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#92 「どうせ」が行く手を阻んでる

note活動開始前
どうせ自分なんてフォロワーもつかないし、需要なんてない」

note記事投稿前
どうせ自分の記事なんて誰も読まないし、スキもつかない」

かつて、僕がよく思っていた言葉である。
この「どうせ」という言葉を、僕は時折心の中で呟く。
そして最近は、「いやいやいや」とその呟きを否定するようにしている。

なぜなら「どうせ」という言葉を使って、ポジティブなことは何も起こらないからである。
もっと言えば、ネガティブなことしか起こらないからである。

「どうせ」は現実を悲観させる

かつての記事にも書いたが、僕は若い頃、女性が苦手だった。
意欲的に恋愛をしている友達たちを見ていると、羨望の念を強く感じていた。
一方で、僕は心の中でこう呟いていた。

「どうせ自分なんて女性に好かれるわけがない」
「どうせ自分に彼女なんてできるわけがない」

受け身になっている時点で「そりゃそうだ」と言いたくなる。
それ以上に「どうせ」という言葉によって、自分という存在を悲観してしまっているのである。

言霊という言葉があるけれど、人間というのは口でも心の中でも、自分が発した言葉にある程度従っていく生き物なんじゃないかと思う。
ゆえに、「どうせ」を使えば、より悲観的な人生へ向かってしまう。

実際、20代前半は恋愛とは無縁の人生だった。
かといって、それ以外が充実していたかと言われるとそうでもない。
そこにも「どうせ」という言葉が潜んでいるように思う。

「どうせ」は可能性を潰していく

「どうせ」と口にすることによって、どんどん行動が遅くなっていく。
それはすなわち、あらゆる可能性を潰していくことにも繋がる。

例えば先に挙げた恋愛においてもそうだ。
「どうせ自分なんて彼女ができるわけない」と思えば、自分にどんどん自信がなくなっていく。
恋愛をするための行動をしなくなっていく。
そうなれば、当然ながら出会いの可能性も失っていくわけである。

noteを始めるより前のこと。
僕は「どうせ自分の文章なんて需要がない」と本気で思っていた。
いや、今でも少し思ってしまっているところはあるかもしれない。

だが、それによってどうなったか。
小説執筆においては10年、noteにおいては5年も空白を作ってしまった。

ありがたいことに小説執筆では小さい文芸誌とはいえ、僕の住んでいる自治体の文芸誌に小説を掲載していただくという成果を得た。
noteにおいては、皆様のおかげでこうして続けられていることが成果だ。

その空白期間があったからこうして成果を得られたという見方もある。
しかし、やはり行動は早いことに越したことはない。
「どうせ」と呟き続けることは遠回りを引き起こし、可能性までの距離をどんどん広げていってしまう。
最悪の場合、可能性を潰してしまうこともあると思う。

なぜ「どうせ」を使うのか

おそらくだが、失敗したときの保険のためである。

失敗して恥をかきたくない。
失敗して嫌な気分になりたくない。

失敗したときに、「ほらね、うまくいかなかったでしょ」と失敗した自分を肯定するために、前もって「どうせ」と使っているところはある。

かつて、僕は失敗したときのベネフィットについての記事を書いた。
失敗は成功のもと、というのは紛れもない事実だと僕は思う。

格好悪いとか嫌な気分になるとか、失敗する前に考える必要はない。
むしろ、「どうせ」ばかり呟くことやチャレンジしないことの方がよっぽど格好悪いし、後々気分が悪くなる原因になってくるだろう。

「どうせいつかは死ぬんだから」

「どうせ」という言葉は、厳密に言えば、
「どうせ~ない」
という構文になることで、強いネガティブな効果を発揮する。
だから、なるべく僕はこの構文を使わないように心がけている。

一方で、行動に起こせるように「どうせ」を使うようにしている。
それは「どうせいつかは死ぬんだから」というときである。

いつか僕にも、これを読んでいる人にも終わりが来る。
それならば、「どうせ自分なんて」って悲観するよりは、「どうせ死ぬんだから」いろいろなことにチャレンジしたい。
そちらの方が後悔なく終わりを迎えられるだろう。

それでも行動に移すのが怖いと思う人もたくさんいると思う。
それならまずは、自分のネガティブな口癖などを見つけて治してみるのがいいかもしれない。
僕ならば、それは「どうせ」だった。

千里の道も一歩より。
小さな習慣が、やがて大きな変化になってくるかもしれない。


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立竹落花
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