わからないけれど、これではない。

違和感。
……それは常にあった。違和感のない時なんかあったっけ? ないない。ただ違和感の質的変化があるだ。で、いま感じている違和感の質は「老い」と深く関わっている。

どんどん老いていくわけだ。そして、不思議な事にだね、60歳を過ぎていまなぜかよく中学時代、高校時代……10代、20代前半のことを思い出す。
たぶん、50代まではまだ未来を見ていたんだと思う。
過去はほんのちょっとで、永遠のごとく未来が広がっていた……それが10代後半から20代だった。
子どもの頃は「今ここ」しかなかったけれど、中学あたりから未来と今が重なってきた気がする。それは「未来のために今を生きろ」と周りから言われ始めたからかもしれない。

高校に行くために勉強しろとか、将来のために本を読め……とかだ。

さて、将来のために本も読まなくなった60代の私は、意外な状況にとまどっている。平均寿命が飛躍的に伸びた。人生100年時代とな!
もしかたしたら人生はあと30年40年もあるわけで、それはかなり長い年月なのだが……、それなのにその先にある「死」はどんどん身近になっている。

絶対に必ず来る確定的な未来としての「死」と、「生きる意味」を問うという、なんだか青春時代みたいな課題に再び巡り合うことになるとは……。実はそういうことを、中学から高校時代によく考えたのだ。そしてこの不条理に答えを見つけようとしてたくさんの本を読んだのだ。

「愛とは何か?」「人を愛するとはどういうことか?」「自由って何か?」「罪とは何か?」「罰とは何か?」「悪とは何か?」「正常とは何か?」「狂気とは何か?」「平和とは?」「幸福とは?」「死って何か?」「生きるってどういうことか?」「私って何か?」

めちゃくちゃ考えてはいたのに……、ひとたび社会に出て生活するようになると、息をして、水を飲むだけでも現金が必要……という社会的現実に直面し、お金が欲しいと思い、お金と幸せはイコールだと感じるようになり、自由とはお金があることだと思い、平和とはみんなが豊かに暮せる社会だと思い、幸福とはお金に不自由しない日々のことだと思うようになった。愛についてじっくり考える間もないし、性欲も旺盛で、男社会という理不尽さに立ち向かうには女を武器にするしかない、ってなわけでホステスのバイトで食いつないで学校に通ったし、好きな仕事をするために学歴が必要だと言われ続けるものだから、学校は履歴書のために時間と金を消費させる場所だと思っていた。

たくさんのすったもんだがあり、トラブルと挫折とハッピーがあり、それをネタに小説やエッセイを書き続けて、書くネタも尽きて今に至る。

状況は違うが、未来に「死」を思うようになって、再び「いまここ」にしか生きていられないことが切実になって、そうしたら、1回転して中学や高校時代に考えていたことにまた直面し、もう一度、昔読んだ本を読み返そうとしたりしている。

考え始めると、疑問は尽きぬ。

「なぜ、資本主義は暴走しているんだろう?」「どうしてこんなに貧富の差が出来てしまったのか?」「原発をどうするか今だに答えが出せないのはどうして?」「死刑制度が明治時代から変わらないのはなぜか?」「精神科病院はなんでまだ長期に人間を拘束し続けているの?」「少子化の危機は国の存亡に関わることなのになぜこんなにもシングルマザーに対して政策が手薄なんだ!」「税金、高過ぎじゃないの?」「民主主義が機能不全になった原因はなに?」

自分が生きてきて、時代時代にその現場に立ち合っていたのにも関わらず、まったく何の答えも出せず、なんだか流されてきた気がしてしょうがない。その時、その時にはできる限りの行動をしたように思うが、いま振り返ると、もっと何か出来たんじゃないか、もっと声を上げられたんじゃないかと思う。

