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嫉みと結界

昨日は弁護士のI先生が湯河原の拙宅を訪ねてくださって、私が全く知りえない法曹界の体験を話してくださった。I先生は私より一つ下。ほぼ同世代。そして、オウム事件の頃は検事だったので事件についても詳しい。裁判のこと、陪審員制度のことなど話題は尽きなかった。

弁護士をなりわいにしている先生に、人間観について聞いてみた。すると先生は「嫉みが一番怖い」と言った。「人が犯罪を犯す根底にあるのは他人を嫉む気持だと思う」と先生は言う。
「恨みとか、憎しみではなくて?」
「そういう感情のもとに嫉みがあると感じるんです。特に最近は人をすぐ嫉む人が増えた気がする」
「嫉みって、そもそもどういう感情なんだろうなあ」
……嫉みと言ってもいろいろありそうだ。

「誰にでも多少はある感情ですけれど……度合いが違うというか。他人のことはどうでもいいと思える人はいいんですが、他人と自分が同じだと思っていると……ややこしいことが起きる。オレはこうなのにお前はどうしてそうなんだ……。この自分と他人を同一視してしまうところに嫉みが出てくると思うんですよ」
なるほど、他人が自分より恵まれていると思うとつい嫉みたくなるのかな? 私はしつこいタチなので、嫉みについて深堀したくなった。

「どういうい人が嫉まれますか?」
「幸せそうにしていると、だいたい嫉まれますね」
「幸せそうにしているだけで?」
「そうですね。幸せそうな人に嫌がらせをする人がいるのはその様子を見て嫉むからです。それがエスカレートすると犯罪になったりします。他人が元気そうだったり、幸せそうだったりするのが許せない人がいるんです」
「相手と自分を比べてしまう?」
「そうです。犯罪の多くは知りあい同士の間で起きます。まったく知らない人を攻撃することはめったにないんです」
「なるほど……。近しい相手を嫉む?」
「そうです」

「うまくいっている人をうらやましいと思う気持ちはあるなあ。でも、それは誰にだってあるよね」
「うまくいっている人はそれなりに努力しているんですよ。だけど、いまの世の中って『オレはうまくいかない』って言う人に対して『それは世の中が悪い』みたいな慰めばかり言うじゃないですか。『あんたが努力していないからだ』って言うとパワハラになっちゃうようなとこないですか? それって言えない世相になりましたよね?」
確かに、そう言われてみれば「悔しかったらお前も努力してはい上がれ」みたいなのって昭和の根性論で、最近はあまり聞かない。そういうこと言うと白い目で見られそう。

もしかしてI先生は、今の優しい社会は不遇を嘆く人を肯定するところがある……って思っているのかな。
「でもね、世の中ってやっぱ要領の良い人と悪い人がいて、要領のいい人が得をするようなところありますよね。たとえばI先生とか、すごく要領がいいと思うんですよ。優秀っていう言い方もできます。先生は、3年で司法試験に受かっているでしょ。十年もかかる人もいるわけですから、そういう人から見たらやっぱ嫉ましいんじゃないかな」
「それは3年で受かる努力をしたんですよ。その努力がどういう努力かは人それぞれだと思う。自分で勉強法を編み出してそれを徹底的に貫いた。周りの人間には呆れられましたけれど、でも結果としてそれがよかった。だけどリスクはあった。そのリスクを自分で背負った。もし私の勉強法が間違っていたら、試験には受からなかったかもしれないわけだから。そういう努力を私はした。人とは違うかもしれないけれど、これも努力です。だけど、そういうことは日本社会では要領がいい、と片づけられてしまう」
「なるほど……、おっしゃる事わかります。創意工夫の努力って、努力というよりなんか才能みたいに思われてしまいますもんね。でも、確かにそれも努力だ」
「これは教育にも問題があると思うんです。横並びで一斉にテストで点数をつける教育をやっていると、常に他人と比較しかされないんで、学校の評価が低いと自分はダメだ……って思うクセみたいなものが身に付いてしまう。それぞれが創意工夫をするような教育じゃないんですよね」

学校、……苦手だなぁ。いや、苦手だった。いまは自分なりの世界観をもっているし、他人にどう思われてもいいやって開き直りもあるから、ガチガチの場所にいってもなんとか自分を保っていられる。ま、しょうがないか、とか、他人は他人だから……みたいな。自分に対する自信はそれなりにある。同時に、できないことにたいする悔しさみたいなものもけっこうあり、押してもダメなら引いてみる……的な柔軟性も身につけてきた。今の自分なら、昔と違って組織とか学校でも、自分なりの楽しみ方ができるのかもしれない。この今の自分のまま、青春に戻ったらどんな学生生活を送るんだろう?

SFみたいなことを夢想したけど、なんか違うなと思った。
未熟であること、嫉み深いこと、すべて必要なことだった。それがあるから今がある。戻ってもきっと楽しくない。あの頃は世界について何も知らなかった。バカだった。まっさらだったから、毎日が冒険だった。

いまは世界について多くを知っている。知れば知るほど謎は深まる。昔よりも「世界は大きな謎だ」と思える。かつて世界を知ることができると錯覚していたのは、無知だったからだ。世界はでかすぎて深すぎて知りようもない。ただただ途方に暮れるばかりだ。六〇歳を超えて、まだ途方に暮れている。山の向こうはまた山、山、山だったから。

「人が嫉み深くなったとしたら、学校のせいばかりじゃないですよね」
「もちろんです、いろんな要因があると思いますよ」
「人の幸せを喜べないのは、自分が不幸せだと感じるからですよね。でも、幸せって抽象的な概念だから、人と比べられないよね」
 最後に先生は、面白いことを言った。
「わが家の家訓は、被害者になるな! なんです」
「へえ?」
「よく、人に迷惑をかけるな……つまり加害者になるなってことは教えられますけれど、長年、弁護士をやっていて痛感するのは『被害者になるな』ってことです。被害者が減れば、加害者も減ります」

 なるほど……合理的だ。
「でも、被害者にならないって……どういうことでしょう」
と言って、ふと、昔、密教のお坊さんから聞いた話を思い出した。結界の話だった。

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