結構、外された。

一緒に、熱く語り合った人も離れた。結構萎えた。
でも、その分、人がやってきた。

やっぱり人間関係にも新陳代謝がある。
でも、色々出会って気付いた。

人生は幸せになる為にある。
大事なことは働き方ではなく、生き方。

だからこそ、自分がどう生きるかを考え続けた。

とりあえず答え出そうに無かったから内定3社全部辞退して休学した。
親が許すはずもなく、「休学するから印鑑だけ押して」って言い切った。
おとんはブチギレ。おかんは半泣き状態。

でも言い切った。親の感情に負けなくて正解だったと今は思う。

親には感謝するけど、親の為に生きるのは違う。

誰に何を言われようと違うと思う。
親の為にって言う人は、自分の人生から向き合うことに逃げた人。

親の為にって言って生きて、親が死んだら、誰の為に生きるん。

今度は子供の為にって言うんやろ。

一体、いつになれば自分の為に生きるん。

「子供の為に」とか辞めたれや。子供が可哀想。
生まれてきた子供に親の人生を託すなよ。


そんなことも今なら考える。

自分が自分の為に生きれる状態を確立して、初めて誰かを守れる。
誰かの為に生きるのは自分の為に生きれるようになってから。


綺麗事、愛情無しって言われてもいい。
「親の為」とか「友達の為」って言って、「親が〜」とか「社会が〜」とか「市場価値を付ける為に」とか、良いけどさ。

自分の意思はどこにあるんよ、自分はどうしたいんよ。


休学してからも就職しようと思ってた。

でも、どう考えても、自分の生き様とあっている会社がなかった。

ちょこっと就活したら、人事より自分の方が余裕で視座高くて視野も広いし思考が深いことに気付いた。

現場社員くらいなら対等以上に喋れることに気付いた。

就活の座談会に参加したら、自分の立ち位置が別次元にあることを悟った。
だから経営者に質問したら気に入られて30分、1on1した。
40歳以上の経営者と喋って、対等には喋れないけど、年齢の差し引きをすれば対等以上に喋れるようになる可能性が自分にはあると思った。

リクルートの内定者とも喋った。
普通に対等以上に喋れる。

その時点で、別に就職する気になればいつでも出来るや。って思った。

結局、会話が合うのは独立マインドの強い人だったし、やりたいことが明確な人だったし、やってる人だった。自分はスタートラインが彼らとは違ったけど、そっちの世界の方がワクワクしたから必死に喰らい付いた。

「働き方」じゃなくて「生き方」だと確信を得た。

有名企業で全力で走り
きる人には追いつけないと思うけど、例え失敗しても、大量採用される営業職くらいなら出来ると思った。

最低ラインを就職する。に設定したらいつでもいける。

それ位の社会的な立ち位置はあると思った。

じゃあ、もういいや。って思って辞めた。就職しない決意した。

いつでも出来る就職を今、する必要はない。
だったら、今しか出来ないことに注力した方が良い。

社会で生きることを諦めてから会社で生きれば良い。諦めないけど。

大体、そんな感じ。

別に自分より凄い人なんか無限にいるし、自分なんか凡人やし。

でも、そんな凡人でも凡人以外になれる可能性を感じた。

就活生とか100人近く面談したし、出会ったし、同世代の優秀な人もいたけど、働き方を考えてる人は沢山いたけど、生き方を考えてる人は本当に少なかった。だから、自分の使命は生き方支援することだと思った。

でも、自分の心に嘘をついて生きると凡人にしかなれないとも感じた。

だから、生きるか死ぬかの人生ゲームを社会でしようと思う。


(じゃあ、何してんの)

