見出し画像

「3月11日はテレビをつけない方がいいわよ」という言葉に、なんと返事をしたらいいかわからなかった

怖かった当時の映像ばかり見たくはないよね

東日本大震災(3.11)が発生して、10年が経過した。

このシーズン(3.11前後)は毎年、震災時の様子がテレビで放映される。
大きく建物が揺れた場面や津波の濁流に街が流されていく場面を捉えた映像が朝から晩までテレビの特番で流れるし、新聞やインターネット上のニュースも震災関連の話題でいっぱいになる。
「このできごとを風化させず、教訓として残すためには少々ショッキングな情報量かもしれないが、しょうがないのだろう」と思っていた。

ただ、今年はいつもと違うことを感じたので記事(メモ)として残しておく。
先日の3/11(木)、「今日はテレビをつけない方がいいわよ」と知人が話しているのを聞いたからだ。

東日本大震災では大きな揺れに加え、特に沿岸部エリアの津波被害が甚大で、これまで約1万8425人もの死者・行方不明者が確認されている。

かつて石巻市に住んでいた方なので、私からは何もコメントができなかった。津波を経験していないから、返す言葉が咄嗟に思いつかなかったのだ。

私は津波を被っていない

私はずっと内陸部(仙台市内)に住んでいる。

当時は津波こそ被らなかったものの、家の中は大きな揺れでめちゃくちゃになった。東日本大震災が発生した3/11の夜は家族みんなで車中泊をしたのが印象深い。

幸いにも大きなケガをした家族はいなかった。ついでに言えば、東京に単身赴任中の父が、なぜかこのタイミングで偶然にも仙台に帰ってきていたこともあり、少し心強かった。

しかしながら、ライフライン復旧の遅い地区だったこともあり、そういう面で苦労した。学んだことも多かったが。

水道・ガスが復旧しないうちは水不足が深刻で、公園の水道へポリタンクを持って水汲みに行っていたものだ。
もちろん、大学の入学式は延期。通常より2ヶ月遅れでオリエンテーションや講義がスタートした。

上記のような苦難は経験したものの、津波を被った地域の持つ苦しみがわからない。

震災にまつわる伝承館や震災遺構にも足を運んだし、沿岸部エリアの方々の話も聞いてきたつもりだ。いろんな方の体験談を伺っていると、元気付けられるエピソードだけではなく、本当に痛ましいエピソードも多かった。
東松島市・旧野蒜駅に併設されている伝承館のシアターで放映されているドキュメント映像に感情移入してボロボロ泣いてしまった日もあった。

自分は泥かきだとか、仮設住宅にたくさんお金を寄付する力は無いけれど、自分が取材・執筆した復興インタビューを読んで「東北、被災しても前向きに頑張ってんじゃないか、応援するぜ!」と共感してくれる方が増えてくれれば、ひとまず良い!

そう思って、電車とバスで(遠方だと牡鹿まで)取材に行くなどしていた。
情けない話だが、ペーパードライバーなので公共交通機関を使う他なかった...。

しかし、「経験者から聞いてきたこと」と「現地で実際に経験したこと」とでは、3.11に対する温度感や向き合い方に大きな開きがあるのは確実だ。

適当な例で申し訳ないのだが、新作映画のレビューひとつにしても、インターネットで検索して拾ってきた文言を組み合わせた文章と、映画館で見てきた直後に書いた熱い文章では生々しさが違う。そういうケースに若干似ていると思う。

少し関連する話。以前、震災復興関係の資料作成アシスタントをやっていた時に「被災地の写真を掲載したいので、御社の工場(またはお店)のお写真をお借りしたい」と、たくさんの事業者の方に問い合わせるというタスクがあった。

しかし、思ったよりも「写真は送ることができるけれど、うちの工場は内陸部で津波を被っていないから、被災地じゃないよ。それでもいいのかい」という回答が多くて驚いた記憶がある。
内陸部で物理的な被害が少なかったエリアの方は「うちは被災しているうちに入らない」と感じている方が多かったようだ。沿岸部も、内陸部も、被災していることに変わりはないのに。

2017年にみやぎ復興ポータルサイト内「NOW IS.復興インタビュー」という枠で取材をさせていただいたリチャード・ハルバーシュタットさんの仰っていた「カタストロフ」という言葉をぼんやり思い出した。
私は当時、カタストロフ(壊滅)のにおいを嗅いでいないのだ。

