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【どうやって生きますか】 #974


「なぁあの芸能人はなんで死んだんやろなぁ」

「さぁ…なんや辛い事があったんとちゃうかしら」

「辛い事なぁ…」



それはまだ僕が脚を失う前の事だった

僕は強豪サッカー部のキャプテンを務めていてインターハイにも3年連続出場している
ただ残念な事に全国優勝は手に入れられなかった

恐らくこのままJリーグの選手になるんだろうなと
あれほど夢見ていたJリーガーがいよいよ現実味を帯びてき始めると
何故か変に自分に対して客観的に見てしまい
もっと小さかった頃みたいに熱くなれない

どうしてなんだろう


顧問の先生から明日スカウトの人が学校にお見えになるから体調管理は万全にしておくよう言われた

えらく急だったんで面食らった


まぁ明日は準備運動のつもりでやってみよう
多分他のチームのスカウトも来るだろうし

テングになっている訳では無い
冷静にそう思っていた


クラブを終え
帰宅途中
最寄りの駅から
トボトボと歩いていた

すると前からトラックがセンターラインを越えてこっちへ向かってきた
とっさに避けようと横っ飛びしたが間に合わず
そこから先の記憶が無い


目覚めたら病院だった

何も憶えていない

数日後ICUから一般病棟に移された

やっとお医者さんから色々と話を教えてもらえた
もちろん事故についてでは無く身体についてどういう状態なのか教わった


足以外の部分については完治するが
両足だけは無理だった
損傷が酷く右足を大腿骨の途中から切断
左足は膝下から切断

そうしないと命に関わる


嘘だろ


横で両親が泣いている


僕は真っ白になった

真っ白という表現は多分正しくない
怒りと悲しみと絶望と理解不能と両親や先生を冷静に見ているのと何故というのとか沢山の感情が
同時にスイッチが入った感じだった

こんな事も今だから冷静にそう言えるけどここからの数年間は本当にもがき苦しんだ

実生活での不便さと戦わなければならない
学校やクラブとの折り合いもつけないといけない
精神的なモノとも戦わなければならない

沢山の壁を乗り越えないといけなかった


学校はともかくクラブには迷惑をかけてしまった
2年生の新キャプテンが頑張ってくれている
顧問の先生は何も言わずというか多分何も言えなかったんだろうな
僕の肩に手をかけ何度も頷いていた

仲の良い友達も何人か見舞いに来てくれた


退院後は学校と相談して特別に通信制にしてくれた
元々通信制のクラスがあったので編入した

家は僕の為にマンションを売り払い新たに中古の一軒家を購入しバリアフリーの家にしてくれた

家の中は比較的に過ごしやすい

だが一旦外に出るとそういう訳にも行かない
通れない道
エレベーターの無い階段
駅や大きな施設に行かないと無いトイレ


そんな事もあり
早い段階から義足の練習が始まった
自分に合う義足に出会うまでなかなか大変だった

今は良いメーカーの良い担当者の方と出会えたので心配する事は無い

サッカーで鍛えた根性だけはあるので必死に義足歩行の練習をした

ちょっと変な歩き方かもしれないけれど今は普通に二本足で歩ける

ただかなり疲れるので基本的には車椅子と併用している


サッカー選手の道は絶たれたので別の道に進まなければならない
一体自分は何が出来るのだろうか
何がしたいのだろうか

新しいこれから続く人生に向けてたった数ヶ月で答えを出すなんてとてもじゃ無いけど無理だ

僕は道筋を見つけ出すまで浪人として過ごしたい
そう両親に相談した
二人とも僕が生きていてくれただけでも有難いと感謝している人たちなので
僕の訴えは快く受け入れてくれた


僕は日本の色んな所へ行ってみた
都会も田舎も山も海も沢山の色んな施設にも行った

やっぱりスポーツが大好きだ
一番興奮する

家からほど近い所に車椅子のバスケットボールのチームがあった
そこに行った時に何か感じる物があった

見学しているとここのクラブの理事長から声をかけられた

興味ありますか?

何かスポーツやってましたか?
なんかを聞かれた

すると理事長はニッコリ笑って

「ウチに来なさいよ
チームメイトになろうよ」

そう言ってもらえた

僕はまた打ち込めるモノに出会えた

そしてありがたい事にこの理事長は県下でも有名な和菓子屋の社長でもあった
社長の息子さんも元々あのチームでバスケットボールをしていたのだが
数年前残念な事に癌で他界された

それでも理事長はバスケットボールチームから離れなかった
だから僕も理事長である社長と出会った
息子さんが車椅子であったというのもあって
和菓子の工場では多くの障害を持った方が働いていた

僕も理事長のはからいでこの和菓子屋に就職した

車椅子の人たちの作業場は車椅子でも作業しやすいように台の高さを低くしてくれているし車椅子でも動きやすい広さを取ってくれている

ツボ効率で考えたら勿体ない話だが理事長である社長の考えは変わらず一貫していた


バスケットボールと出会い
理事長と出会い
和菓子と出会い10年
僕は結婚する事になった
お相手は別にそこを狙った訳ではなく
純粋に恋愛をして結婚した相手がたまたま理事長である社長の娘さんだった

たまたまです

こうして僕は和菓子屋の14代目に決定してしまった

理事長であり社長でもある義父は大喜びしてくれた



仕事が終わった後
テレビを観ていたら
ある若手芸能人が遺書も残さず
自死してしまった
ドラマ2本に映画1本とCMも今流れているのもあるし
新しいオファーも来ていた
これからって時に死んでしまった


「なぁあの芸能人はなんで死んだんやろなぁ」

「さぁ…なんや辛い事があったんとちゃうかしら」

「辛い事なぁ…」



ほな!

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