「じゃあ、何してんの?」って話だけど。

「自分の人生の主人公を生きる人に導く」という理念を掲げて、「生き方支援」を始めてる。

また、ここに関しては詳しく書くけど、「自分の心に素直に真っ直ぐに強く生きる人を増やしたい」

ワンピースのルフィのような、自分で決めた道に向かって、周りを巻き込みながら、泥臭く、生き続けて、社会で活躍する人を増やしたい。

でも、誰もがルフィのように強くなくて良い。

チョッパーやナミやゾロやウソップや。
みんな別々のゴールだけど、自分が行きたい場所に、真っ直ぐ走ってる。

そういう人を増やしたいと思ってる。

そういう人がまた、誰かに良い影響を与える人になってほしい。

これを「愛のある勇者」と呼ぶことにした。

愛とは利他の気持ちがある人。
だから誰かを助けたい人や、解決したい社会課題がある人。
そんな社会課題とかスケールデカくなくても良い。

スケールの大小はどうでも良い。愛のある人が好き。

勇者とは立ち向かい続けて道を切り開く人。
何かやろうとしたら罵倒ばかりされる世の中。
「さっさと現実見ろ」って言われる。
1人、1人と現実を見て、自分の人生を諦める人が増える。
24歳にもなるとマジで痛感している。

それでも、進み続けて、道を切り開く人。
迷いながらで良い。でも、着実に前に進める人を勇者と呼ぶ。

恐怖に立ち向かう人はみんな勇者だよ。

だから僕がすることは「自分の人生の主人公になれる人」を増やして、「愛のある勇者」に導くこと。だから僕は教育がしたい。リーダ教育。

だから、まずは僕自身が、自分の人生の主人公になり、愛のある挑戦者として社会に挑戦していきたいと思う。

上記を体現する為に始めたことがある。
大きくは4つかな。
・繋がり会
・炎結びの会
・運命を変える旅
・関西学院大学に学生団体創設中(仮名称:関学起業部)

順に画像と共に簡単に補足情報を加えられたら。


繋がり会

初めましての人と出会い、色々な生き方に触れてほしい。
月に2回、オンラインで開催している。
多種多様な生き方を目指してる人が集まる。
自分のコミュニティ以外に1歩踏み出すきっかけにしてほしい。
めちゃくちゃ緩く開催で、することは初めましての人と喋ること。


炎結びの夜に

1泊2日のキャンプに出かける。定員は10名。
3ヶ月に1回の年に4回の開催予定。
自然に触れながら、人生を変えるきっかけを作ることを目指す。
人が好きな人にはぜひ参加して欲しい。
5月14日〜15日で開催予定だから、興味ある人はDM貰えると。


運命を変える旅

初めましての人と、目的地不明の2泊3日の旅に出る。
旅をしながら自分の人生の軸を作りに行く。
世界は広い。そんな世界で自分だけの人生、自分の人生を行きたい人には是非、参加してほしい。2ヶ月に1回開催予定。

この前の様子を動画に纏めてるので是非、見てもらえると。


関西学院大学起業部

自分がこの団体の代表を務める。
自分は日本全国の大学に自分の人生の主人公になれる人を増やす。

それは、就活支援団体は無限にあるけど、生き方支援団体は殆どない。
だからこそ、自分の人生の軸を持って社会で遊べる人を生み出し続けるプラットフォームを関学から作り出す。

起業とかスケールのデカい話ではなく、自分で自分だけの人生を生きたい人と一緒に活動をしていきたい。

経営者の方もメンターに入ってくれることが決まり、本格的に始動する。
興味ある人は連絡を貰えると!関学以外も将来的には広げたいので、康学生以外の連絡も歓迎します。

大体、こんな感じ!
でも全部、「自分の人生の主人公を生きる人」に導くという理念に沿えてるという実感がある。人生でずっとなかった「利他」が芽生えたから、どこまでも走れる。走り続ける。


ここまで読んで貰えた人、どうもありがとう!
活動や自分のことに興味を持って貰えたり、気になることがあれば、気軽にDMでもコメントでも貰えると!

それでは〜〜!

これからも山下智也をどうぞ、宜しくお願い致します。

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