「地震発生後の市街地は、まさにカタストロフ(壊滅)だった」

補足すると、リチャードさんは石巻市内で東日本大震災を経験している。
彼は母国イギリスから「イギリスから支援をしてあげればいいじゃないか」と帰国勧告があったものの、石巻市に残る決断を下した。その後、石巻市の復興まちづくり情報交流館・中央館で館長(ナビゲーター)を務められている。

【NOWIS.復興インタビュー】石巻市復興まちづくり情報交流館 リチャード・ハルバーシュタットさん(第1回)※記事、削除されたっぽいです。

リチャードさんは取材の中で「地震発生後の市街地の様子はSF映画の核戦争の跡か!?と思ったし、漏れたガソリンや泥のにおいも酷かったんだよ」とお話してくれた。
しかし、私はリチャードさん本人ではない。したがって、その日の細かな状況含め、そのビジョンが100%頭で再現できるわけではない。ガソリンと泥が混じったにおいも、「こんな感じだろうか...」と想像することしかできない。

「そうですね〜」という受け答えが正解なのか

「今日はテレビをつけない方がいいわよ」という言葉に対して、「そうですね〜、3.11はテレビをつけないに限りますね〜」という回答が正解なのかどうか、正直自分の中で折り合いがついていない。

昭和8年3月に名取市・閖上に昭和三陸地震の影響で押し寄せた津波に関する石碑などをはじめ、「震災・津波に備える教訓」的なものは先人が残してくれている。でも、3.11では多くの犠牲者や被害(特に津波関係)が出てしまった。

3.11に関するモニュメントや祈念公園なんかも数百年も経過すれば「大昔、東北にでっかい津波が来たっていう伝説があって?あのモニュメントって、それ関連の何からしい?知らんけど」とギャル的な派手系女子が喋っている姿が想像できる。いや、数百年後にギャルが存在するかどうかは全く予測できないのだが。

「石碑を残すだけでは、未来の人々に教訓や防災ノウハウの大切さが伝わらない。メディアでたくさん当時のことを取り上げ、普段から備えよ...と示唆せねば」というメディア側の想いと、「そういうものは見たくないよ、もうやめて、もうたくさん」という方々のバランス感が本当に難しい。

ショッキングな資料はワンクッション挟んでいる事例

テレビ番組に関して言えば、極端に言えばテレビをつけた瞬間、家や車がどんどん流されていく映像を目にしてしまうことだってある。影響力・啓蒙力が大きい分、たしかにショッキングさは否めない。

伝承館や、震災関連データベースのアーカイブに取り組んでいる施設では、明らかにショッキングな写真や資料は希望者だけが閲覧できる仕組みにしている場所が多い。

一例で言えば、山元町の橋元商店が運営している「みんなの写真館」では、もともと商店に貼っていた被災地の被害状況写真+津波を被った写真を復元したものが展示されていた。
注意書きのあるファイルや箱にだけ、ダイレクトな表現の記事や写真が格納されているので、いきなり心を痛める写真が目に飛び込んでくることはないだろう。

【NOW IS復興インタビュー】山元町「みんなの写真館」※こちらも10年目くらいに削除済み

(文章の箸休めにICHIBICOのいちごミルクの写真を挟んでおきます)

「たしかに、メディアで当時の津波の映像や話題ばかり流しているのはショッキングすぎますね。せめて防災のことをベースに話すとか、復興に向けて頑張っている企業や団体の方々の様子とか、今後の未来につながることをたくさん特集すればいいかもしれませんよね」というのが、自分の中で最適解かと思われた。

しかし、まだなんとなくモヤモヤしている。
我々が言う「前向きにいこう、頑張ろう、東北!」に違和感を感じている方も少なからずいるはずなのだ。
震災に関するものは、防災の話題や前向きに取り組む復興の様子でさえも「見たくない、思い出したくない」と整理のついてない方もいる中で「当時の映像を見せなければオッケーでしょ?前向きにがんばろーっ!」というのはあまりにも短絡的すぎる。

そんな風に悩んでいるうちは、タイトル通りの話題を投げかけられても「そうですね〜3.11はテレビをつけないに限りますね〜」としか答えられないんだろうな。共感を示し、まず寄り添うことが、一番なのかも知れないことに長文を書いてから気づくのであった。

おまけ

2020年の秋頃、「かわまちてらす閖上」に行った時の写真。よく晴れていて穏やかな日だったな。「まだまだこれから」というのは理解しながらも、復興の風を感じた。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?