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休んでいてもいい。ゆっくりやっていこう。何度でも自分を甘やかそうよ。

私は誰のために記事を書いているのかというと、ほとんどが自分のためです。他の人が読んで違和感ないように文体を整えていますが、内容は全て自分に向けています。

今回はそんな中でも特に自分のために、今書き留めておきたいことを書こうと思います。それは、タイトル通り「休んでいてもいい。ゆっくりやっていこう。何度でも自分を甘やかそうよ。」ということです。

このようなことはこれまで他の記事の中で何回も言っていますが、今自分の生きづらさに気づいて何かを変えようとしている人、仕事に疲れて休職中の人や無職になった人、転職活動中の人などにとっては、本当に何回でも言っていいことだと思っています。

今回はその内容に絞り、「休んでいても、ゆっくりやっても、何度でも自分を甘やかしても良い理由」と「今後自分がどのくらいゆっくりやっていこうと思っているか」について、自分の今考えていることを具体的に書こうと思います。

私自身、今年に入ってから抑うつで会社を退職し、現在はフリーランスとして、微々たる金額を稼ぎながら貯金と同居人のサポートで生きています。つまり回復期間、お休み期間ともいえる期間を過ごしています。この生活を始めてから、あと1ヶ月くらいで1年になります。

抑うつの症状があった時期はとても辛かったですが、退職する直前あたりにもなれば、肩の荷が下りたのか体調は回復し、クリニックでの診断的にはもう抑うつではなくなっている、という状況でした。なので退職してからは闘病生活というよりは、ストレスをこれ以上抱えないように安静にして過ごす、というような期間でした(それでも精神的に不安定になったり、たくさん泣いたり、大変でしたが…)。

これを、「抑うつにまでなって、大変だったね」と思う人もいれば、「鬱にまではならなくて、軽い方でよかったね」と思う人もいると思います。人によって程度の違いや何が大変だったのかなどの種類の違いがあるので、この記事には共感できる部分とそうでない部分があるかもしれません。その点を踏まえて読んでいただければ幸いです。

また、私がこのことをわざわざ書こうと思った理由についてですが、2つあります。1つ目は、過去に一度心が壊れかけたところから回復し、自分の本当に信じるものを見つけることができたのに、今回頑張りすぎてまた壊れ、信じたいものすら信じられなくなってしまったという経験が、トラウマになったからです。受けた傷は客観的には大したものではないかもしれませんが、「せっかく乗り越えてきたのに」という気持ちや「もうこれからずっと普通でいられると思ったのに」という思い込みから生まれたショックが自分にとってはかなりの痛手だったのです。

2つ目は、自分の場合は症状の軽さとすでに病気は治っているという状況があるがゆえ、休んでいると自分が「回復のために必要な時間」を過ごしているのか、「ただ怠けている」のか、本当に見分けがつかなくなる時があるからです。今の生活を「逃げた」とも「選んだ」ともいうことができますし、今まで義務的にやってきたことに対して「できない」と「やらない」のちょうど間のような感覚で取捨選択しており、ものすごく微妙なのです。

そんな自分のために、見る人によっては甘えにも見えるかもしれませんが、タイトルのことは何度でも言葉にしていきたいのです。自分が思い描くような、自分にとって心地よい人生にするためには、必要なんです。




休んでいても、ゆっくりやっても、何度でも自分を甘やかしても良い理由



本当は”理由”なんて必要無いくらいだとは思うのですが、自分にとってはそういうものがあった方がまだ幾分落ち着くので、気づいたことをいくつか書いていこうと思います。


1. 長い期間自分を縛ってきた考えは想像以上に粘り強いから

私の場合、自分が生きづらい性質であること(HSP、INFJ)、もっと楽にしていいんだよ、ということにここ3年くらいでやっと気づいてきました。そういった考えに触れた時は本当に救われた気持ちで、目の前が開けるようでした。

ただしその前の過去は二十数年間、ずっとサムライのようなストイックな心持ちで生きてきたわけで、当然、気づきを得ただけで日々の生活が突然ガラリと変わるわけではありません。私たちの生きる社会は目まぐるしく情報が行き交い、私たちに刺激を与えます。その中で、新しい考えに基づいた行動をいつもできるかというと、そうで無い場面もたくさんありますよね。

時には、新しく優しい考えに基づいてお休みを設けたとしても、「ふぅー。休んだね。これで私は回復した。さあ甘えた分取り返すように頑張るべし!」となぜか最終的にサムライマインドが帰ってきてしまうこともしばしば笑。基礎にサムライマインドがあってその上に新しく優しい考えが乗っかっているだけの状態なので、こういうことが起こります。

また、そもそもこういうストイックさが基礎にあるせいで、意図的に休みを取っていても、心の底から休めていなかったりしますよね。こういう序盤のうちの休みは、ほとんど休みになっていないと考えてもいいかもしれません。

基礎を変えるのはとても難しく、時間のかかることですこちらの記事でも書いたことがありますが、新しく優しい考え方を「わかる」だけでなく「使える」ようになることが本当の生きづらさの解消になるのではないかと思います。そのためには、時間をかけながら新しい考え方を自分の身体に浸透させていく必要があると思います。焦らなくていいんですよ。


