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嗚呼、青春。

色々話さない方がヴェールに包まれていて良いのかもしれないけど
もうそういう歳も過ぎたし、本当の目的としては甥っ子や姪っ子にまだ伝えきれてない気持ちや自分達のルーツ、そして忙しすぎて構ってやれなかった叔母(私自身)や自分の母がどんな風に育ってきたかを少しだけ知っておいて欲しかったから。

知ったからとて、なんだって話だけど。
今の子たちにはそう感じるかもしれないけど。

時々会って突然、こういう話はできないからこういう形で残しておいたら、いつか読みたい時に必要になった時に読んでくれたらいいなって思ったから
残しておきたくて。
今はいない家族もちゃんと存在していて物語を連ねていたってことを話しておきたくて。

私は両親を亡くしてから、「死」をいつも意識していたような気がするし
育ててくれた祖父母もいつまでも一緒にいてくれるわけではないと意識して暮らしてきた気がします。

必要に迫られて早くから自立心も芽生えたし、友達に言わせれば甘えるのが下手だとよく言われるし。
かといってしっかりしてるのかとお思えば全然しっかりしてないので😂
気づけばいろんな方々が支えてくれてありがたい環境で生き抜いてくることができたように思います。(心の声:本当にありがとう。)

思えば高校生活の始まりはそんな自立心を活性化させる第一弾の幕開けでありました。

〜〜〜〜〜綴るアルバム〜〜〜〜〜

当時の東海大学第二高等学校(現在は星翔高等学校)に推薦入学で入り、最初は学校から自転車で15分ほどの距離にある下宿に入所しました。

そこは主に大学生の方や東海の学生が入る女子寮で10数名の先輩方がいらっしゃいました。
私は最年少の高校1年生、先輩方が色々と世話を焼いてくださり可愛がってくださいました。
大学生の先輩方はとても頼もしくステキに見えて、お子ちゃまの私が話しかけるのもおこがましかったですが、皆さん本当に優しく接してくださり尊敬していました。

下宿先での食堂のマナーや日頃のちょっとしたマナー違反(お友達を泊まらせたり)も良いんだよとこっそり教えてくれて下宿ライフを楽しめる術を教えてくれたり。

学校や家庭では味わえない環境で良いことも悪いことも
(そんなに悪くは無いけど😅)経験させていただきました。

同じ屋根の下でドア一枚隔てて他人と暮らす2年ほどの下宿生活は姉の帰熊(就職)と同時に終わりを告げ、
姉妹2人の共同生活へと変わっていきました。






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