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手仕事の哀愁

"その手でおぼえろ"

 大切な植物事典が傷んでしまったので「製本屋ルリユール」を探しに出る女の子ソフィーの物語である。

 パリの朝、くすんだ空と人気ひとけの絶えた描写に「冬」を感じる。植物をめぐる話なのに青空も太陽も出てこないぶん、よけいに寒々しい。

 だからこそ仕事にかかるおじ(い)さんの手もとを照らす暖色や、仕上がった装丁の緑や茶色が温かい。水彩ならではの明暗法キアロスクーロか。

 出会うまでの二人は見開きページの左右別々に描かれている。駆け回る方には独白が添えられているが、仕事場へ向かう方は無言だ。

 家を出て、顔見知りらしきとカフェで立ち話、お昼のバケット抱え肩すぼめ背を丸めて行くおじ(い)さんは、もう何十年もそうして変わらない日を繰り返してきたのだろう。その重みが無言のうちにひしひし感じられる。

「わたしも魔法の手をもてただろうか」
父を思い出すおじ(い)さん

 見方を変えれば、科学に支えられたテクノロジー技術の進歩によって絶滅にひんしている「手職人アルチザン」の物語でもある。その「手仕事アール」とは、なにげない日常のうちにこそ根づいて伸長し、やがて甘美な実をもたらすものなのだ。

 だから「おじさん」よりも「おじさん」がいい。これジャポネ語感だと年季も知恵も経験も余命さえも、質量ともに印象がまったく変わる。

夜更けに仕事するルリユールの窓

 この明かりが消えることのないよう祈っていたい。現代都市文化のどまんなかで暮らす身には、もう祈ることしかできない。

 リテラシーなんて「頭」ばかり肥大させがちな空疎な流行ファッション知性よりも、無名でも確かな「手」のある「わざart」にこそホンモノは宿っているのだろう。

 科学ばかりが持てはやされる時代だからこそ、あえて魔法にかかってみて見えるものもある。かくも「人間」について考えさせる作品である。




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『ルリユールおじさん』 いせひでこ 理論社、2007年。





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