多田武彦先生を追悼するために(じゃむか通信79号より転載)
「多田です。作曲家の」そういって先生はいつも私にお電話を下さった。
初めて先生のお声を聞いたのは2003年、第一回全四国男声合唱フェスティバルの時だった。四国中の仲間を集めて巨大な富士山を舞台に現出させる夢がかなう、その思いを込めて私が書いたプログラム原稿について、とても気に入ったよ、とおっしゃっていただいたのだ。まさに天にも昇る心地だった。
男声合唱などまったく知らないまま大学のグリークラブに入団し知人の下宿の小さなラジカセで生まれて初めて「富士山」を耳にした。「麓には