たとえば……オウム真理教の元信者が集団で処刑された時、あの処刑に対して衝撃を受けたが(死刑囚と交流していたためだが)……、死刑制度の理不尽さを痛感しながらも、私の発言は「被害者感情を害さない」という、そのためにずいぶんと自己規制をしてしまった。制度自体の欠陥を指摘することができなかった。
原発問題はどうだろう。高レベル放射性廃棄物の最終処分地を決めるための対話の場づくり……に関わったが、「対話」とは何か?というそもそもの前提を共有できなかった。行政側も参加者側も「対話」が何かを理解していない。私も自信がなかった。対話は「結論を出すためのものではない」と言うと批判され、その批判に応えることができなかった。

疑問も課題も山積みされたまま、年をとってきて自分が流されていたことを実感せざるえない。現実的な問題に直面した時に、私はほんとうに弱い。哲学を止めてしまう。一時的な情熱でもって体当たりし、一瞬の共感を得たとしても、それは自己満足なのに、それをやってきた。本質的な解決にならないことはわかっていても、一時的な熱情にまかせてその場で盛り上がり共感の輪を巻き起こして、何かが解決したような気になる……ということを、好きではないが、やりがちで、そうでもしないと誰も納得しないから、せめて納得してもらうためにそれを演出していた自分を、場当たり的でふがいなく思っている。流されたのではなく、私が流させてしまった場面がたくさんある……そう思える。

正直なところ、もう社会的な問題に首を突っ込みたくないと思っている。それはあまりにも難しく、不毛で、疲れるし、私の手には負えず、そもそも私はそういう場で一時的な熱情を発動しがちであり、それは危険だしエゴだと自覚し始めた。
だからと言って、論理的に物事を整理できるほどの思考能力もなく、あるとしたら、無数の、流されてしまった経験……、手を出さなかった後悔、スルーした後味の悪さ、保身に走ったがゆえの失敗。

凡庸なくせにちょっとだけ偉そうに「何かやったつもりになっていた」だけだという、恥ずかしい感じを抱えていつのまにか六十三歳に至る。

六十歳からの1年、1年は過ぎるのがとても早く、なんかもう、じたばたしてもしょうがないような気分になってきて、コロナで家にいる時間が増え、……東洋医学が効いたのか視力が戻ったこともあり、10代、20代の頃に読んだ、レインや、アーレントや、デカルトだの、カントだのをまた読み返したり、数学的難問や、理論物理学の本を読んだりした。

若い頃、ちんぷんかんぷんだったことが、以前よりはまだ理解できるようになっていたし、それよりなにより、人間がこんなに情熱をもってさまざまな課題に取り組み続けてきた、その個人の力に感銘を受けた。

(つーか、今ごろそんなことを思うなんて、個人に対してリスペクトなさ過ぎだろーって思う)

どうやら、個々の可能性は無限大であるし、時に集団は個人のポテンシャルをぐぐっと上げるのだけれど、その反面、集団や組織になって個人が集団の中に飲み込まれた時、まったく違った個人の影の部分がが集団化して顕現し暴走するのだということは、なんとなくわかる。

(ユングが言っていた、集合的無意識ってやつも、それを実体験していくなかでようやく理解できてきた)

コロナや、戦争、群衆事故が続くなかで、あまりに「集団」や「群衆」についての研究が遅れているような気がした。それはなぜだろう?と思った。組織論の本は常に出版され、売れ続けているけれど、組織が個人を飲み込んだ時にどんな組織人格が出現するのか? についての研究が遅れていないか? 

30年以上、ほとんど組織というものに属さずに来たのは、集団が苦手だからで、これはもう子どもの頃からそうで、集団化した時の雰囲気が苦手で、全体主義が苦手で、ノリで物事が進んでしまうのが苦手だったから……。なぜなら、私は、そのノリに逆らう自信がないからだ。この弱さはどうしてなのか……。交流を続けた元オウム信者の林泰男さんに共感したのも、組織に飲み込まれてしまう彼の気持ちがわかったからだ。逆らえるはずがないから、近寄らない。でも、それで良かったのかな。

理由はわからないけれど、10代の頃のような、漠然とした疑問をまた持ち始めている。
わかった気になっていたんだけどな。この間までは。でもいまは「やっぱなんか違うなあ」と思う。

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