2. 変化すること自体が疲れることだから

今までとは違うやり方で何かをやることは、いくらそれが自分を楽にする方法だとしても、ストレスは発生します。

例えば私の場合、不安を感じるとすぐに「何かに打ち込み周りを驚かすぐらい努力する」という方法に飛びつく傾向があります。「自分は努力している」と思える時間を過ごすことと、周りから賞賛されることの2つが自分の不安を払拭し、安心させるという構図が自分の中で定番になっているのです。定番を使い回すって楽ですよね。いくらそれが自分の精神を削るものだとしても、考える脳みその方は楽をしているのです。

しかし私にとってその定番は、やはり常に持続可能なものとは限りませんでした。もう同じ失敗を繰り返したくないなと思った私は、脳みその考えの方に変化を起こす必要が出てきました。何か不安を感じたら、まずは自分の体調に目を向ける。自分の気分が良くなることをする。それから冷静に何をすべきか判断する…。一見楽をしているように見えますが、私にとっては意図的にやろうと思わないとできないことで、エネルギーを使っています。

現在はこのように、考えること自体にエネルギーを消費しますが、いずれ自分に浸透してくれば、脳みそも自分の心身も共に楽をすることができて、その分他のエネルギーを注ぐべき部分(自分が心地よいと思えることで、人に貢献できること)にエネルギーを注ぐことができるようになるはずです。長期的に見たらすごくメリットがあるので、それを目指して今はあえて考えを変えることにエネルギーを使っています。

このように、考えに変化を起こすということ自体、最初のうちはエネルギーを消費すること、疲れることだと思います。年齢が上がれば上がるほどそうだと思います。もし私が7歳くらいの子供だったら、幸せになりたいのであればもっと楽しくて自然とつながっていてお金を気にせず常に踊っていられる民族の文化に染まれたかもしれませんが、今これを見ている方々はなかなかそんなド派手な変化は起こせない人が多いですよね。私もそうです。

そんな中で、自分にとって新しい考え方に触れて、よりよい人生を歩もうとしている方々というのは相当に努力をしていると思います。社会的に階段を一段降りたからって、ただ楽をしたり甘えたりしているわけではないんですよね。別に「自分こんな楽しちゃってる!w」と自虐的に言う必要はないと私は思います。もちろん人から咎められる筋合いも全くなく、ただ自分の人生をよりよくするために試行錯誤しているだけだと思います。


3. 自分の性質に気づいてから、その性質に以前より敏感になるのは当たり前のことだから

よく、自分がHSPやINFJと気づいてから意識のしすぎか、余計敏感になって落ち込むようになってしまった…もしかしたら知らない方が社会で強く生きていけたのか?と思うことがあるのですが、考えてみれば一時的にそうなるのは当たり前のことだと思います。自分の性質に気づくこと自体が衝撃的で、しばらくは自分の中に沸く思考をその性質ばかりに結びつけ、今までより深く味わってしまうのはよくあることではないかなと思います。

あまり思い悩むのも考えものですが、そうでなければあくまでそれは一時的なものと考えています。それは数日で済む人もいれば、数ヶ月、数年かかる人もいるのではと考えています。そして何より、そうした期間を経て自分の弱みを把握することこそが、本当の強さを手に入れるカギとなるのではないでしょうか。

そうした意味では、今は疲れますが、とても重要な期間を過ごしているのだと思います。特に疲れない人もいるかとは思いますが、私のように疲れる人にとっては、こうした時期は人生で必要な時期なのではないかと思います。

また、自分の性質に気づいてから、できないことが増えた人もいると思います。今までできていたことや、普通だと思っていた働き方など…。しかし、実は逆にできることも増えてるんですよ。私の場合は、ゆっくり時間を味わったり、丁寧に思考することができるようになりました。それは今まで自分の頭にはまっていた「普通」からしたら意味のないことで、だからこそ見逃されがちだったと思うのですが、今の自分にはとても重要なことです。

ここまでで3つ、「休んでいても、ゆっくりやっても、何度でも自分を甘やかしても良い理由」を説明してきました。今まで縛られていた「普通」や他人軸の考えではどうしても軽んじられてしまいがちですが、「焦らない。自分を意図的に休ませる。思った2倍くらいは優しくする」ということを心がけて、自分を大事にしていきたいと思います。




今後自分がどのくらいゆっくりやっていこうと思っているか


今後は、今まで自分が自分に許すことができなかった(というか考えもしなかった)くらいのスローペースで進んで行こうと思っています。

退職したばかりの頃は、ハイ○月から元気になって頑張って転職して安定収入開始!という目標を立てていたのですが、今はそうではなく、少しずつ好きなことをやりながら、自分の心に耳を傾けながら、自分のやれることの範囲を広げていこうと考えています。正直不安もありますが、こちらのやり方のほうが自分には合っているみたいです。

この変化にあたって、自分の持っているエネルギー量に対する考え方も変わりました。前までは、「自分個人が実際に持っているエネルギー量」という概念がなく、常に「世の中で普通に求められるエネルギー量」に合わせて目標を立てるしかありませんでした。でもそれをするとどうしても限界があったので、今は自分基準で考えています。

それに合わせると、自分でも引くぐらいスローペースになります笑。正直まだサムライマインドも健在で完全にはそれに合わせられないのですが、ちょっとずつでも自分軸に合わせて行動していけたらと思います。

今はそんな感じでしばらく一人に閉じこもっていますが、もっと元気になったら仕事でもプライベートでも、もっと外と関わりたいと思います。多分、思っているよりも外の世界って実は優しいんじゃないかな。でも、関わるのはもうちょっと足場が固まってからがいいな…。

その時のために、たくさん休んで、何度でも自分を甘やかしながら、日々を過ごしていこうと思います。

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