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#26 検索しない勇気

インターネットが普及して久しい現代。
何かわからないことがあると検索して調べるのが自然になった。
図書館司書である僕としても「検索」にはとても助けられている。

しかし、検索することによっては、自分に悪影響を与えているときもある。

「デマ」を学んだ小学生時代

僕がインターネットを使い始めたのは小学校5年生の頃。
そのときはちょうどポケモン=人生だった(今も人生の大切な一部だ)。
なので、検索することはポケモンを強くする方法や育成方法だった。
その中でネット上に広く出回っていたのは「裏技」だった。
レベル100にしたり、ポケモンやアイテムを増殖させたり……。
あらゆる裏技が検索すると出てきたのである。
しかし、中には思い切り嘘っぱちのものまであった。

セレビィという普通にプレイしていても手に入らないポケモンを入手できる裏技がまさにそれだった。
とある希少なアイテムを2つ入手し、16時にある場所に行くと出現するという裏技である。
これを知ったときの落花少年はさぞ喜んだと思う。

これで友達より一歩先に行ける!!(小学生男子は競争心を持ちがち)

そう思っていたのを覚えている。
苦労して手に入れた2つのアイテムと共に、16時、とある場所へ。

結果的に、何も出なかった。

これをやるために、友達との約束を断ったのに……。

こうして僕はポケモンを通じて、「デマ」というものを学んだのである。

検索結果が偏見となることも

デマとまではいかなくとも、ネット上の情報というのは、
一部の意見が全員の意見のように書かれてあることもある。
それによって、僕は女性に対してネガティブな偏見を抱いていた。

20代のときに
「恋愛したい!」「彼女欲しい!」
と男性の本能が非常に強くなっていた時期があった。
そう思って、
女性からモテるには」だとか「女性 求める男性像」などで検索をかけることがよくあった(noteでは平気で黒歴史を曝していこうと思う)。
すると、こういう情報が書かれてあるのを見た。

「女性が求めるのは年収700万以上。女性は男性の収入を見ている」

もちろんそういう女性もいるとは思う。
だけど、それが全員ではない。
仮にそれを理想に抱いていたとしても、全ての女性がいざ付き合うときに収入で選ぶかと言われると、そんなことはないと思う。
価値観の一致とか、趣味が合うとか、複合的な要因で選ぶのではないだろうか。それは男性だって一緒だ。

しかし、若き落花青年はその検索結果が「全ての女性に通ずる」と思い込んでしまったのである。
全ての女性は男性をATMとしか見てない
という偏見を持ってしまったのだ。

今でこそ僕は図書館司書という仕事に誇りを持ってやっている。
ただ、大きな欠点としては収入が低いことが挙げられる。
今でもそれは僕の悩みの一つなので、昇進を目指しつつ、いつか複業にできるようにこのnoteや小説執筆をしているという経緯がある。

当時の落花青年は悩みというよりも、
収入の低さにコンプレックスを抱いていた。
間違った偏見を持ってしまった落花青年は、
どうせ女性は僕のことなんて相手にしてくれない」だのといじけ、
女性は男の金しか見ていない最低な人種だ」だのと心の中だけで女性に牙を剥いていた。
そもそも自分から行動もしていないというのに、なんと傲慢なことか。

さらに怖いのは、そんな間違った偏見を検索したときに、
同じような偏見を持った人の言葉が大量に現れることだ。
それを見ると、
「そうか、やっぱり女性は男を金としか見てないんだな。
 僕の(女性に対する)この考え方は正しいんだ
と、偏った考え方が強化されてしまうのである。

そんな偏見を打ち砕いてくれたのは、ある一人の女性だった。
数年前にお付き合いさせていただいた女性に、僕の収入に対する悩みを話したら、こう言ってくれた。

それなら支え合っていけばいいじゃない

その女性とは、仕事のすれ違いでお別れをしてしまったけれど、今でもとても感謝をしている。
同時に、ネットで検索して得た情報によって、いかに偏見を持ってしまっていたかということを反省するきっかけにもなったのだ。

情報やメディアリテラシーの授業で、
「これからは情報をかしこく選んでいく時代」
ということを教わっていたけれど、それを身を持って学んだのだった。

あえて調べないという勇気も必要

今はなんでもかんでも検索で調べることができる世の中だけれど、
調べないという選択肢も大切だと、過去の自分を考えると思う。

勉強や調査・研究、あるいはこのnoteで記事を書くために必要な情報を調べるというのなら、それは真っ当な検索の使い方だ。

けれど、自分の考え方とか不満とかに「他の誰かが持っていないだろうか」と思って検索するのは、少し危険なのかもしれない。
もし、その自分の考え方が、上記の僕のように偏ったものであったら……
そして、同じような考え方を持つ言葉をネット上で見つけたなら……

「そうか、自分だけじゃないのか。じゃあ正しいな」

と、偏った考え方を強化してしまう可能性がある。

その情報がデマである可能性だってあるのだ。

「調べない」という行動に対して、今の時代にはある種の勇気が必要だと僕は思っている。
noteにこのようなことを書くのは矛盾しているかもしれないが、
ネットの言葉と一歩引いた関係を築くことが、現代における気持ちのいい生き方なのかもしれない。








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