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どうせ死ぬ人生は無意味か?

私は物事ついた頃から冷めてるタイプでした。しかし最近ひょんなきっかけから自分でもびっくりするほど考え方が変わりました。そのことをnoteに残そうと今書いています。


以前の私の考えはニヒリズムに近かったです。

ニヒリズム(虚無主義)は、「すべての物事に意味や価値はない、自分の存在も含めてすべて無価値だ」とする考え方です。

努力してなにか成し遂げても、あるのは次の壁。その壁を乗り越えた先には次の壁。それが永遠に繰り返され、死んだら全てなくなる。

仮に子供を残しても、その子供も永遠の壁と向き合うことになる。

あぁ、なんて無意味な一生なんだろう。

しかし今、私は生きることに意味はあると感じています。

考えが変わったきっかけは高い眼鏡を買ったことです笑

とてもデザインが素敵な眼鏡で、購入を決めました。

購入したあと心のなかから
「落とすの怖いなぁ。いつまで使えるんだろう?壊れたらもったいないなぁ、結局高くてもいつか壊れてしまうなら、もしかして買わなくてよかった…?でもそれ言ったら何も買えないじゃん…。」

「高い眼鏡もいつか壊れるけど買うもんでしょー。恋愛も終わりがあるけどするし、鉛筆だっていつかなくなるから買わないってことはないでしょ〜?🤔」

ふと
「え…これって人生も同じじゃない?てか壊れる過程にこそ意味があるんじゃない!?」

鉛筆もむしろ減っていくときに価値を発揮するし、

スマホだって充電を食いつぶしながら役割全うしてる。

恋愛だっていつも次のより良い出会いのために別れてきた。

てことは…、生まれた瞬間から死に向かう人生だけど、

終わりがあるから結局無意、ではなく終わりがあることを前提に死んでいくことには何か意味があるのでは?鉛筆がすり減ることで役割を全うするように。

生きることが大事なのではなく、死んでいくことに意味がある。そう思うと少し気楽になりました。

もしかしたら私は「生きること」に期待するのが怖かったのかもしれません。

恋愛と同じように期待するから傷つく。生きることに期待するから、辛い。

そんな自分をすべて無意味なんだからと守ってきたのかもしれません。

今は立派にすり減って死んでいこう、と思ってこのnoteも書いています笑

ただ鉛筆と違って自分の役割を自覚するのは難しいですね🤔そこに人生の難しさがあるのかもしれません。


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