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「神さまは、いますか?」 

神在月(旧暦)の終わりに出雲に行って来た。
出雲の神さまには、作家としてデビューする時にたいへんお力添えをいただきお世話になった。23年も前のことだ。詳しくは私の「水の巡礼」(角川文庫)という本に書いているのでここでは説明をはしょる。

正直、23年前、つまり1999年(デビューする前年)に出雲で体験したことは、あまりに不可解なのでいま誰かに説明しても、ご都合主義のスピな人と思われるだけだな……と思う。他人の神秘体験って、人は興味ないのよ。神秘体験は自分がしたいもの、他人様の話を聞いたところで(なんか、自慢されてるみたい)(夢みたいな話)くらいにしか思わないんじゃないかな。

ともあれ、私は出雲の神さまにお世話になったと感じている。個人的な体験でそう感じているだけだけれど、感じている。なので、お礼とご報告に行った。

田口さんって、神さまとお話できるんですか? 
まさか〜。そういう能力は全然ありません。神さまとどうおつきあいしていいのか、ちんぷんかんぷんだった。

……それは悩みでもあった。だって神社に行っても一礼二拍手のあと、どうしていいのかわからない。願い事を言う? それとも黙祷する? どうしたらいいの私? 

で、いろんな霊能者(神さまとお話できるらしい人たち)に聞いてまわったら、こう言われた。

「神さまは、人間と同じように尊敬しておつきあいすればいい」
「えっ?そんなんでいいんですか?」
「こっちは人間なんだから、それしかないでしょう? 人間より高次の存在を我々は理解できない。しょせん理解できないのだから悩んでもしょうがない。人間として敬意をもって話しかけたらいい」

ふーん、それでいいのか。

「心で話しかけるのではなく、しっかりと言葉にしてお話するように。心の声は弱い。言葉は音なので強い。音の波動で神さまに伝えることが大事です」

なるほど。確かに心で呟いていることってもごもごしているよな……というわけで、私はいつも声に出して神さまに話しかける。すごく変な人に見えるだろうことは理解できるので、最初は恥ずかしかった。

でも、だんだん慣れてきて周りに人がいても、声に出して見えない存在と話をすることができるようになってきた。

不思議なんだけどね、見えない存在、死者でも、精霊でも、神さまでも、そういう存在に話しかける時は、嘘がつけない。ものすごく自分に正直になってしまう。なぜだろう……? とにかく言葉にすると自分が明らかになる。とても清々しい心地がする。

■結婚相手の実家に行く心づもり

「神域に入る時は、他人様のお宅にお邪魔する時のように、身ぎれいを心がけて手を洗い、静かにご訪問する。当たり前のことをすればいいだけなんです」
「あたりまえ……?」
「そう……たとえば、結婚の挨拶をしに相手のご実家を訪問する時のような、そういう気持ちで臨めばよし!で、初対面だとしたら自分のことを自己紹介する。これも当たり前のことでしょう? 神さまにしっかり自己紹介すること。謙遜する必要はありません」

自己紹介が大事だ、と言うことを、能力者のみなさんがおっしゃる。そんなことをしたこともなかったので神さまに申し訳なく思った。以降、しっかり自己紹介をする。自分の素性を明らかにして、自分に誇りを持つことはとても大事だそうだ。

「本日、初めてこの地を訪れた◎◎と申します。お参りすることをどうかお許しください」とか「長らくごぶさたしておりました。関東は湯河原の◎◎でございます」みたいな……。

「挨拶をして神さまがお喜びになると、日が差したり、雨が降ったり、風が吹いたりします。何も変化が起きなくても、訪れてご挨拶をしたら神さまは喜んでいらっしゃいます。入ってはいけない場所とか、入っては行けない日にアポなしで来たら、人間だって困るでしょう。それと一緒で、常識の範囲で訪れるなら神さまは大歓迎です」
「神さまは、人間が訪れるとうれしいんですか?」
「そりゃあ、うれしいですよ。神さまは人間を応援するのが仕事だから、やっと仕事ができるぞ、って喜ばれます」

