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スマホがそこなうもの

 どうしてスマホをいじっていると頭の動きが悪くなるのか、なぜ書写が効くのか、娘の勉強を見ていて分かった。

 スマホやネットの情報は頭に溜めなくていいからだ。

 頭の奥に蓄えておかなくても何度でも好きなように呼び出したり参照したりできるから。

 頭の中で何らかの操作を行うためには、その対象を頭の中に置いて操作する。だから頭の中に溜めておく器が大きければ複雑な思考も可能になる。

 でもスマホやネット依存になって自分の中に溜められる量が極端に減ってしまうと息の長い思考をすることができなくなってしまうわけだ。

 つまり水を運ぶのに大きな器だと一度にたくさん運べるけれど、盃では何度も何度も断片的に作業するしかなくなる、ということ。

 書写をするためには、目で見た情報を一旦、頭の中に溜めて文字に直して写す、という作業が必要になる。多分それをやることで頭の中の器が少しずつ大きくなり思考力を取り戻せる、ということではなかろうか。

 ご多分に漏れず私の能力は相対的にかなり低下している。ネットにつながりパソコンを使い始めスマホを持つようになったが、概観してそのたびごとにグッと能力が低下しているのを自覚する。

 おそろしいことだ。

 最近、司馬遼太郎『空海の風景』を読んでいるのだが、その内容の濃さ、著者の教養の広大さに、驚嘆している。今まであやふやだった日本思想史が見事に整理されていくのだ。しかも使っている言葉は読み手の利便性に媚びず必要かつ適切な言葉を使いたいように使っているので、最近あまり使われていない神経回路に涼風(血流?)が駆け抜けていき快感さえ感じる。本当に素晴らしい。

 もはやネットから身を離せなくなっているとしたら、脳の劣化を防ぐのは読書は欠かせないのかもしれない。読みやすく分かりやすく享楽的なものばかりにあふれているネット言語ばかりに浸って痴呆化しかけている自分の言語生活を改めようと思う。

 

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