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ギターだなきのう木だったのになのに
シリーズ・現代川柳と短文 015
(写真でラジオポトフ川柳103)
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ある映画にギターの穴の内側から外を撮ったシーンがあった。そう見せていただけでじっさいに内側にカメラを入れてはいないと思う。映画は作りものの世界だからそれでいい。というか、そうでないといけないとも言える。「そう見えればいい」という思想はリアルを追求しつつどこかの時点で放棄することだ。その放棄のタイミングの妙に人は胸打たれる。時代も製作国もちがうべつの映画には、少女たちによるスポイトを使ったであろう大号泣シーンがあった。これは映画だな、と思ってすこし泣いた。
▼これまでの「現代川柳と短文」
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