そうか〜。そうだったのか〜。
この話を聞いてから神社巡りをするのがとっても楽しくなった。

■地を讃え人を讃える

今回の出雲では、初めて訪れた荒神様があまりに威風堂々として大きかったので(私にはそう感じた。神威って奴だ)、思わずたじろぎ、案内してくれた能力者のゆみちゃんに「ゆみちゃん、先に行って、行って……」と道をつけてもらった。

ゆみちゃんは、こちらに何度も訪ねているので神さまと顔見知りだ。ね、初対面の人の家に行く時は、顔見知りから先に入るよね。で、「私、この人の友人です」って自己紹介するでしょ。あれと同じこと。知りあいと一緒に行けば神さまもなお嬉しいというわけ。

神さまの前に行ったら「お会いできてたいへんうれしいです。ここはほんとうにすてきな場所ですね」とか「土地の人たちが大切にこの聖域を守っておられることに感銘しました」とか、感じたままをお伝えする。地を讃え、人を讃える。人間関係と同じだと思っていい。

「こちらに来て心が落ち着きました。これから始める新しい仕事にも光が差してきたように感じます。応援してくださってありがとうございます」

神さまは人間を応援するのが仕事だから必ず志を応援してくださる。そう確信して「ありがとうございます」とお礼を言う。だって……「応援してください」と言うのは、すでにやる気のある方に失礼のような気がしない?

聖域というのは、人の手が入って整えられた自然のなかにある。ほっぽっておかれては神さまもいられやしない。土地の人たちが大切に守り、祭っているから神さまがそこにいる。こっちは、よそ者だから、いきなり行って応援してくれ、と言うのも失礼な話なのだが、とにかく神さまはとても気前がいい。だから神さまなのだろう。

それに、その場所に行くのは「ご縁」があったのことだから、行ってしまったからには神さまは応援してくれる。

■なにがしたいのか?

「じゃあ、神さまにお会いする時に一番大切なことはなんですか?」

「それは、自分が何をしたいか? ってことです。それを神さまに伝えないことには神さまもなにをしていいのやら、たとえ千本の手があったとしても、相手の意志がわからないのでは手出しのしようもないんです。幸せになれますように、では、抽象的すぎます。具体的であればあるほど、神さまは仕事がしやすいので、神さまのためにも志をはっきりさせることです」
「それは、お願いとは違うんですか?」
「お願いはする必要がありません。神さまはやる気です。それが神さまです。なにをしたらいいのかがわかればやってくれます。意志、志(こころざし)があれば応援してくれます」
「自分のためだけじゃダメでしょうか?」
「たとえば?」
「結婚したいとか……」
「大丈夫です。結婚したい、離婚したい、専門の神さまもいますからなるべくそれが得意分野の方のところに行って、自分の意志を強く伝えることです。たとえばどんな相手と、どんな結婚生活をしたいのか、具体的に伝えるといいです」
「お金が欲しいときは?」
「なんのために、いくら必要は、一円単位まで正確にお伝えするといいです」
「漠然とお金持ちになりたいでは?」
「あのですね、たとえばあなたが友人の家に行って『お金持ちになりたいんでお金貸してください』って言ったら貸してくれると思いますか?」
「無理でしょうねえ……」
「それと同じです。あくまで人間関係と同じだと思ってください」
なるほど……。

■ホリスティックな情報

私は23年前に、ある霊能力者の方に連れられて初めて出雲に行き、そこである神さまに「人に勇気を与えたり希望を与えたりする作品を書いて作家になりたい」とお伝えした。それは、仲介してくれた方が優秀だったのか見事に叶い、作家になったが、神さまは肉体がないので手加減しない。ものすごく多忙になり、死ぬかと思った。人間関係のようでいて、神さまは神さまなのである。人間なら手加減できるところが、神さまは肉体がある人間のことをよくわからないのだ。凄まじい大波を贈ってくれた。飲まれて死ぬ人がいるのも理解できる。神さまを怖いと思うのは、たぶん、神さまが物質界のことをよくわからないからだと思う……。

神の世界からの応援というのは、見えないエネルギーへの関与。

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